09.顔面認証システム
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「よお、おかえり」
楽屋へ戻ってみると、アリシアとルグレが優雅にお茶していた。状況を忘れてしまいそうになる長閑さだ。が、彼等の足下に転がった男達がこれでもかと現実を突きつけてくるので、彼等も彼等で一仕事終えた後のブレイクタイム中だったのだろう。
それにしたってよくこの状況で茶をしばけるな。吃驚だ。
気にした様子も無くシーラが2人へ現状を報告する。静かに耳を傾けていたルグレが、実に胡散臭い爽やかな笑みを浮かべた。
「それはそれは、お疲れ様でした。貴方も何か飲みますか? シーラ」
「うん。甘い飲み物が良い」
「そんなものありましたっけ?」
立ち上がったルグレが勝手知ったる調子で楽屋を漁り始める。遠慮がなさ過ぎなのではないか。
ところでさ、とアリシアがリリカルへ向き直る。
「これからどうするの? 粗方、やるべき事は終わったんじゃないの?」
「解散を伝えに来たんだよ! 報酬は勿論、ギルドのルールに則ってお渡しするからね」
「そりゃそうだわな」
リリカルとの打ち合わせを終えたアリシアが何故か私の方を見る。どころか、立ち上がって目の前までやって来た。今すぐ逃げ出したい気持ちに駆られる。
「お前も、また今度クエストに誘うから。支度しておけよ」
「……はい?」
「良い返事。それじゃあ、ギルドに戻ろうか」
真意を問おうとしたが、それを許さないとでも言うかのように、スタスタと彼女は優雅に歩き去ってしまった。
***
リリカルの楽屋襲撃過激ファン事件から数日が経った。
実は今日、件のアイドル様にアポを取っている。こちらから窺うと言ったのだが、彼女の方がこの相談室へ来てくれるとの事。数日前のお礼らしい。
「お邪魔しまーす!」
明るい声と同時、ドアが開け放たれる。いつもの可愛らしい衣装に包んだリリカルだ。こちらから呼んだので、カーテンを開ける。
「ごめんね、私みたいな下々の民が天下のアイドル様を呼び出してしまって」
「いいんだよ、私とあなたの仲だからね!」
「ええ……」
「それで、私に聞きたい事って何かな?」
念の為、ドアがきちんと閉まっている事を確認した。別に聞かれて困るような話をするつもりではないのだが、一応。
「――えーっと、変な事かもしれないんだけど……私って、誰? 具体的に言うと、私の名前を知りたくて」
リリカルはドールだ。顔面認識システムが搭載されている上、ギルドのメンバー全員をそれで判断している。だから当然、一介のギルドメンバーである私の個人情報を持っていない訳がない。
案の定、きょとんとしたリリカルはその顔に花が咲いたような笑みを浮かべる。うんうん、と勝手に何かを納得したように頷いた。
「そういえばあなた、記憶喪失だったね! あなたがあなた自身の名前を知りたいという事に関しては個人情報の漏洩にならないし、うん、教えてもいいかな! ちゃんとあなたがあなたである事は、このリリカルが認証しているからね!」
「よろしくお願いします」
「かしこまらないでいいよ! そう、あなたの名前は――リオールだね」
「……えー、マジか……」
人目も憚らず、私は頭を抱えた。
リオール――サツギルゲーム内において、ヒロインとゲーム開始時点での親友枠として出て来る名前のあるモブ。受付嬢のリオールは最初こそギルドメンバーとしては新入りのヒロインに案内役として色々なクエストを斡旋する事になる。
しかし、プレイヤー視点でゲームのシステムを把握し、案内役がいなくなる頃合いで死亡し強制退場するキャラクターだ。そしてリオールの死亡はヒロイン成長イベントの伏線にもなっている。ご丁寧に共通シナリオのイベントなので、どう足掻いてもリオールは死ぬモブだ。
そのイベントが訪れた時、私は死ぬべきなのか。それとも、どうにか回避すべく立ち回るべきなのか。
「――シキミ? いや、リオール? どうかしたのかな?」
「あ、シキミって呼んで貰って結構です」
「そう。それでね、シキミ! 私からもお願いしたい事があるんだけど、いいかな?」
「ああうん、相談事かな?」
「それなんだけど、実は私、人間の考える事があまり良く分からないの! 所詮はドールだから、多少は仕方が無いけれど、私はアイドルだから! もっと人間の事を知らなきゃいけないと思う!」
「はあ……」
「だからシキミ、私に人間の事を時々で良いから教えて。分からない事があったら、あなたに聞きに行くね!」
「あっはい、うん、分かった。相談室だからね、何かあれば話を聞くよ」
「わあ、ありがとう!」
――どうしようかな、ホント……。
微笑むリリカルを見ながら、私は再度唸った。