第7話

05.


 取り留めのない、妄想のような思考が駆け巡る。
 帰れない、ではここで生きて行く他無く、そして生活するという能力は恐らく自分には無い力だろう。ここへ至るまでも仲間に助けて貰ってばかりというか、助けて貰っただけ。
 ぽんと手を放されれば自分などすぐ死んでしまうに違い無い。現代においても親の庇護下で生きていたのに、唐突に野に放たれたところで、というやつだ。

 茫然と立ち尽くす珠希の耳に言葉だけの慰めと責任転嫁のようなそれが届く。

「とはいえ、妾の言が必ずしも正解であるとも限らぬ。主は生きておるのやもしれぬし、妾が知らぬだけで帰る方法もあるのかもしれぬ。そう気を落とすな、人の子」
「……はい」

 気休め。全く元気になれない言葉だった上、すでに死亡している説は何やかんやで心当たりしか無いので彼女が言う事は至極正しいのだろう。後はそれを認め、受け入れる努力が必要なのかもしれない。
 そんな彼女はワンクッション置いた後、更に面倒な事を言い出した。こちらに関しては厄介事が増えただけだ。

「そしてそなた、どうもカルマに目を着けられておるようだ。リオナ神殿での出来事もそうだが、存在しないはずの異界の香に釣られているのだろうよ。何か対策を講じなければなるまい」
「えっ。あ、そうなんですか……。何だろう、泣きっ面に蜂」

 そういえば、神殿でもいの一番に自分を狙って来た気がする。例のカルマとやらは。
 一つ前の問題が深刻過ぎてカルマについて深く思考する事が出来ない。まさに「いやそれどころじゃないし」、と言った体である。
 不意にリンレイが立ち上がった。何だ何だと身を固めていると、優美に歩を進め目と鼻の先にまでやって来る。

「これも。しっかりと保管しなければ」
「はっ!?」

 服のポケットから何か抜き取られた、と思えばリンレイはその手に見覚えのある小瓶を持っていた。リオナ神殿にて、カルマが溢れだして来たあの小瓶だ。捨てたはずのそれがポケットに入っていたという事実に息を呑む。
 心中の絶句を代弁してくれたのはフェイロンだった。彼はこの緊張空間の中、唯一常日頃と変わらない尊大な態度である。

「珠希よ、それは捨てたというか、置いて来たのではなかったか?」
「お、置いて来たよ! えっ、こわっ! 憑いてきてるって事、私に!?」
「窓の外から投げ捨てよ。碌な事にならないように思える」
「まあ待て」

 フェイロンの指示を制すリンレイ。そりゃそうだろう。こんな危険物を敷地に捨てて良いと許してくれるはずがない。
 が、敷地の主が切り出したのはとある魔女の昔話だった。

「察しの良い者は気付いているだろうが、小瓶とカルマの関連性はただ一つ。献身の乙女であろう?」

 かつて居たという、村から村へ歩き回り腐敗病を撒き散らした乙女。最終的にはカルマを呼び寄せてしまい、自らも死亡している――という大まかな粗筋。今を以ても、腐敗病の死亡率は9割を誇っているそうだ。
 ただし、その病自体はカルマの件が終息したと同時に姿を消したらしいが。

 話の本題は誰もが知っている事実の後だ。

「『神が私にこの小瓶を授けて下さった。手を取り合い生きる事を忘れた人の世を正す為にと!』、例の魔女が村の一つを訪れた時、口にした言葉だそうだぞ?」
「神……? この複合世界で神も何も無いと思うのだけれど」
「皆が皆、仰ぐ神が違うからな。ここまで多種多様だといっそいないのではないかと考える気持ちも分かるぞ、娘よ」

 イーヴァの鋭い指摘にリンレイは寛容に頷いた。しかし、と唇の端を吊り上げた彼女は椅子に深く腰を掛ける。

「しかしな、神は人の境遇を救わぬが人の心を救う。例え存在せずとも、或いは存在しないからこそ、心の寄る辺になるというもの。何ぞ、神に祈っておけば酷い事にはならぬような、そんな錯覚を覚えるであろう? 良いか、存在するか、しないかは重要ではないのだよ」

 召喚師代表、ランドルが酷く渋い顔をした。父が云々言う立場である彼にとって、神の話題はあまり触りたくないものなのだろう。