18.
「今はそれどこじゃない! まともに戦える人達が来るまで、どうにか持ち堪えて欲しい……!!」
イーヴァがコルネリアの意識を引き戻すようにそう言った。的確なアドバイスであったが、その顔と声はやや引き攣っている。聡明な彼女の狼狽えた様子に、ようやく珠希もまた命の危険を伴った危機感を覚え始めた。
これは大丈夫なのだろうか。とにかく、一番に逃がしてやらないといけないのはルニだ。
そんな空気を察したのか、テューネは素早くルニを抱え上げた。
「じゃ、あたしはルニちゃんをとりまどこかに隠してくるわ! 大丈夫、すぐ戻って来るから!」
「いやお前は普通に使えなさそうだから、そのまま引っ込んでろって」
「コルさんクールぅ!」
何が言いたいのかイマイチ分からないテューネはルニを連れたまま撤退。コルネリアの言う通り、彼女は魔族達と何の関わりも無いし、さっさとトンズラした方が良いだろう。
戦力にはならなさそうなテューネだったが、逃げ足だけは一級品だった。ルニを小脇に抱えたまま疾走、すぐに姿を消した。まさに獣のような動きだ。
そんな逃げ出した2人になど興味はなかったのだろう。アールナ達はそれをあっさりと見送った。
「――で? どうするのかしらぁ? コルネリア、貴方がそんなに人間思いの親人家だとは思わなかったわ!」
「慎め、アールナ。別部隊の有角族共の相手をする余裕は無い。速やかに戦闘を終息させる」
アールナの高笑いはしかし、コルネリアが術式を編み始めた事で終了した。まずいぞ、如何に彼女が魔族と言えど、流石に2対1は分が悪いに違い無い。しかも、相手もまた魔族だ。
「イーヴァ、どうしよう……!」
「珠希、四の五の言ってる場合じゃ無い。時間さえ稼げば良いのだから、抵抗するに決まっている」
「そうだけど……」
「大丈夫、あなたもしっかりと魔法を学んだ。死なない程度に間を稼ぐ事くらいは出来る」
――いや出来ねーよ!!
そうは思ったが、出来なければこのままどうなるか分からない。イーヴァやコルネリアは殺害され、自分は堂々と誘拐される事になる。
仕方ないので、ランドルから教わった通りに術式を手に取った。このまま黙って誘拐されるなど冗談ではない。
これは――これに限らず、ランドルが自分に授けた術式は、発動させれば当然対象を攻撃する攻撃魔法だ。サポート魔法とやらが存在するらしいが、不要だと言われて渡されていない。
つまり魔法を使うという事は相手に怪我をさせる可能性があるという事だ。
人を殴ってはいけません。
人が不快に思う事をしてはいけません。
人を傷付けてはいけません。
遠い昔、小学校などで習った道徳の授業。もう顔も忘れた女性教師がそう言っていたのが頭にチラつく。人間が生きて行く中で当然の理。常識という枠に収まるそれを自ら侵害するのには勇気がいる。
「珠希!」
「あ、うん……」
「今は迷っている場合じゃ無い」
イーヴァも必死だ。当然である。
ちら、と戦況を見やる。コルネリアはアールナの処理に掛かりきりだ。実力が拮抗しているのか、なかなか2人を相手するのは厳しそうである。
一方で、アグレスは腕を組んでこちらの様子を伺う姿勢。アールナに比べて余裕があるのが、少しばかり恐ろしい。
目が合ったからか、アグレスが口を開いた。
「もういいのか? あまり傷を付けたくない。抵抗する気が無いのならば、大人しく着いて来ると良いだろう。勿論、お前の身柄は保証出来ない」
「聞かなくて良いよ、珠希。魔族と人間の思考は相容れないものだから」
「いや、あまり聞いてないっていうか、緊張して上手く言葉を理解出来ないっていうか……」
腕を組んで立っていたアグレスがゆらりと動いた。慌ててポケットからランドルに貰った紙片を取り出す。
イーヴァもまたぶつぶつと小さくよく分からない言葉を唱えていた。全く何を言っているのか聞き取れないので、詠唱系魔法の類だろう。
アグレスが何も無い空間から不意に何かを取り出した。よくよく目を凝らしてみると、片手剣のようだ。とはいえ、うちのパーティに一般的なイメージの剣を使う者がいないのでよく分からないのだが。
優雅に優美に、ふわりと軽く地を蹴ったアグレスがぐっと近付いて来る。珠希にぴったりと寄り添っていたイーヴァへと、何の躊躇いも無くその剣を振り下ろした。
壁を叩くような不快な音が響く。アグレスが僅かに口角を釣り上げて、笑みを浮かべた。
「ほう、結界。素晴らしい事だな、実に」