第2話

10.


「どうする?道を変えるのも手だけど、出発が1日遅れる」
「……敵意のようなものは感じぬ。何事も無かったように通り過ぎるのが吉であろうな」

 そう言ったフェイロンの声音からはハッキリと警戒の色が見て取れる。対するダリルはむしろ肩の力を抜いたようだった。

「賊か何かかな。追い剥ぎとかだったら危ないから、イーヴァちゃんと珠希ちゃんはあまり俺から離れないでね」
「あ、護衛って言ってましたもんね。お仕事」
「……ああ、うん。そうだよね、仕事仕事。俺、そういえば護衛の仕事やったたんだった。もっとちゃんとしないと、後で損害賠償とか請求――」
「ダリル、それどころじゃないから」

 今の発言のどのあたりが地雷だったのか。唐突に目から光を失ったダリルはブツブツと何事かを呟いている。過去に何かあったとしか思えないが、後輩云々言っているし前の職場で大きなトラウマでも抱えたのではないだろうか。
 気を取り直し、どことなく隊列を組んで先へ進む。道とは言っても人が通れるだけ木を伐採してあるだけの、ほとんど獣道のようなものだ。視界は悪いし、いきなり人が飛び出して来ても可笑しくはない。
 戦闘をロイとフェイロンが歩き、少し離れた後ろをダリル含む非戦闘組が続く。いつもは呑気なフェイロンでさえピリピリしていると、事態が思いの外深刻のように思えて緊張感が増すようだ。

「開けてる……」
「随分、堂々と待ち伏せするなあ」

 感心したような声を上げたダリルが背中に負っていた大剣の柄に手を掛けた。最後尾を着いて行っていたのでよく見えないが、ダリルが走ってフェイロン達に追い付いたので事の全容が明らかになった。
 まるで広場のように、或いは休憩所のように木々が刈り取られた丸いスペース。芝生が生い茂るそこはちょっとした公園くらいの広さがあるだろう。
 柔らかい太陽光が降り注ぐ中、そのスペースには先客がいた。一組の男女だ。
 女性。軽くウェイブの掛かった長髪に仄暗い赤色の双眸。黒い西洋の喪服のようなものを着用しているせいか、顔色が悪く見える。病的な美人という言葉が相応しい女性だが、目の色と雰囲気からして人間では無さそう。
 男性の方はどこかで見た事のあるような出で立ちだった。雪のように白くてごわごわした、癖のある長髪――そうだ、カモミール村の出入り口でお面の人と話をしていた男ではないだろうか。まじまじと観察して分かったが、両の双眸は完全に獣のそれである。彼も多分、人ではない何かなのだろう。
 ――あまり気づきたくはないが、先程から男の方とはずっと目が合っているような気がする。

「フリオ!やっと見つけた!」

 一番に声を発したのはロイだった。その言葉には詰るような響きが僅かながら込められている。フリオと呼ばれた男は目を眇め、心底面倒臭そうな顔をした。思いの一方通行感が否めない。
 場が混乱する中、状況を素早く把握したのはやはりフェイロンだった。

「ロイ、主が捜していたのはこの男か?」
「ああ!アホな事言って村長を暗殺、村を飛び出した俺の親友だ!」

 ロイの台詞のどこかの部分に対し、フリオが顔をしかめた。今のキーワードが一杯詰まった言葉の中の、どれが気に触ったのだろうか。
 無言を貫いているフリオに対し、相方の女が「ちょっと」、と難色を示した。

「彼、アナタの知り合い?そんなのがいるなんて、アタシは聞いてないけれど?」
「誓って言うが、これはただの偶然さ。大陸なんて、所詮は狭いものだよ」
「ふぅん……。取り敢えずはその言葉を信じてあげようかしら。面白そうな事になってきたし」

 クスクスと綺麗な冷笑を浮かべる女がフリオの肩に手を置いたが、それは間を置かず払われた。相変わらず女は可笑しそうに嗤っている。

「噛み合ってない」
「え?どうしたの、イーヴァ」
「ロイはあの人を捜してたみたいだけど、あの人の方はロイを捜してたわけじゃなさそう。なら、あの人は一体何を捜していたのかな」
「あー……確かに」

 チラ、と先程じーっと見られていた事を思い出す。捜している誰かとは、自分なのかイーヴァなのか。
 思考はしかし、無視されていたロイの憤慨したような怒鳴り声で中断させられた。

「フリオ!お前、いい加減目を醒まして真っ当に生きろって!」
「チッ……。何だい、まだ村長の件を根に持っているのかな?あれは謂わば正当防衛。お前に詰られるのはお門違いさ」
「いや、村長の話は脇に置いておけよ!」
「置いたら駄目だろ、人が死んでるんだぞ……!」

 何故か尤もな事を諭されたロイだったが、フリオのある種正論は彼に全く響かなかったらしい。なおも言葉を続ける。

「いいか、お前俺に言ったよな!人類滅亡させる、とか寝言みたいな事を!」
「……言ったね。けれど、私がその考えに至るのは必然だと思わないかい?ああ、混血を害する側の人間に説明したって分からない――」
「そうじゃないって!お前、大陸ですら何十万の人間が住んでるんだぞ!?人類滅亡とか無理だろ、常識的に考えて!そんなアホな事に人生費やすなら、別の事した方が絶対に良いだろ!」

 先程、目が覚めるような正論を言ってのけたフリオに対し、これまたド正論で返すロイ。ただし、その正論を説いた人物が正論を無視しているという訳の分からない状況なので場の解釈は混乱を極めている。
 萎えたような盛大な溜息を吐いたフリオは、それ以上の問答を止めたらしい。完全に親友であるロイを無視する姿勢を取っている。

「何だか壮大な計画だなあ。俺が混血側だったら面白そうだ、って乗ってたかも」
「ダリル殿はユーモアに溢れていて柔軟な思考回路を持っておるなあ」
「えぇ?フェイロン程じゃないと思うけど。あ、もしかして今の言葉、皮肉だった?」
「まさか、俺がそのような陰険な皮肉を言うものか!はっはっは」
「うわー、嘘が白々しい!あははは」

 和やかに会話する大人達を背後に、ロイが背負っていた槍を手に取った。戦闘に発展しかねない展開に、フリオが再びその視線をロイへと戻す。一触即発の空気に、フリオと並んで立っていた女の方がクツクツと嗤った。