6話 大海を征するもの

09.新たな脅威


 ***

 いつまで経ってもロープを探しに行ったオルヴァーが帰って来ないと思ったら、かなり遠くから破壊的な音が聞こえた。耳慣れない強烈な音だったので、私は思わず顔を上げて天井を見る。
 ――全く状況が掴めない。小さな穴からは狭い空が見えるだけだ。

「な、何今の音……!?」
「オルヴァーじゃないかな。どうしよう、何かに巻き込まれているのかもしれない……」
「どうにか、こっちはこっちで解決した方が良いかな? オルヴァーさん大変そうだし」
「でも――」
「あっ!?」

 一緒に居たシーラが何か言いかけたが、思わずそれを遮る。それ程の驚きが視界の端に入ったからだ。
 慌てて壁の一部だけ砂だった部分を観察する。
 どう見ても壁の色が変わっていた。もっと言えば、砂が水に濡れたかのように濃い色になっていた。

「ま、待ってよこれ、まさか……」
「落ち着いて。シキミ」

 シーラが小さな手でぺたり、と砂の壁に手を触れる。

「どう?」
「湿ってる。あと水の音が――」

 絶望的な言葉が聞こえた直後、私達が見ている前で砂の壁が抜けた。途端溢れ出す海水。この辺がどのくらい海に近い場所に掘られたのかは分からないが、ともかく結構な量の海水がなだれ込んでくる。

「ええええええ!? ……あっ、いやでも、この空間が海水で一杯になれば上の穴から出られる、かな? 上手くいけばだけど」
「出られるよ。一瞬ヒヤッとしたけど、何てこと無かったね」

 シーラが安堵の溜息を吐く。彼女にとってみれば水など恐怖の対象にならないのだろうが、私にとっては生死に関わる大問題。だがこれで外に出られるなら良かった。

 ――が、現実はそう甘くは無かった。
 海水が満ちた時、壁に挟まれるのを避ける為穴の位置を確認していたところ、不意に穴の外から何者かが覗き込んできた。人ではない。毛むくじゃらの魔物だ。
 あ。と声を上げる暇も無く大きな岩のようなもので穴の入り口に蓋をされる。

「……え。えっ!? ちょ、これじゃあ外に出られないよ!?」

 まるで狙い澄ましたかのような場所に岩を置かれてしまった。間違いない、こんなの野生の魔物の動きでは無いのだから、誰かが指示を出しているのだろう。
 芋蔓式にサツギルにおける職業の知識が思い出される。
 使い勝手が悪かったので一度も使った事の無い、『魔物使い』という役職についてだ。推しメンであるオルヴァーにマイナス補正が掛かって仲良くなれない職の為、そういう役職がある事自体忘れていた。
 簡単に言えば免許を取得し、自分では無く魔物を戦わせる役職。ゲーム上、主人公ではなく魔物を育てる別ゲーと化す、サツギル屈指の存在意味不明役職だ。

 ――いや、今はそれどころじゃない!!
 思わず現実逃避に思考を委ねてしまったが、そんな暢気な考え事をしている暇は無かった。このままでは溺死してしまう。
 慌てていると、逆に冷静沈着なシーラの静かな声が耳朶を打った。

「慌てないで、シキミ。大丈夫、私が一度海に出てあなたも一緒に陸へ上げてあげる。私、海は得意だから人一人抱えたくらいで溺れたりはしないから」
「あ、うん」

 存じ上げております、と心中で頷く。基本的にオルヴァー&シーラは希少種だ。源身に戻るのを嫌がり、人目に晒されるのを厭う。まさか正体を知っています、とは口が裂けても言えなかった。
 そんな葛藤を抱えた私の様子を、シーラに対して不安に感じていると彼女は解釈したようだった。見た目には反するが年相応の老獪な態度で落ち着かせに掛かってくる。

「私は小さいから信用出来ないかもしれないけれど、本当に大丈夫だから。他に方法があるとも思えないし、今から私の言う事を受け止めて欲しい」
「分かった、大丈夫。信じてるからね」
「うん。それじゃあまずは……私、実はとっても大きな海洋生物なの」
「はいはい」
「それで、あなたを連れて泳ぐ事が可能だから、源身に戻って普通に岸まで泳いで戻れば何の問題も無い……。大丈夫?」
「分かった! じゃあそれで行こう!」

 ――本当に分かってる? と、シーラがそんな顔をしたが、これ以上の態とらしい反応は出来ない。一応、聞いた話に驚きを持っている、という体だ。本当は新事実でも何でもないのだが。