第5話

01.


 重く澱んだ空から絶え間なくシトシトと水の滴が落ちてきている。それは決して強い雨ではなかったが、確実に身体から体力と体温を奪って行き煩わしい事この上無かった。濡れた服が重い。眼に水が入るので、早々に飾りと貸していたゴーグルを装着した。
 少し離れた所にある、居心地の良い温かいギルドを恨みがましく見つめた私は、ようやく離れていた現実へと焦点を合わせる。

「現実逃避は終わった?続けていいかな?」
「あのー、いつまでやるんですか、これ。私より体力ありそうなイザークさんとか、もうぐったりしてますけど……」
「それはミソラ。君が新しい技能を会得するまで、何時間でも続けるよ」

 穏やかに笑うフェリアスさんの隣では降って来る雨を弾きながら無表情で立つコハクさんの姿も伺える。何度も言うようだが、ギルドは少し離れた場所。つまり、ギルドマスターと受付嬢が何故かギルドを離れた土地に突っ立っている事になる。
 膝を突いて肩で息をしていたイザークさんが、ようやっと立ち上がる。顔色があまり良く無いし疲れ切っているのがひしひしと伝わって来るようだ。私よりアクティブに動き回っていたのだから無理もない。
 イザークさんは研修制度のせいで私に付き合わされているのだが、この状況に陥る少し前から憎まれ口を叩かなくなった。何事かに集中している間は人を罵倒しないらしい。
 ――どうしてこんな事になったんだっけ。
 私自身には似付かわしくない戦闘風景に眩暈さえ覚える。そうだ、切っ掛けはおよそ3時間前。昼前のまだ温かいギルド内にいた時だったと思う。

 ***

 ――3時間前、午前中。

「ラルフさんは、その、あれですか?今から……依頼に?」

 人はそこそこいるギルド内、一つのテーブルに腰掛けた私はその頃、アレクシアさんとエーベルハルトさんを含むアレクシアパーティとお茶をしていた。私にとっては暇潰しのお喋りで、彼等にとっては依頼へ行く前の休憩時間だったのだろう。
 ともあれ、私の問いに対しラルフさんは珍しく曖昧な声を漏らした。

「どうしたものかな……雨だと気が滅入る。エーベルハルト、君は今日、何か依頼へ行く予定なのか?」
「雨が降っている場所であまり剣を振り回したくないので、ご遠慮します。行くならお二人で――いえ、ミソラさんも連れて3人でどうぞ」

 エーベルハルトさんの言葉に、思わずテーブルに立て掛けてある大剣を見やる。恐らく、私のような貧弱な腕力では持ち上げる事すら叶わないであろう重量級の得物だ。今時珍しいとしか言えない。
 そもそも、剣とは連合が開発した――開発してしまった銃器の類にお株を奪われてしまった。手に凶器を持って相手へ斬り込むより、引き金一つ引いて相手を撃ち殺す方が簡単だと、人類が気付いて以降の武器類の衰退と言ったら目も当てられない。

「そういえば、エーベルハルトさんはどこで剣術を学んだんですか?というか、剣術?」
「剣術じゃないですね。某国にて騎士業をやっていただけですよ」
「えっ、公務員って事ですか!?何でギルドで働いて……」

 馬鹿ミソラ、とアレクシアさんが可笑しそうに笑った。やや悪意の滲むその顔は今から意地悪な事言う、と予告しているかのようだ。

「今、騎士団を持っている国の数はゼロよ。つまり、エーベルハルトは前の職場をクビになったって事!アンタ、なかなか皮肉の効いた事言えたのね」
「うわっ、別にそんなつもりじゃなかったんですよ、エーベルハルトさん!」
「今更遅いわよ、ミソラ。それに間違っちゃいないんだからいいじゃない。騎士の大粛正なんて歴史的大事件なのに、最近の子は知らないのね」

 自分のルーツすら知らない者が、世界のルーツなんて知る由も無い。ギルドへ来る前の記憶なんて朧気で、世界的事件を認識するのなんておよそ不可能というものだ。面倒だし、説明も出来ないのでアレクシアさんへそう抗議する事は無いけれど。
 しかし、私の事情はエーベルハルトさんの苦々しい咳払いと目がちっとも笑っていない不気味な笑みによって思考の海深くに再び沈んで行った。

「えー、俺の名誉の為に一応補足説明しておきますけど、厳密に言えばクビになったわけではありません。騎士から連合の兵士に転職するよう上司から言われたのですが、王ではなくなった上司に従う義務は無かったのでお誘いを蹴っただけです。つまり、辞職と言った方が適当だと思いますよ」
「成る程。その君が名前を言いたがらない某国と言うのは連合国になり、王政が廃止されたわけか」
「ええ。他の国が辿った末路をそのままコピーしたようなものですよ、全く笑えませんねえ、はい」

 連合の意志が王政を廃止したがる理由は実に単純だ。民衆の二重支配を避ける為である。民衆が国王に従い、その国王を連合が従えるという構図を嫌ったのだ。この辺は流石に有名な話である。
 そしてお国の背景に流されてしまったが、絶滅した騎士という種は銃が出現する前における最も恐ろしい集団であったと言えるだろう。重い装甲を纏った、歩く要塞。それは如何なる刃物をも弾き、如何なる敵も両断した――と過去形で今をもっても語られている。

「何か、銃器のせいで騎士はもう駄目だー、なんて言われてますけど、実際はどうなんですか?」
「ミソラ、この間スケルトンロードをほぼソロで殴り倒したのは誰だった……」
「あっ」
「そういう事だ。重い甲冑を脱いでしまった故に刃物類に対して無敵ではなくなったが、彼等の強さは間違い無く現役さ。事実、狙撃出来るライフルを持っていなければ彼等は今もロードローラ並の殲滅機能を備えている」

 前々から滅茶苦茶な強さだとは思っていたが、その理由が判明した。エーベルハルトさんを戦闘狂とか言って馬鹿にするの、もう止めよう。