3話 唐突な強化合宿

16.割と有能な海崎くん


 こちらの考えがまとまった直後、ふらりと現れたのは見覚えの無い成人男性だった。これが、朝から担任の言っていたイリニの助っ人だろうか。無表情でありながらも、義務的に薄い笑みを浮かべている顔。胡散臭くは無いが、同時に感情の色が伺えない面立ちに芳埜は鼻を鳴らした。
 これは自分とも相性が悪そうだし、恐らくは海崎も彼の事を好ましくは思わないだろう。そんな性質を窺わせる。

 海崎の言葉通りにするのならばタコ殴り――そこまで考えて、はたと手を止める。基本的に海崎と行動を共にしている神木が小さく悲鳴を上げ、後退ったのを見たからだ。
 その視線は今し方現れた助っ人に向けられている。食材集めの課題でぶつかったのだろうか。知らない間柄では無さそうだ。

 硬直する学生を見て、現れた彼はやや小首を傾げる。何もアクションを起こさない事を不思議に思っているのだろう。

「どうしました? 逃げるなり、向かって来るなりどうぞ。受け身という事であれば、私もそう致しますが」
「テメェ……柳楽に聞いたぜ、月島ってんだろ」
「口の悪い学生ですね。ええまあ、そういう名前ではあります」

 般若のような顔をした海崎が唸る。完全に頭に血が上っているのが分かり、止めるべきか否かを思案する。先程までの冷静さはどこかへ消え失せ、獣のような殺意に満ち溢れている同級生。果たして、このまま野放しにしておくべきだろうか。
 果敢にも声を掛けたのは神木だった。誰よりも付き合いが深いだけあって、言うべき事を言える立場ではあるらしい。

「お、おい、海崎……。こんな奴、3人で相手なんかしてられないだろ。逃げようぜ」
「ああ!? 巡ってきたチャンスをみすみす逃すってのかよ!」
「ええー……」

 ――リベンジマッチってことか?
 当時の状況が分からないので何とも言えないが、実力をある程度把握した上で神木は逃亡を提案し、海崎は戦闘に勤しもうとしている。どちらの意見が正しいのかを客観的に見れば、神木が正しいのだろうが。
 思案しながらも、足下に落ちている小石だの砂利だのを確認。大自然の中だけあって、投擲出来る物はたくさん地面に落ちていた。とはいえ、一応戦闘訓練じみた一面のある合宿なのである程度投げられる物を手持ちとして持ち歩いてはいるが。

 先に動いたのは海崎だった。無駄の無い必要最小限の動きで一足に男――月島との距離を詰める。そのまま、軽く右腕を突き出した。ジャブ程度の威力しか無さそうだった右の拳はしかし、ひらりとそれを躱した月島の、背後。太い木を中程から真っ二つに折るような威力を伴っている。
 筋力強化系のスキル持ちだろうか。それにしては威力が桁外れだが。
 有能なスキルを持っているようだ、と勝手に脳内解釈し間髪を入れず海崎へ襲いかかろうとした月島へ砂利と小石を飛来させる。

「ホーミング……。何だかどこかで見た事のあるスキルのような。気のせいでしょうか」

 独り言のように呟いた月島の回避方法は教えた訳でも無いのに完璧だった。ギリギリまで飛来物を自らに引き寄せ、直前で直角に折れて躱す。補足しそこねた飛来物達はあらぬ方向へと飛んでいき、スキルの制御を離れて地面に虚しく落ちて行った。
 それを目の当たりにし、即決する。

「海崎、これ多分勝つのは無理だわ。逃げよう」
「テメェ、篠坂……!!」
「いやいやいや、今回は生き残れば実質勝ちだろ。いいって、こんな無駄な戦闘しなくてさ」

 海崎の鋭い視線と芳埜の真意を測りかねる視線が交錯する。
 ややあって、先に視線を外したのは海崎だった。分かったよ、と半ば自棄気味にそう言う。

 方針が決したからだろうか、温い追撃の手さえ止めていた月島が動き始める。今、会話をしている間に割って入る方法もあったのにそれをしなかったのは、授業の一環だからか。
 迫ってくる月島に対し、頭が冷えたらしい海崎が短く指示を出す。

「おい、移動系のスキルを持ってる! ちょっと囮になれ、神木!」
「俺ぇ!?」
「5秒でいい」

 滅茶苦茶小さな声で泣き言を言った神木の為に、再度小石を巻き上げる。
 神木をスルーしてこちらに向かって来ていた月島が、不意に海崎の言う通り、神木に狙いを定めた。ただし、それは月島本人も意図する事では無かったらしい。鉄面皮の目元が、僅かに細められるのを見た。
 狙いを固定するスキルでも持っているのかもしれない。ただ、神木自身が耐久力など皆無そうなので、援護。

「チッ、おい離脱すんぞ!」

 海崎の声が聞こえた途端、視界が陽炎のように揺らめく。同時に聞こえていた大自然の音が急速に遠くなった。異変に気付く。
 ――流れていく光景の速度が極端に遅い。
 テレビをスロー再生で見ているかのように、風で揺れる木々、神木へ向かって行く月島、引き攣った顔をする神木――とにかく全てが遅い。音ですらも遅く、何を言っているかまるで分からない。
 そんな中、芳埜自身とこの状況を作り出した海崎だけは平常時のように通常の速度の中で過ごしていた。

「おい、行くぞ。そこから出るなよ、面倒だ」
「……何だこれ、変わったスキルだなあ。取り込んだ範囲内だけ、通常の時間が過ぎてるって感じ?」
「俺に時間の流れなんか変える力がある訳ねぇだろうが。もっとお手軽な感じのアレだっつの!」

 理解出来ない。出来ないが、海崎が動く度に最初に入った不可視のドームのようなものが動いている。これから『出るな』という意味ではあるのだろう。
 海崎はうっかりその範囲内に月島を取り込まないよう細心の注意を払いながら、神木を回収。そのままスキルを展開したまま、特に危なげなくその場から離脱した。成る程、逃げるだけなら簡単だった訳か。