10話 無神論者達の教会

02.信じない者の祈り


 今回も例に漏れず、クエストを紹介してやろうと口を開いた。

「何がお仕事をするのはどうですか? 近場のクエストでも、遠出のクエストでも今日はたくさん新着が――」
「もしかして、俺の事を体よく追い出そうとしてる?」
「……あ」
「そうなんだ、ふぅん? 俺はさあ、暇だから来たって言ったよね。クエストしたいなんて一言も言ってないじゃん」

 ――マズい、めっちゃ怒ってる!
 唇は三日月のように吊り上がり笑みの形を作ってはいるが、目がちっとも笑っていない。もうこれは笑顔ではなく、限りなく真顔に近い表情だ。
 血の気が引くのを覚えつつ、急場凌ぎの怒りを緩和する対策を打ち立てる。

「し、シリルさん」
「なに」
「これ、私の親指をよく見ていてください」

 簡易マジックでお茶を濁そう。瞬間的にそういう結論に至り、私は例の親指が消えたように見える目の錯覚系マジックを行うべく構えた。
 頬杖を突いたシリルの視線が親指に注がれる。

「じゃあ行きますよ……それ! はい、親指が無くなっちゃった!」

 外国とかだと意外にもウケが良いらしいマジック。親指が取れた瞬間、シリルが僅かに目を見開いた。これは恐らく驚いている。

「ん? え? ……親指取れちゃったじゃん、魔法? それとも俺にビビってマジで取っちゃった訳?」
「魔法じゃ無くてマジック……手品です。私の親指も無事ですよ」
「本当だ」

 手をひらひらと振ると、今度こそシリルはにんまりとした笑みを浮かべた。これは乗って来たのではないか? さっきまでの恐い顔よりずっとマシな表情だ。

「それどうやってするの? 俺にも教えてよ」
「分かりました。じゃあはい、裏面はこうなっていて――」

 シリルに親指が消える手品の種を教えた。言動はマイペースなのだが、どうやら一般教養はきちんとあるし、何より頭は良いらしい。教えた事をすんなりと飲み込み納得するように頷いている。

「ふーん、理解した。1回しか使えなさそーだけど、サイモンにも見せてやろっと!」
「え」

 意識の奥底に眠る記憶は正しかった。やはり彼はサイモン関係者なのだ。
 ――恐ろしい事になる前に、相談室から出て行ってくれ~。
 心中で信じた事も無い祈りを神へと捧げる。信仰心もクソもないが、何もしないよりはマシと腐った脳味噌がそう判断したのだ。

 かくして、願いは聞き入れられた。コンコン、とギルドには珍しく落ち着いたノックの音。はい、と返事をすると間髪を入れずして相談者が入ってきた。この躊躇いのなさ――シリルは表の札を返し忘れているのだろう。
 入室した人物は先客がいる事に驚き、僅かに目を見開いた。

「す、すまん。客がいるとは思わなかった……」

 最近あまり姿を見掛けなかった、神職者――ドラホスだ。シリルとは対極の位置にいるであろう穏やかな人物の登場に、私は胸をなで下ろす。彼は確かに少し心中が臆病な所もあるが対人においては強いカード。元から穏やかな気質に加え、見た目はゴリゴリに恐く、話し合いをスムーズに出来る交渉の才能を持っていると言っていい。
 問題児とはいえ、精神年齢が低そうなシリルをあしらうなど簡単だろう。何故か私は特に根拠も無く全幅の信頼をドラホスに寄せていた。

 しかし予想はあっさりと裏切られる。出会って十数分のシリルは途端に眉根を寄せて嫌な顔をする。この僅かな時間の中で最も不機嫌そうな顔と言っていい。
 対してドラホスは表情こそ変わらないものの、顔が強張っているのが見て取れる。臆病な心が出ているのではなく、頑なな意思を感じさせるような珍しくも強気な姿勢だ。なんだ、何かの化学変化か?

「はあ? 何でお前がここにいるのさ。ウザ……気分悪くなったんですけど」
「ここは相談室。お前は表の札を返し忘れているので、相談者である私と鉢合わせをした。それだけの事だ」
「聞いてる事の答えになってないんだけど」
「そうか。お前の方こそ相談室に何をしに来た? 相談している訳ではないのならば、シキミに迷惑だ。早々に去るといい」

 ドラホスが発するイメージの無い淡々とした棘のある言葉に思わず目を剥く。知らない、こんな関係性は知らない。ゲーム内では描写の無かった相関図が2人の間に存在している。
 ややあって折れたのはシリルだった。不快感を隠しもせず盛大な溜息を吐き、椅子から立ち上がる。

「戻るわ。クソみたいな気分になったし」

 そう吐き捨てるように言い、相談室から出て行ってしまった。少し可哀相なような、よくよく考えてみたら疫病神以外の何者でも無かったような微妙な気持ちが心中で燻る。