第4話

20.


「どうかしたのか」
「わっ!?」

 あまりにも不安そうな表情をしていたからだろうか、声を掛けられた。身長差のせいで誰なのか把握出来なかったので、顔を上げる。
 ――誰だコイツ。
 知らない顔である。あまりにも迷子のような体を成していた自分を見て、声を掛けてくれたらしい事は分かるが本当に知らない顔だ。

「ディートフリートだ。流石にこのような場で獣の面を晒す訳にはいかなくてな」
「あ、ああ、ディートフリートさん。普段はどうしてそのままなんですか」
「人間にも個体差があるように、人狼にだって個体差がある。私は人化するのが苦手なのだ。気を抜くとすぐに人化が解けてしまってな。戦闘中は気にするのも面倒だから、兜を被っている。それで、お前はどうした。迷子のように不安そうな顔をしているようだったが」

 顔と態度に迷子である事が滲み出ていた事に恥ずかしさを覚えつつ、珠希は事情を説明した。

「いやちょっと、仲間達とはぐれちゃって。一人だと不安なんですけど、コルネリアとかフェイロンあたりを見ませんでした?ロイくんとかでも良いですよ」
「ダリル殿ならそこにいるぞ」
「いやっ、ダリルさんは別に良いです」
「それは彼の前では言わない方が良いな……元団長は存外と繊細だ」

 何か勘違いして伝わってしまったらしいが、この際ダリルでも傍に居てくれるならいいや、という心境に達した。珠希は指さされた方向を見やる。
 ――あ、今話し掛けちゃ駄目な奴だ……!
 丁度視線を移した時だった。今日の主役、ヴィルヘルミーネがダリルに声を掛けたのは。失礼だとは思いつつ、会話に耳を傾ける。
 イーヴァは「ダリルの自由」を主張していたが、ここまで一緒に旅をして来た仲間。ヴィルヘルミーネには悪いが、彼がいなくなれば寂しくなるのは事実なので危機感を覚えずにはいられなかったのだ。

「ダリル殿、今、この場でお話があるのですが」
「んー……。あー、お前から来たか。いや、こっちから話に行くつもりだったんだが」
「いえ、私から声を掛けるのが礼儀かと」
「そっか……」

 目に見えて顔を引き攣らせたダリルはしかし、逃げ手を打たなかった。フェイロンの、或いはイーヴァの言う通りこれからの事をハッキリさせる決心をしたのだろう。
 しかし、ヴィルヘルミーネの強い――否、強すぎる視線からは目をそらした。そうだろうな、彼女とは関係の無い自分だってあの視線には耐えられない。清廉潔白で強い意志を持った、自分がちっぽけな存在に思えてくるようなカリスマ性。ヴィルヘルミーネという女性はあらゆる意味で強すぎる。

「単刀直入に訊きますが、ダリル殿は師団に戻られる気はあるのでしょうか。その、休職届を出している人物に訊くような事ではないと分かっているのです。だって、貴方は辞職された訳ではありませんから。でも、その、ダリル殿の行動を見ていると、もう師団には戻られないのかと不安になるのです」
「うん、ごめんよ。俺は騎士団を辞めようと思ってる」
「……」

 不気味な沈黙が2人の間に鎮座する。思いの外、あのダリルがはっきりとモノをいった事に対して呆気にとられているようでもあり、「ああやっぱり」という諦念でもあるような形容し難い空気感。見ているこちらですら居たたまれなくなってくる。
 沈黙を斬り裂いたのは、やはりヴィルヘルミーネだった。

「本当に――本当に、辞めてしまわれるのですか?皆がダリル殿の帰りを待っています。勿論、団長である私も。貴方が帰れば、この座は返すつもりです。何か不満があるのですか?次の議会で、私が改善案を出しますよ」
「や、不満は無いよ。それに、今の師団に俺の力は必要ないと思う。ヴィルヘルミーネ、お前はよくやっているさ。……俺が仕切ってた時より」
「そんなこと……!そんな事はありません、私などまだ半人前も良い所です。貴方ほどの騎士は、今の王都にはいません。王都には貴方の力が必要です!」

 ふ、と不意にダリルが笑った。今まで一度だって見た事のないような、穏やかな顔で。

「うーん、上手く言えないんだけど、今日お前達が上手く連携を取って任務に当たっているのを見てさ、俺、安心したんだよ。俺が休職している間に俺より強い奴がいて、もうこの場所に俺は必要ないんだって思ったらもっと焦るもんだと思っていたけど、そうじゃなかったんだ」
「え?」
「だから休んでる間にも王都へは行きたくなかったし、いい歳して感情の整理が付かないのが情けないと思ってたけど、俺はちゃんともう大人だった。俺には多分、集団行動は合ってないんだって分かったんだよ」

 完全にヴィルヘルミーネは口を閉ざした。何か言いたい言葉はたくさんあるのだが、それを上手く言葉に出来ないような、そういった体で。

「俺は今いる仲間と旅をするのが好きだよ。俺みたいなメンタル薄弱者は、師団っていう競争社会の中では生きて行けなかったんだと思う。だから逃げるように仕事は休んだし、帰りたくないなんて子供みたいな事を言ってたんだ」
「ですが……」
「お前は自分のせいで俺が休職してると思ってるみたいだけど、むしろ俺は師団を離れる切っ掛けが出来て良かったと思ってる。今ではね。このまま師団にいたら何してたか分からないところあるし……。ま、だから俺はお前に出会えて良かったよ。やりたい事が見つかった。何で俺みたいなのにそんな懐いてたのかは分からないけど」

 ――間。永遠とも思える沈黙はしかし、お約束のようにヴィルヘルミーネが打ち破った。

「――私は、ダリル団長のそういう所が大好きでした。私が貴方に懐いているのが何故か分からない、そう仰いましたね。私が入団したばかりの頃、周りが私を女だと侮る中で、貴方だけが私と周囲を対等に扱った」
「え、そうだったっけ……?」
「ええ、貴方の事を知るうち、単に誰に対しても関心が無かったのだと気づきましたが、私はそれに救われました。貴方がいなければ、私は早々に師団を辞めていたかもしれません。ダリル殿の台詞は、私のものでもあります。貴方がいたから、今の私がある」

 ですから、とどこか嬉しさ半分、しかし悲哀にも満ちた表情で彼女は別れの言葉を紡いだ。

「さっき、ダリル殿は私に出会えてよかったと仰って下さいましたが――私はそれで十分です。だってその言葉は即ち、ダリル殿が私を認めて下さった、そういう事で良いのですよね?」
「正直、俺は心のどこかでお前を認めたくなかっただけで、名前のある騎士として俺の前に現れた時から認めてはいたと思うけど」
「はい。だからこそ、私は貴方を引き留めてはいけないのでしょうね。私がここで情けなく行かないで欲しいと駄々を捏ねる事は、貴方の信頼を裏切る事になってしまう」
「ああうん。一応、辞めるって負い目があるからね。お前がいてくれるなら、安心して引退出来るよ」

 そう言ってダリルはその手をヴィルヘルミーネに差し出した。彼女は気兼ねすること無く、その手を握り返す。

「私、団長としてこの師団を支えて行きます。から、たまには顔を出して――遊びに来てください。旅をしている仲間と一緒に」
「ああ、また寄るよ。ま、とは言ってもイーヴァちゃんの周りに集まった連中はみんな何かしら目的があるから、また揃って来られるかは微妙だけど」

 憑き物が落ちたように今まであった出来事、情報の共有を始めたダリル達から視線を離し、ずっと聞き耳を立てていた珠希はディートフリートの顔を見上げた。奇しくも、彼もまた彼女を見下ろしていたので自然と目が合う。

「すいません、文句は言いたく無いんですけど、アレには割って入れないです。はい」
「……仲間を捜すのを手伝おう。私の目は人間と比べてかなり良いはずだ。勿論、鼻も」
「ありがとうございます。お願いします……」