第5話

12.


 人の肉など簡単に引き裂けそうな、輝く爪が行儀良く揃った手が伸びてくる。それを知覚してはいるが、運動神経皆無の自分ではどう動いて良いのか分からず茫然と硬直するしかない。
 が、横から伸びてきたコルネリアの赤爪の手が青年――ガーレイの腕を掴んだ。そのまま、物でも投げるかのように、彼の走って来た勢いを利用して後方へ投げ飛ばす。その動きたるや実に流麗で、あまりにも迅速だった。

「うおっ!? 力強い!」
「そりゃそうさ。魔族の見た目と力は必ずしも比例しない」

 意地の悪い笑みを浮かべたコルネリアが手の平を青年へ向ける。清涼な水の気配が満ちたと思えば、次の瞬間にはバレーボールサイズの水球が射出された。
 身軽に石畳の上へ着地したガーレイが軽やかにそれを回避する。ただの水球のように思われたそれはしかし、背後にあった建物の壁をいとも簡単にブチ破った。

「ちょこまかと、動きだけは速いな」
「おう! 体力なら誰にも負けねぇ!」
「いや、別に聞いて無い」

 じゃれているだけのようにも見えるが、決して微笑ましくはない規模の破壊活動。それを尻目に、珠希はフェイロン達の方を振り返った。
 何やら混血有角族の少女、ファンメイと静かに冷戦を繰り広げている。コルネリア達のような親子がじゃれ合う微笑ましさはなく、ただただ殺伐とした空間が広がっていた。どちらも敵愾心が滲み出ており、ともすれば殺し合いに発展しかねない空気がある。

 ――どうすればいいんだ私は……。
 今までの相手であったのならば。ドラゴンだのスライムだのであったのならば、遠くから少しだけ超能力で横槍を入れるという方法もあった。
 しかし、相手は自分達と同じ言葉を喋り、意思と思考を持ち、何より人の形をした存在である。動物だって可哀相だし、大きな虫も殺せないような自分が、彼等相手に何か仕掛けようだなんて考えすら湧いて来ない。人類皆家族、平和第一。

 不意にフェイロンが動いた。
 凄まじい速度で少女との距離を詰め、躊躇い無く手刀を振り下ろす。対し、ファンメイはそれを顔を引き攣らせながらも回避した。あまり言いたくはないが、弱い者苛めをしているようにしか見えない。

「……ふふん、知ってるよ! 有角族は、混血の存在を赦さないんだって! 私はあんたに何も危害を加えた訳じゃ無いのに、私の事を殺すんでしょ!」

 ファンメイが詰るようにそう叫んだ。フェイロンが頭を振って渋い顔をする。

「否定はせぬがな、今は別件で主の相手をしておる。上手く話を入れ替えようとて無駄だぞ」
「どっちが話を入れ替えようとしているのかな?」
「さてな。誰が主にそのような物騒な噂を吹き込んだのか……やれやれ、アーティアは陰謀渦巻く恐ろしい世界よな」
「フリオが言ってたんだよ!」

 何がやりたいのか、よく分からない人だな。話を聞きながら珠希は首を傾げた。だいたい、フリオとやらの目的は人類滅亡計画という、昨今の小学生でも口にしないような次元の目的だったはず。なのに、何故自分を攫おうというのか。その辺からしてすでに、目的を見失っている感じさえしてくる。

「――おーい、珠希!」
「えっ!?」

 のんびりしてはいるが張り上げるようなコルネリアの声に振り返る。
 ――目と鼻の先にガーレイが迫っていた。

「うわっ!? え? えっ!?」
「よっしゃ、いただきっ!」

 手を伸ばせば届く距離。最初に見た光景がリフレインする。
 しかし、伸びて来たガーレイの腕は呆気なく何か薄い膜のようなものに弾かれた。車のフロントガラスに何かが激突したかのような音が響く。

「ぐっ! 結界か!」
「や、違うと思う……」

 勢いそのままに弾かれた青年は地面を一転、二転しながらも軽やかに受け身を取って立ち上がる。何て身軽なのだろうか。
 追って、コルネリアの謝る気の無い謝罪と言い訳が聞こえてきた。

「ごめーん、じゃれ合ってたら体勢逆転してたわ。お前の事すっかり忘れてたけど、まあいいよね」
「よく無いよ! 今は何だか運が良かったけど、運が悪かったら今頃私、誘拐されてたよ!! あっぶね……あ、何か今更鳥肌が……」

 人が危険に晒されていたにも関わらず、笑うコルネリアを見て確信した。このままだと、いつか大変な目に遭う。早くここから離脱しなければ。そもそも、人手が余っていないのが一番まずい。自分は他2人の足を引っ張っている。