6話 大海を征するもの

11.海獣大戦


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 所変わって落とし穴の底にて。
 水の流れに逆らって泳ぐシーラへ必死にしがみつき、息を止める。彼女の泳ぎは達者などというレベルではなく、最早海洋生物のそれだった。源身に戻らずとも、それなりに泳げると言っていたのは嘘じゃ無いらしい。
 強く抱きついていいと言われたので、絶対に命綱を離さないように力を込める。普通、溺れた人間を助ける時というのは力を抜くように指示をするはずだが、そこはシーラ。離れない方が優先らしい。

 穴の中を泳ぐ事、十数秒。ようやっと大海へ出る事が叶った。浜辺のどこら辺に位置する場所なのだろうか。視界には足も付かない奈落のような海の底が見えるだけで、まさに一面水。青い視界は綺麗ではあるが、それと同時に宙に浮いた恐怖が付きまとってくるようだ。
 が、海の青さに見取れていられたのも一時だけ。それを見た瞬間、肺の中の空気を全て吐き出してしまうかと思った。

 最初は黒い影。それが段々とこちらに近付いて来るにつれて、大きさを増していく。やがてそれは、海の知識に疎い私でさえ何であるのか理解出来る確かな輪郭を持った。
 沖から悠々と泳いできたその生物。シンプルに形容するのであれば、巨大なクジラ。ただし、クジラにしては凶暴な身体のパーツからして魔物の一種なのだろう。
 肉食を思わせる、包丁のような牙。ずらりと並んだそれは肉を引き裂くのに適した形をしている。さらに、尾びれ背びれに付いた謎の金属片。魔物の鱗というのはとても頑丈な物も多く存在する。これもまた、鱗の類いなのかもしれない。

 レクス・レフィナ――クジラとサメを足したような魔物。とても高位の魔物で、サツギルのゲーム内においても、主人公がかなり育っていないと完全に討伐するのは難しい魔物だ。それは私達を見つけると低い、音波にも似た鳴声を上げた。海中にいるにも関わらず聞こえてきたその音は、内臓を揺さぶるかのような響きを持っている。

 ――いっ、いやいやいや! マズい、これは死ぬ!!
 どう見ても陸に上がれる生物ではないので、浜辺まで逃げ切れれば勝ちだ。しかし、ここは良心的に解釈しても海のど真ん中。背後を振り返ってみても、浜辺らしきものは見えない。
 私の声をシーラへ伝える事は出来ないが、逆のパターンは可能だ。海中でも呼吸が出来る彼女は当然、海中で他者と会話する事が可能なのである。

「こっちを狙っているね……。私達の事を食べ物だと思っているみたい。シキミ、早急に倒すから、もう少し我慢して」

 ――先に息を吸わせて欲しい!!
 悲しいかな、シーラにその声は届かない。戦うのも無謀のような気がしないでもないが、それ以前に私の息が続かない。

「シキミ、絶対に手を離しちゃ駄目だよ」

 不吉な言葉。激烈に嫌な予感がした為、私は更に強くシーラへしがみついた。途端、彼女を中心に海水が渦を巻き始める。言うまでも無く源身に戻るつもりなのだろう。その戻る際の過程で死にかけているが、そこは意地。絶対にこんな間抜けな死に方はするものか、と腕や足に力を込める。

「――……おおっ!?」

 幸か不幸か、シーラが源身に戻った瞬間、丁度背びれ辺りに乗っていた私の頭が海面に出る。偶然だと思われるが、久方ぶりの空気を肺一杯に吸い込んだ。
 再びシーラが潜水する。空気を吸うのに夢中で、戦うなと言う暇が無かった。

 海中に戻った事で状況を把握する。初めてシーラの全容を見たが、彼女はレクス・レフィナよりずっと巨大だった。大型バスと普通車くらいのサイズ感の違いがある。
 簡単に言うと巨大なサメであるシーラの体表にはキラキラと輝く鉱石が埋まっている。海の宝石、というキャッチコピーで売り出されていたがその真の意味を知るプレイヤーは少ないだろう。何せ、一部のステージでしかシーラは源身に戻れない。

 ――それにしても、何この海獣大戦……。
 呆然と巨大魚達の集いを眺めていると、レクス・レフィナが体当たりしてきた。巨躯の割に動きが俊敏だ。海水で加速した魔物がシーラにぶつかる。
 びくともしなかった。
 どころか、勢いを殺されたレクス・レフィナの横っ腹にシーラが噛み付く。バキバキ、ボキボキと硬いものが砕ける音。海水が途端、真っ赤に染まる。

「!?」

 血液の臭いに釣られたのだろうか。海の底からおぞましい、何とも形容しがたい魔物なのか魚介類なのかよく分からない何かが這い上がってくる。その地獄絵図を目の当たりにした私は、思わず意識を手放した。というか、単純に蓄えていた空気が尽きたせいでもある。