3話 唐突な強化合宿

13.朝一の憂鬱


 ***

 午前7時。ロビーにて全員で朝食。
 光景としては寮生なので常日頃から見ているものと変わらない。食堂まで自分で行って、自分で食べる。当然の流れだ。

 ちら、と隣を見る。合宿に入ってから絡みの少なかった音羽鈴音がバターブレットを上品に口に運んでいた。目が合うと完璧な微笑みを向けてくる。

「どうかしたのかな、依織ちゃん?」
「ううん。ジャムとか無いのかなって」
「京香が持ってたと思うよ。バターとジャム、ランダムでトレーに置かれてたらしいから。依織ちゃんが持ってるそれってバター? 交換してあげようか」
「え、京香ちゃんはいいの? バターで」
「ああうん、あの子はジャムが嫌いだから、喜んで替えてくれると思う」

 京香の席は鈴音を挟んで1つ隣だ。つまり、物々交換には彼女を介す必要がある。依織は礼を言って鈴音にバターを託した。程なくして、いちごジャムを手渡される。

「京香が有り難うだって」
「ああうん、こっちもジャム貰えたからおあいこで」

 などと会話をしていると、不意に担任・柳楽理人が現れた。手に書類を持っているあたり、今日の連絡事項を説明しに来たのだろう。

「えー、今日のスケジュールを発表する。まず、朝の涼しい時間帯は体力作りだ。ま、筋トレとか走り込みとかだな。午後からは座学。夕方、日が落ちかけてからはチームワーク系の課題をやる予定だ」

 ――うわ、心底疲れそうだなあ……。
 憂鬱且つげんなりとした気分になってくる。しかし、その気の持ちようでさえ、自分が如何にこの場に相応しくない人間であるかを物語っているようで二重に憂鬱だ。
 今日はどう立ち回るべきか、グルグルと頭の中で考えていると不意に聞き慣れた声が耳朶を打った。

「依織」
「……あ、ああ、日比谷くん。おはよう。どうかした?」

 そういえば、正面の席にはあの日比谷桐真が座っていたのだった。一体どんな嫌味を言われるのか、学園に入ってから比較的厳しい彼の掛けてくる言葉。知らず知らずの内に身構えてしまう。

「――依織、お前体調でも悪いのか?」
「え? 体調……? いや、別に。大丈夫」

 気怠さを見透かされたようで背筋を伸ばす。見るからに不正ややる気の無い奴が嫌いそうな日比谷だ。考えている事が露呈すれば、ゴミでも見るような目で見られるに違いない。
 が、どうやら彼は依織の心中を読み解く事に失敗したらしい。意味深に目を細め僅かに首を傾げた。疑問に思っている事があると言うより、横柄に頷いたような動き。

「そうか、元気なら別に良い」
「あ、うん。そうなんだ……」

 ――何? 今のは何の仕草!? 分からない……流石天才、人とは違うわ。
 悶々と今起きた事について思いを馳せていると、スケジュールを発表して去って行った柳楽がまた戻って来た。食堂がクラスメイトの声でやや騒がしくなる。

「あー、悪い。連絡漏れがあった。道の整備とかの関係で、遭難とかされても困る。ケータイなり何なり、連絡が取れる物を携帯しておくように」
「やっ、柳楽先生! 良いんですか、僕達がスマホとかを持って課題に挑んでも!」
「おう、いいぞ。遭難されるよりマシだ」

 様子がおかしい気がする。記憶が正しければ、昨日の課題中はそういったアナウンスはなかった。

「スマホねえ……」

 ぼそっと呟いたのは鈴音とは逆隣に座っている篠坂芳埜だ。

「芳埜、スマホ持ってたよね?」
「当然。ただ……んー、遭難とか言われてもね。昨日の課題の方が遭難の可能性あったのに」
「確かに。昨日、私達が課題やってる間に学園側から注意されたのかも」
「はっ、まさか! 天下のイリニ様が経営している学園だぞ。いちいち危険申告なんかしてくるはずがない」
「……? そう、なの?」

 断言する口調。
 これは真面目に受験して学園での生活をもぎ取った生徒には分かる共通認識なのか、それとも芳埜が個人的に持っている情報なのか。判断しかねるが前者の方が強い気がする。
 じっと見ていたのを、何か観察されているように感じたのかもしれない。芳埜はいつも通りの快活でニヒルな笑みを浮かべた。

「ああ、ちょっと身内がイリニ関係者で。内情には割と詳しいかもしれないな、あたしは」
「あー、そういう感じだった訳ね。また私だけ知らない話だったのかと」
「お前はどうやって受験したんだ……」
「あ、はは、ははは……」

 笑って誤魔化した。この空気の中、まさか推薦枠でしたなどと言えるはずもない。見合う実力があるならばまだしも、いつも頭痛と記憶力の悪さに悩まされている要領の悪いアホが推薦枠など、あるはずもないからだ。
 未だにあの推薦状は何かの間違いではなかったのかと、そう思える程だ。別の高校に受かっていたのならばこの怪しげな推薦チケットなぞ使用しなかった。

「……芳埜、学園の入学方法って私達が受けた受験以外にあるって話、聞いた事無い?」
「あん? 受験方法? いや、イリニは実力主義社会だから、受験は必須項目だったはず。だけど……何年か前には、そういえば推薦で合格しちゃった奴も居るって聞いたけど」
「激レアって事?」
「そうだね。何か実力とは別の力だとは思う。実力が凄いってんなら、わざわざ推薦状なんざ送らなくても、普通に受験させりゃいいんだからさ」

 ――なおさら分からない。
 疲れやすい体質、忘れやすい記憶、決して要領は良くない頭の回転。何一つ推薦に値する物が無い自分は、何故、推薦枠に入ったのだろうか。しかも、入学してみればその理由が分かるかもしれないと思っていたが、今の所学校側からのアナウンスは無い。
 自分でそれを聞く度胸は無かった。
 如何せん、もし不正扱いされてしまった場合、他に行く高校が無い。滑り止めにすら落ちたこの頭では一浪したくらいでは他の高校へ入学する事は出来ないだろう。というか、不正退学など、どの学校も受け入れてくれるはずがない。
 であれば、学園側が何も言って来ないのなら突かないのが一番。一応、推薦状に添付されていた連絡先に本物であるかどうかは確認したのだ。

「――いいや、取り敢えずご飯食べよ」

 まずそもそも、この合宿を生き残る事から始めなければ。