9話 爆炎キョウダイ

03.末っ子の訴え


 ***

 ミール湖の街に到着した。
 この街は対岸が見えない程大きな湖の畔に作られた街で、漁業が盛んらしい。私がまだ日本人だった頃、近くに海はあったが湖は無かったのでいまいち光景のスケールが認識出来ない。抱いた感想はと言えば、大きな湖だな、という情緒もへったくれもないものだった。
 更に街は閑散としており、人影は一切無い。まるで廃村のようだが――

「お母さん!?」

 聞き覚えのある可愛らしい声で我に返る。見れば、街の入り口で不安そうに佇むスピサの姿があった。
 彼女の姿をまじまじと見つめる。燃えるような真っ赤な髪は完全に母であるラヴァ譲り。そして、サラマンダーの性質とは違う透けるように白い肌。これは父譲りなのだろう。更に言えばラヴァと比べてかなり小柄だ。
 とはいえ顔立ちは母そっくりなので、DNAの強い力を感じるのもまた確かなのだが。

「スピサ、無事で良かったわ。ギルドの受付が、血相を変えて救援要請が来たと言っていたけれど何かあったのかしら?」
「ああうん、それが……」

 末っ子は気まずそうに言い淀んだ。彼女の様子を見るに大きな怪我は無いようだ。こちらへ駆け寄って来た足取りもしっかりしたもので、救援が必要そうには見えない。
 という事は一人ではどうしようもないトラブルに見舞われたのだろうか? いやだが、兄弟達と一緒だったはず。何が起きているのか判断出来ない。
 加えてスピサは口を開くのが億劫のようで、困った顔をしている。痺れを切らしたラヴァが優しく諭すように言葉を紡いだ。

「黙られたら困るわ。貴方はギルドに救援を依頼し、それは受理された。妾達の救援を無為にするつもりかしらん?」
「で、でも……まさかお母さんが来るとは思わなくて、その、怒らない?」
「……確約は出来ないわねぇ。けれど、貴方にそのお口を閉ざすという選択肢は無いはずよ」

 覚悟を決めたかのように、スピサが頭を振る。ややあって小さな口を開いた。

「それが……今日はお兄ちゃん達とクエストに来ていたのだけれど、その、急に喧嘩を始めてしまって。と、止めようとはしたの! でも、でも止まらなくてぇ……!!」

 最後の方は最早、涙声だった。
 たかだか兄弟喧嘩、と思うかもしれない。だが兄2人の喧嘩はサツギルのプレイヤーであれば大抵の場合は顔をしかめるようなイベントだ。彼等はあくまで精霊という括りの存在であり、人間よりずっと丈夫な存在。彼等の喧嘩は、素人から見るとただの殺し合いである。

 とはいえ、親子の会話に水を差す事も出来ない私は心中で合掌した。本来ならばプレイヤーであるヒロインが介入してくれるイベントを、末っ子のスピサ一人で抑えられるはずもない。
 ゲームでは予定調和のようにヒロインが喧嘩を仲裁するが、そのヒロインであるベティはデレクの個別シナリオに入ってしまった。仲裁するべき存在がいないと、こういった事になるのか。やはり、リアルに予定調和など存在しない。

 娘の涙ながらの訴え。対する母・ラヴァは眉根を寄せた。困惑している様子ではなく、非常に冷え冷えとした目である。

「あらあら……。ウチの子達は満足にクエストもこなせないのかしらぁ……。妾の躾が甘かったようね。うっふふふ、さあ、どうしてやろうかしらん」
「ご、ごめんなさい……!」

 小さく震えているように見えるスピサが、一歩、二歩とラヴァから距離を取る。母子関係について私はよく知らないが、ラヴァはシナリオで垣間見る限り教育ママだ。クエストを喧嘩のせいでこなせないなど、憤慨するに違いない。
 家族間のお話し合いに首を突っ込みたくないが、私は極めて自然に口を挟んだ。スピサにはゲームで散々世話になっている。彼女は私の事を知らないが。

「喧嘩は分かりましたけど、そもそも街に人がいませんね。廃村みたい」
「ミール湖の街には、住人がいないのよ。誰でも知っている事だけれど……。シキミ、アナタはもうちょっとギルドの外に出た方がいいわねぇ」
「あ、そうなんだ。いやあ、世間知らずですいません」

 ラヴァがこちらの話題に乗って来た――というより、身内では無い私の存在を思い出したようだ。母は刺々しい息を肺から押し出すように吐くと、先程までの冷え切った双眸を治めた。

「そうだわ、スピサ。アナタ、クエストはどうなったのかしら? 勿論、終わらせてから喧嘩なんて始めたのよねん?」
「うん、それはちゃんと終わってる」
「情けないわねぇ、クエストとは無関係の喧嘩如きで救援依頼を出して……。さあ、馬鹿息子達はどこへ行ったのかしら」
「あ、それが――」

 瞬間、スピサの言葉を遮って掻き消す、盛大な爆発音が周囲に響き渡った。