21.
***
祝いの席から離れたイーヴァは壁に背中を預け、中の喧騒を静かに聞いていた。薄暗い廊下には自分しかいなかったが、遠くから態とらしい足音が聞こえて来る。
「――待たせたな、イーヴァ」
「そっちが呼び出したのに遅刻?」
「すまんな。良い意味でも悪い意味でも俺は目立ってしまって、なかなか抜けられぬものなのだよ」
そう言ってフェイロンは僅かに唇を歪めた。目がちっとも笑っていないあたり、真面目な話をしに来た事が分かり、そしてそれは何の話題であるのかも指し示している。
もう一度だけ周囲を神経質に見回したフェイロンが声を潜めた。
「ここにもう一人来なかったか?」
「私しかいない」
「そうか……。まあ、奴は今回の討伐戦の主要人物。そう易々とは来られまい」
「誰?」
「ハーゲン殿だよ。本当はヴィルヘルミーネ殿の方に声を掛けたかったのだが、彼女はダリル殿に夢中だ。それに、こういった類の話をするのであればハーゲン殿の方が適任であろうよ」
意図は分かるが、形振り構わない姿勢には困惑を隠せない。フェイロンは有角族、1つの部族においてだが次期族長という大役を担っている。それが、王都の騎士と重要な話をするというのは事を急きすぎているような気がしてならない。
「《大いなる虚》の話題?」
「そうとも。俺とお主が2人きりで顔を付き合わせてする話などそれ以外はあるまいよ」
「何か進展があったの?」
「というより、新たな発想を得たという方が近い」
《大いなる虚》というのは砂漠から1つ山を越えた先にある不毛の地に空いた大穴だ。原因は不明、アーティア内にあるにも関わらずその穴はアグリアへと繋がっているらしい。現在は封鎖され、立ち入り禁止になっている。
――が、言うまでも無くアーティア内部にある大穴とは言え、アグリアに開通しているのだからアグリアの住人にとっても人事ではない。そこで対策を取るよう命じられたのがフェイロンである。
数少ない錬金術師である自分にフェイロンが同行しているのは、虚を塞ぐ為の道具を錬金出来る可能性に賭けているからだ。
「それで、新しい発想って――」
「お待たせ致しました」
よく通る声。圧倒的な存在感を纏っているにも関わらず、ハーゲンが現れるまで気配を一切感じなかった。
いつも通りの笑みを浮かべたハーゲンはイーヴァとフェイロンを交互に見ると、「珍しい組み合わせですね」、と呟いた。そうだろう。確かに自分とフェイロンはあまり行動を共にしない傾向にある。
「ご用件は何でしょう。まあ、こんな所に俺を呼び出すくらいですから、真っ当な理由では無さそうですが」
「まあ、肩の力を抜け。俺は俺に課せられた職務を全うすべくここにいる。そしてそれは、主等の意向ともぶつからぬはずだ」
「……ま、取り敢えず話を始めましょうか。団長が俺を捜すかもしれません」
そう言うとフェイロンは手際よく自らの目的を告げた。ハーゲンは合点がいったように頷く。
「有角族がアーティアをふらついているのは珍しいと思っていましたが、理由があった訳ですね。《大いなる虚》ですか……。国内事情なので確かに俺も話には聞いています。勿論、人間側も相応の対策を練りましたが、現状においては立ち入り禁止を敷くくらいしか出来る事はありません」
「そんな事は見れば分かるし、人間の寿命など瞬き一つ。主等に虚の問題を解決出来るとは、我々アグリアの民は思っておらぬよ」
「そうですか。では、俺に何を訊きたかったので?」
「封具の作成法、それを記した書物はどこへやった?」
はた、とハーゲンは動きを止めた。
それと同時にイーヴァはこの場に自分が呼ばれた理由を把握する。封具を作成するのは、恐らく錬金術師の役目だ。
「封具……書物……。それは俺達が所持している物なのでしょうか?」
「なに?アグリアと王国の提携の駄賃に譲渡したはずだぞ」
「アグリアの方で写しは持っていらっしゃらないのですか?」
「……それがあれば苦労はせぬ。無いから原本を借り受けようと言っているのではないか」
「馬鹿な。有角族は長命種です。その貴方方が重用書物の原本を複写もせず人間に譲り渡すはずがない。であれば、他部族の持ち物を我々に渡したのですか?」
フェイロンが舌打ちした。忌々しい、と言わんばかりの顔である。
「封具の作成書の写しはあるという記録そのものはあった。だが、肝心の複写が無いのだ。幾ら探してもな。誰かが持ち出したのだろうが、誰が持ち出したのかまでは分からん」
「それはお気の毒です。うーん、一応こちらでも探してみますが、まずは陛下にお伺いを立ててからでなければ。それからあの膨大な資料を漁るのですから、一月や二月では何とも言えないと思います。というか、恐らくうちには無いです。1年前に資料庫の整理をしましたから。ああでも、1年前と言えばダリル元団長がまだいましたし、何か知っているかもしれません」
「ダリル殿に要らぬ心労を掛けさせるつもりはない。それに、あやつが1年前の資料整理でどんな資料があったかなど覚えているとは思えんな」
――長話も良いが、そろそろ自分を呼んだ訳を本格的に話して訊かせて欲しい。
時間は有限だし、恐らく珠希はパーティという場において慣れていない。本格的に捜されると、会場にいない事などすぐに気付かれてしまうだろう。
「フェイロン、何故私を呼んだの?」
「……《多いなる虚》には生身で近付けん」
「そうだね」
アグリアの「人間の脳の動きを緩慢にし、最終的には止める」空気は有害だ。フェイロンはともかく、人間組には近寄る事さえ出来ないだろ。
「だが、イーヴァ。錬金術師であるお主には《虚》まで同行して貰わなければ困る」
「どうするの。フェイロンが結界でも張って移動する?」
「俺と主が別行動になる可能性が高い。着くまではそれでもよいが、現地では固まって行動する事なぞ出来ぬだろう」
「……分かりきっていた事だけれど、どうして今それを?」
「珠希は持っている特異能力の程度によっては、結界なぞ張らなくとも《虚》に近付けるのではないかと思った」
イーヴァは目に見えて分かる程に顔をしかめた。失言であることを理解した上での発言だったのだろうが、フェイロンは反省の色を滲ませる訳でも無く肩を竦めている。
「不確かな事に珠希は巻き込めないし、フェイロンが《虚》を塞ぐ任務を負っているのと同様に珠希は家に帰るという目的がある。頼むのなら私ではなく珠希に言うべき。それに、そういった類の異能というのは判定が難しい。珠希を上手く言いくるめるつもりでいるのなら、私はそれを許す事は出来ない」
「そうは言うがね、どの道、珠希が帰れる保証など今は無いのだ」
「そういう事を言っているんじゃない」
「う……」
「そういう事を言っているんじゃない。そうでしょう?珠希が《虚》へ近付いても安全だと保証出来ない限り、フェイロンに付き合わせる訳にはいかない。それに、封具の件も解決していない。フェイロン、あなたのそれは机上の空論に他ならないよ。焦る気持ちも仕方ないけれど、少し冷静になった方が良い」
まあ、取り敢えずもう少し静かに話しましょうか、と案外他人事であるハーゲンがそう言って場を諫める。
「俺が役に立たなかった事は申し訳無いですが、一つだけ。リンレイ様を頼ってはどうでしょうか?」
「何?リンレイ様はまだいるのか、王国に」
「本来は機密事項なのですが、フェイロン殿とリンレイ様は明らかに同部族同士ですし、一応話しておきます。あの方は今、つい最近召喚術の応用で召喚された人工島、ギレットにいらっしゃいます」
「人工島?」
「ええ。明日、地図を渡しますのでそれを頼りに行ってみてください。何か良い案があるでしょう」
「成る程、それもそうだな……。ところでハーゲン殿、今日の話は――」
「ええ。内密にしておきましょう。この話題は、折角ダリル殿が腰を落ち着けた仲間内に亀裂をもたらしかねませんしね」