9話 爆炎キョウダイ

10.終着点


 盛大な音を立てて着弾した水の球は一瞬にして局地的に雨が降ったかのように、周辺を水浸しにした。当然、運動能力も高い兄弟はボールを回避したが、それでも完全に避ける事は出来ずに頭から水を被っている。
 さながらゲリラ豪雨に降られた哀れな人間。無言で全身から水を滴らせている様は、彼等がサツギルの住人で無ければ哀れみの視線を向けた事だろう。

 二対の双眸がギロリと私を捉える。気分は蛇に睨まれた蛙。身動ぎ一つ出来ず、ただただ私は硬直して息を呑み、背筋をじっとりと冷や汗で濡らした。
 言うまでも無い。言うまでも無く――大層お怒りの様子だ。冷静になって考えてみれば、いくら危険な喧嘩を繰り広げているとはいえ、断りも無しに頭から水をぶっかけるという方法は常識外れだった気がする。

「やった、取り敢えず一旦、喧嘩を止めたわ!」
「多分喜んでる場合じゃないよ、スピサちゃん……。ガチ切れだよこれ。消し炭にされるって」

 ここに来て大変可愛らしい無邪気な笑みを浮かべる末っ子、スピサ。一瞬だけほのぼのとした気持ちに駆られたが、すぐに命の危険が押し迫っている事に気付いて気持ちが冷める。
 危険度が上がっていると気付かない様子のスピサは、兄達に用件を切り出した。空気が読めないって凄い。無敵である。

「聞いて、お兄ちゃん!! 依頼書の再発行の仕方を、彼女に教えて貰ったの! これで、クエスト失敗にならないよ!!」
「なに?」

 正気に戻ったのはスタフティだった。大きく瞬きを繰り返し、妹の言葉を反芻する。ややあって、事態が呑込めたのか、切実な表情で再確認した。

「依頼書は……再発行出来るのか!? な、なら――」
「うん! お兄ちゃん達が喧嘩する必要は、もう無いんだよ!!」
「そうか……。悪かったね、スピサ。ちょっと頭に血が上ってしまって。そうと決まれば、早速ギルドに戻って依頼書を再発行! してもらおう!」
「うん! うん、そうだね!!」

 IQが著しく低下していたらしいスタフティの表情に知性が戻る。落ち着いた面持ちの青年に早変わりした。晴れ晴れとした顔に依頼書の件で本当に憤っていた事が窺え、その事実にちょっと笑いそうになってしまったが。
 美しい兄妹愛――しかし、ここでとんだダークホースならぬラスボスが苛立ったように声を荒げた。

「はぁ!? 依頼書が何だってんだよ!! いいから、夕飯は好きなモン食え!!」
「いやだから、夕飯は関係無いって言ってるだろ!! 兄さんは本当に人の話を聞かないな!!」

 一人納得していないのはプロシオだ。何せ、彼だけ違う土俵で戦闘を繰り広げていた奇跡的な馬鹿。そりゃ突然、依頼書の話をされても意味が分からなかったのだろう。何故この会話の流れで夕飯の話を引っ張るのかはまるで理解出来ないが。
 そこからの流れは一種の様式美だった。怒り散らかしたプロシオが戦闘を続行。それを止める為、スタフティとスピサ、そして何故か巻き込まれる形で私まで戦闘に参加させられた。
 発火してから燃え広がるまでがあまりにも早すぎる。身内達の急展開について行けない私は終始困惑するしかなかった。ゲームの時はテキストさえ読み飛ばして秒でイベントをクリアしていたが、現実になるとこんなに大変なのか。二度と巻き込まれたくない。

 手当たり次第に爆発させようとする爆破魔が、次から次にお得意の魔法を撃ち込んでくる。それをスピサが防御魔法でギリギリ耐え、隙を突いてスタフティが反撃。私は時折、水魔法を蒔いて炎の鎮火――気分はさながら消防士である。
 それでもやはり3対1。徐々にではあるが、プロシオの猛攻を押し返しかけている。このまま続ければ、いずれは消耗して結果的に勝利出来そうだ。

 そう――何事も起こらなければ。

「アナタ達、まぁだ喧嘩していたのしらん?」

 朗々たる声。艶っぽくもあり、それでいて威圧的だ。誰のものかなど、確認するまでもない。全く同じタイミングで長男と次男の撃ち合いが終幕した。先程まで爆発音が響き渡っていたミール湖に、相応しい静謐が帰ってくる。

 建物の隙間からひょっこり現れた三児の母、ラヴァは笑みすら浮かべていた。ただし、面白おかしくて笑っている類いのものではない。冷たい氷の中でマグマが煮えたぎっているかのような、冷たく高温で新鮮な怒りの感情。
 血の繋がりが無い私でさえ「あっ、これマズいやつ」とそう思ったのだから身内三名の恐怖たるや、想像に難くない。

 幸いにも――本当に幸いな事にも、私は血の繋がりの無いただの一生徒。ラヴァの怒りからはラッキーな事に対象外だった。
 母はそんな私に取り繕ったような笑みを手向けると、微笑んで言葉を紡いだ。

「ちょっと待っていて頂戴ね、シキミ。悪い子には躾をしなければならないわん」