19.
――何か知らないけど助かった……!!
何をした訳でも無いが、みんなの検証で分かった結界オプションが上手く作用したらしい。顔を引き攣らせていたイーヴァもまた、ホッとしたように小さく安堵の息を吐き出す。
そんな彼女はアグレスがワンアクション起こしている間に、先程の魔法を完成させたようだった。半ば叩き付けるように何事かを叫び、手の平を対峙している魔族へと向ける。
その手からバレーボールくらいのサイズ感がある火の玉が出現、真っ直ぐにアグレスへと飛来した。
――のだが。
「えぇっ……」
情けない声が漏れる。
あんな火の玉、生身の人間に直撃すれば火達磨は避けられないが、あろう事かアグレスはそれを片手で叩き落とした。火傷一つも負わず、弾かれた火球は地面に着弾。真っ赤な火の粉を撒き散らして地面を抉った。
「――やっぱり駄目だね、これじゃあ」
「いや冷静! どどど、どうしよう、イーヴァ……!!」
「喋っている暇があるのなら、何か動いて欲しい。突っ立っているだけでは、何れその結界も破られてしまう」
そんな事を言ったって。幼気且つお馬鹿な女子高生であるこの私に何を期待していると言うのだろうか、喉元まで出掛かった言葉を呑み込む。元はと言えば自分の存在が蒔いた種。摘み取るのは自分の役目ではなかったか。
小さく深呼吸し、息を整える。ここへ来てから、そんな大仰な予備動作は必要なくなってはいたが、それでも人の形をした何かを攻撃するという道徳観念に反する発想が足取りを重くするのだ。
二撃目、様子を伺っているだけだったアグレスがじりじりと躙り寄ってくる。イーヴァというより、珠希本人を少しばかり警戒しているようだった。
そんな彼に、珠希は利き手である右手を向ける。以前、フェイロンが起点がどうとかいう話をしていたが、成る程手で距離を測ると心なしか距離感が目測よりずっと測れている気がする。
「うわああああ!? う、動きが速い!」
――しかし、アグレスは馬鹿ではなかった。少なくとも、今まで相手をしてきた何よりも賢明な生き物だったと言えるだろう。
マークされている事にすぐ気がついた彼は、運動をしない一般人枠、珠希の動体視力を遥かに超えた動きで更にフェイントを加えながら攻撃を仕掛けてきたのだ。ただし、如何に素早い攻撃であっても結界そのものが有能だったからか、現状では剣での一撃をきっちり防いでくれている。
「硬いな。どうしたものか……」
速い動きとは裏腹に、のんびりと放たれた言葉。それはアグレスの呟きでもあり、珠希自身の心の叫びでもある。ホントこれ、ここからどうすればいいんだ。
「い、イーヴァ! あの人の動き、何とか止められない!?」
「そんな魔法を使ったら、私の魔力が枯渇して最悪死に至ると思う。けれど、他に方法が無いのであれば検討はする」
「いやいい! それならいいです!! というか、顔色悪っ!!」
「魔法一つ撃ったら、もう疲れた……」
イーヴァの体力――ではなく、魔力も限界だ。この結界とかいうマジカル仕様もいつまで保つか分からない。そして、戦う決心をしたは良いものの、対象を目で捉えられないのでどうしようもない。八方塞がりである。
そして同時に思考も停止した。ファイター脳ではないので、この状況をどうやって打開すればいいのか欠片も思い付かないのだ。
苦し紛れにコルネリアへ助けを求めるべく、視線を向ける。が、彼女は彼女でアールナとのガチな殴り合いに明け暮れていた。こちらの存在が完全に頭から抜け落ちているに違い無い。
しかし、珠希&イーヴァ戦線より、コルネリアの方が早く決着しそうではある。この結界の強度もよく分からないが、コルネリアが戻って来るまで堪えられれば勝ち、そんな気がしてならない。
流石に動き疲れたのだろうか、割と目の前でアグレスが停止した。自分との距離、およそ8メートル。これは学校の教室の端と端に立っているくらいの距離感だ。
つまり、近すぎる。この距離から急に走って来て、ヘッドロックを掛けられても反応出来ない事だろう。
今度こそアグレスを捕まえようと、再び手を向けるが移動されてしまった。まずい、完全に攻略されている。何よりしっかりと警戒されているのが厄介だ。事前に対策を打たれてしまうのが、何よりも痛い。
「彼の方も、攻め倦ねているね」
「え、そうかな。私達より攻略法ありそうだけど」
「あちらにはフェイロン達が駆け付けるまで、という時間制限がある。魔法を撃って来る事は無いだろうけれど、注意して」
「あ、そっか――」
事態が急変したのは、その直後だった。
ふらりと現れる、頭からすっぽりと被った野暮ったい真っ黒なローブ、その内側に被っている帽子。そして泣く子も黙るような真っ白い不気味な面の男。
「え、誰?」
イーヴァがぽつりとそう呟き、身構えたが珠希はそれが見覚えのある人物だとすぐに理解した。
1回目、人狼村だったこのカモミール村にノコノコと足を踏み入れた時。フリオと話をしていた人物であり、執拗に『帰れ』と念を押して来たアイツ、あの不審者。
魔族達の仲間だったのか。
そう結論付けるも、アグレスは急な乱入者に怪訝そうな顔を向けている。知り合いではなさそうだ。
誰もがその珍妙な出現者に目を取られる中、彼は黒いグローブをした手で不気味な面を外した。目深に被ったフードのせいで顔はよく見えなかったが、唯一露出している、引き結ばれた口が大きく開く。ぎらり、と人間のものとは思えない鋭い犬歯が輝いた。
瞬間、何故か急に全ての音が遠くなった。面男の口が大きく開き、叫ぶような形になるが音は聞こえて来ない。ただ、攻撃されるまでは透明な結界オプションが細かく振動し、薄く見え隠れしているので何らかの攻撃を受けたのかも知れない。