04.
壁伝いに進んでいたその時だった。かちっ、と何かを押し込む音が手元から聞こえて来たのは。
「え?な、何か押しました!今!!」
「ハァ?ちょっと、何をやって――」
イザークさんが私を咎めるより早く、ガゴン、という何か重い物が動く音がした。ぎょっとして息を呑み、硬直する。少し前を歩いていたアレクシアさんもまた、珍しく険しい顔をしていた。
「壁が開くわよ。成る程ね、このフロア、上より少し狭かったのかもしれないわ。隠し部屋の分」
「冷静な事言ってる場合じゃないですよ……!もし、管理人とか言うのがいたら!」
「管理人がみんな人を変死体に変える趣味があるとは思えないけれど」
「何でも良いですけど、開きますよ」
壁が横にズレていく。その前にイザークさんが立ちはだかった。私の護衛を優先、というラルフさんの有り難いお言葉はちゃんと彼にも届いているようだ。
冷気が『バリア』を貫通して頬を撫でる。
このフロアに来て初めて明確に寒いと感じたが、動いた壁の向こう側の冷気が抜けてしまえば、従来通りの暑くも寒くもない気温にバリア内が戻った。何故、今、技能を貫通したのか。
それを考えるより早く、「うわっ」、と珍しくもイザークさんが声を上げた。中を覗き込もうとしたが、アレクシアさんに阻まれる。その彼女はと言うと果敢にイザークさんの隣に立ち、それを覗き込んだ。
「あー、こういう感じね……。把握したわ。このフロアの管理者も相当な変人だって」
「アレクシアさん、何があるんですか?」
「君は見ない方が良いんじゃない?卒倒されると困るし」
そう言われると余計に気になるというものだ。私は深く考えず、イザークさんを押しのけてその部屋を覗き込んだ。
――息が止まる。
それはまるで巨大な冷凍庫だった。
ただし、並んでいるのは新鮮な魚介類でも、ましてや食肉類でもない。
「ひ、人じゃないですか、これ!?」
病院にある診療台のようなものに寝かされた、人、人、人、人――
冷凍食品のように並べられたそれはどれも凍り付き、腐敗していない。現実逃避した脳が、人によく似た人形だと答えを導き出したが、冷静な部分が否定する。人形であるのならば、わざわざこんな部屋を用意して氷付けにする必要は無いと。
端から人数を数えようとして、すぐ馬鹿馬鹿しくなった。
とにかく大人数だ。そうとしか言いようがない。
「――上のフロアで行方不明になってる連中、この中にも混ざってるかもしれないわね」
「へぇ、身体のパーツが無くなる人間もいれば、全部行方不明の人間もいるんですね。問題はミソラがこれを運んでギルドへ戻れるか、って話ですけど」
「無理ね。管理人に足が着いたら嫌だし、それをするのはあたし達の仕事じゃないわ」
ゆっくりと氷付けの遺体に近付いたアレクシアさんが、その顔を覗き込む。一番手前にあったのはお下げの少女の遺体だ。眠っているように目を瞑っているが、その睫には細かい氷がキラキラと輝いている。
何歳くらいだろうか。私と同じくらいにも見えるし、もう少し幼くも見える。
「悪趣味だけど、何なのかしらね。どうしてこうしたいと思ったのか、理解出来てしまいそうになるって言うのかも」
「止めてくださいよ、アレクシアさん!理解出来るようになるって事は、つまり――」
「それ以上は言わないでいいわ。あたしには芸術の為に人間を氷付け遺体にする、なんて到底出来ないもの」
アレクシアさんの言いたい事は分かる。
誰も言いはしないが――そう、それはまさに芸術品のような危うい美を持っている。何故、こんな事をしたのか。それそのものは予想出来るだろう。ただし、どうしてこういう発想に至ったのか、何故人間に対してこんな仕打ちが出来るのか。それを理解する事は出来ない。
つまり、この空間を生み出した『誰か』とは人間の持つ闇が生み出した怪物であり、狂人であるとしか言い表せない。
悪くなる気分。それでも目の前の光景から目を離せない。
解凍してしまえば、今にも動き出しそうだ。
「――出るわよ。こんな景色、目に毒だわ。小さい子供を連れて行っちゃいけない場所、ワースト1位になれるでしょう、こんなの」
「この人達、地上に連れて帰らなくていいんでしょうか?寒いだろうに……」
「ミソラ。あたし達も、命懸けでここにいるのよ。人の事を気にしている場合じゃないわ。それに、管理人は迷宮を出ちゃいけないなんて決まりはないのよ?報復しに来たらどうするの?」
こんな狂った空間を創り出した何者かが報復に来る――
少しだけ躊躇った私は、結局その氷像達に背を向けた。そんな私に対し、アレクシアさんは今見た光景に触れること無く今からの話をする。
「さ、こっちも収穫があった事だし、ラルフ達と合流するわよ。まさか、壁にスイッチなんていう軽率な仕掛けのある場所に階段を置いてるとは思えないもの。ここに階段は無いわね」
「同感ですね。ミソラ、運んでよ」
すっかり私の移動技能の便利さを知ったイザークさんが肩に手を置いてくる。アレクシアさんもまた私の腕を掴んだ。