10話 無神論者達の教会

01.シナリオ未踏破


 久しぶりの穏やかな午後を、私は相談室で過ごしていた。最近入荷した季節もののフルーツティーをゆったりと飲みながら雑誌を広げ、最近のトレンドをチェックする。理想の穏やかな午後だ。
 とはいえ、その前払いと言わんばかりに午前中は心底忙しかった。目が回るとはこの事で、私用で相談室をすぐに閉めたりしていたせいか相談者が列を成していたのだ。聞いてみたらどれもこれも大した事では無さそうだったけれど。

 だが、そんな午後の雰囲気は一瞬でぶち壊される事となる。バンッ、という勢いのあり過ぎるドアの開閉音。ぎょっとして顔を上げるも自分で引いたカーテンのせいで相手の顔は見えない。

「お邪魔ぁ。ふーん、ここが相談室? マジでギルドじゃないみたーい」

 変に間延びした少し高めの男声。しかし、その声で全く誰だったか思い出せず、私は顔を青ざめさせた。
 いや、確実にゲーム内に登場する攻略対象なのだが、名前と顔が出て来ない。聞いた事はあるような声だし、明らかにキャラが立っているのでモブではなさそうだ。

 黙っていると遠慮も何も無く入って来た男は目の前の椅子にどっかり腰掛けた。座高が高い。つまり恐らくは身長も高いという事だ。

「――こんにちは」
「はいはい、ちわー。つーか、ここが相談室なんだよね? カーテン邪魔じゃね? 開けてよ」
「匿名じゃ無くなっちゃうけど、良いですか?」
「いーよ、別に」
「分かりました」

 カーテンをスルスルと開ける。顔面を視界に入れた瞬間、何者だったのかを理解した。濃紺色の短髪に水底を連想させるような深い色の瞳。どことなく人外っぽい雰囲気――彼の名前は確か、シリルだ。
 完全にノーマークだったので個別シナリオはクリアしていないし、積極的に関わらなければメインのストーリーにも絡んで来ないのですぐに顔と名前、そして声が繋がらなかった。
 公式サイトの説明によると、彼は人間とウンディーネの混血児らしい。正直な所、あまり詳しくは知らないが。

 巷では無自覚サイコ、サイモンの系譜を継ぐ者など散々な言われようだったはず。あれ? この人、サイモン関係者なんだっけ? それすらよく分からん。
 沈黙していると、不意にシリルがにんまりと笑みを浮かべる。子供のような無邪気さでありながら、悪巧みをしていると分かる顔だ。

「ねえ、俺が誰だか分かる? メンバーの事なーんでも知ってるって聞いたよ」
「ちょ、っと待ってくださいね」

 名前を間違えると失礼なので、ダブレットを用意する。中を覗き込まれるのは困るのでシリルに画面が見えないようにだ。
 検索欄に名前を打ち込んで検索。すぐに履歴書じみた個人情報がぱーっと出て来た。顔写真を確認し、間違いなく目の前の彼が『シリル』であると確認する。

「ええ、はい。シリルさんだよね?」
「そーそー。よく分かってんじゃん。それで、それは何なの? 板みたいなやつ」
「これは商売道具なので」

 何をしてくるか分からない恐怖に、画面を消したタブレットをカウンターの下に滑り込ませる。途端、シリルはぶすっとふて腐れたような顔をした。

「あー! 何で隠しちゃうのさ!」
「個人情報なので、勝手に触られるのは困ります。というか、私達初対面ですよね?」
「はぁ? 何当然の事言ってんの。今さっきあったじゃん」

 ――あまりにもノリが友達的過ぎるから近い、つってんだよ!
 心中でツッコミ、咳払いをして誤魔化す。距離感がバグっているので、コミュニケーション能力を一から勉強し直してきて欲しい。
 情緒が不安定なのか、すぐに怒り顔をしてみたり、かと思えば機嫌が上昇したりと扱いも難しい。彼の事は全く知らないのだが、数分話しただけでサツギルに登場するキャラクターとして当然の貫禄を持っていると気付かされた。

 しかし、ゲーム内ではサツギルっぽい、という言葉は最上級の褒め言葉ではあるが現実はその限りではない。むしろ最悪の悪口でもある。サツギルっぽい人=リアルでは絶対に関わりたく無い人、だからだ。
 そしてゲームを遊んでいるこちらの経験法則としては、感情の起伏が激しいタイプはすぐに手を出してくる。オルヴァー然り、プロシオ然りだ。予測ではあるが、目の前のシリルも例に漏れないだろう。

 長い会話は危険。そう判断し、職務を全うするべく私は口を開いた。

「それでシリルさん。何か相談があったんじゃないですか?」
「急に本題に入るじゃん。まあ、良いけど。別にぃ、相談とかは無いんだよねー。ただ暇だったから来てみただけで」

 ――実はこういう相談はよくある。普通はこんなクソみたいな理由で相談室を跨ぐ人間などそうそういないが、このギルドでは1日に1件はこの手の相談を受けるくらいだ。
 暇ならクエストにでも行けと思うのだが、私の気持ちは大抵の場合伝わらない。相談に乗るフリをして毎度クエストの斡旋をしている。