04.仕事の時間
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依頼主であるカルドラを含む、全員の配置が完了して十数分が経った。今の所何の動きも無く、気が抜けてしまいじょうな状況が続いている。
私は波打ち際まで行くと、ブーツのまま海水を踏みしめた。勿論ブーツは耐水性。靴の中に水が染み込むという事も無く、ただひんやりとした冷気のようなものだけが伝わってくる。
「シキミも海、好き?」
「ああうん、好きだよ。綺麗な海はね」
不意に気配を感じたと思えば、すぐ隣、会話をする距離にシーラが立っていた。彼女は遊ぶ気満々で、既に靴は脱ぎ捨て、裸足で波打ち際に佇んでいる。淡い色をしたワンピースに海水が跳ねているのが見て取れた。
少しだけ楽しげな顔をする彼女の傍ら、パーティメンバーであるオルヴァーの眉間にはますます深い皺が刻まれている。彼は海水から離れ、砂浜に仁王立ちだ。恐すぎる。事情を知らない人が見たら避けてしまうような形相だ。
――というか、私の立ち位置、何?
これはどういう顔をして彼等に接すれば良いのだろうか。レギュラー面するのはあまりにも馴れ馴れしいし、かといって海水浴場で待機中に全くの無言というのも味気ない。
現状、オルヴァーはお話をする気が全く無いと見えるので構うとすればシーラ一択となるが、口数の少ない少女にどこまで話し掛けていいものか謎である。今、海が好きかどうか訊かれたがこの問答でさえ奇跡だ。
仕方無い――ここはやはり、シーラに無難な話題を振るのが気まずい沈黙を振り払う一番の方法だろう。高をくくった私は意を決して彼女に話し掛けてみる。
「シーラちゃん、楽しい?」
「ううん、ちっとも。本当は自由気ままに海を泳ぎたい」
「そ、そっか……」
「でも、綺麗に手入れされた海。海水浴場というのも悪く無いとは思う」
「そうだねえ、整備はされているよね。青々していて」
――と、不意に海へと釘付けだったシーラの視線が背後に向けられる。釣られて私もまたそちらを見ると、先程までただ仁王立ちしていたオルヴァーがいつの間にか臨戦態勢に入っていた。
すぐに理由が判明する。
どこから現れたのか、普通のネズミよりずっと大きい、人と同じかそれ以上のサイズ感のあるネズミの魔物が砂浜をチョロチョロと走り回っていた。ネズミというのは究極の雑食生物。当然、あれだけのサイズがあれば人間もバリバリむしゃむしゃと食べてしまう危険な魔物である。
気性も荒く、まさにねずみ算式に殖えていく様は見ていて不気味な程。生態系としてはかなり上の方に君臨する雑魚魔物。
そんな大鼠が見える範囲だけでも7体。恐らく苦戦する数ではないが、それでも疑問に思う事がある。
この大鼠という魔物――森でも林でも無く、主に都会に出現する魔物だ。整備された下水に生息し、人様の排出する生ゴミを食べ、力を付けてから稀に町中に出没する。逆にこういった森や海と共に暮らす、大自然的な場所にはあまり見掛けられない魔物だ。
何故ならこういった大自然的な場所には大鼠をも餌としか思わない強力な魔物が居座っているもので、都会の下水の方が住み処としては適しているからである。
「おい、ぼさっとするな。討伐するぞ」
「え? あ、うん……」
オルヴァーの言葉で我に返る。何はともあれ、人を襲う可能性が非常に高い魔物だ。クエスト内容に沿い、きちんと駆除しなければならない。
どういう育ちをしたのか不明だが、大鼠は得てして危険な病原体を持っていたりする。直に触れたくなかったので、剣は装備せずに魔道書だけを取り出した。絶対に近付きたくない。この鼠が原因で、動物アレルギーなんかを発症しては困る。
「フン、何を間違ったのかは知らないがよくもノコノコと出て来たもんだな」
「オルヴァー、不衛生だからあまり触らない方が良い。わたし、片付けるよ」
ラヴァ先生から教えて貰った炎による滅菌も兼ねた方法で駆除しようとしたが、先にシーラが動いた。手持ち武器を持っているオルヴァーを制し、もう片方の手の平を海の方へ向ける。
こういう動作に関しては先生から少しだけ聞き囓った。これは精霊系や、司る属性がある程度固定されている者達が使う、自然にある力をそのまま使う方の魔法だ。
ちなみに私にはこういった直接魔法というのは一切使えないのでそういうものがある、という程度にしか教えて貰っていない。ラヴァはサラマンダーという炎の精霊なので、勿論使用可だ。
私が脳内でラヴァの教えを反復していると、シーラの指示に従って海水がふわりと浮き上がった。ああいう毛の生えた魔物には水の魔法はあまり効かないと相場が決まっている。どうするつもりなのだろうか。
彼女が全て終わらせてくれそうな雰囲気を漂わせているので、私もまた魔法使用の手を止める。何より私が使おうとしているのは炎魔法。あの量の水をぶっかけられたら鎮火する。魔法同士の衝突事故など笑えない。
「早く終わらせて、海の家で焼きそば注文しよ……」
――意外と楽しんでるな。
ポツリと呟かれた少女の言葉に心中でつっこむ。
程なくしてシーラの汲み上げた海水は彼女の手から離れた。それも、弾丸のような速度を持って。一瞬何が起こったのか分からずに呆然と立ち尽くしてしまったが、凄まじい射出音と風切り音によって、一拍遅れてそれが大変危険な速度を持っていたと理解する。
弾き出された海水は最早凶器。あっさりと大鼠の身体を貫通、瞬きの一つで駆除された鼠の山が出来上がっていた。