3話 唐突な強化合宿

10.幼馴染みの定義


 気まずさが勝って互いに沈黙を守りながら水を汲む。ポリタンクに貯まっていく水を眺めながら、これが終わった後に何を言うべきか必死に考えた。が、当然人生経験の浅い自分如きに適切な発言のアイディアは浮かばなかった。
 代わりに、現実逃避じみた別のアイディアが浮上。取り敢えず、これ汲んで無事に帰れたら次は如月依織に話を聞いてみよう。

 きゅっと蛇口を閉める。意外にも先に口を開いたのは日比谷だった。

「何で俺こんな話をしたんだ……。でもまあ、俺の境遇の事については気を遣わなくていいぞ。他人の家庭事情なんか放っておけ」
「ご、ごめんね。逆に気を遣わせて」
「いいさ、気にするな」

 ――意外と良い人ッ!!
 仏頂面で冷たい人物だという人物像が出来上がっていたが、申し訳無いと土下座したい気分になってきた。ごめん日比谷くん、勝手に冷血漢だとか思って。

 ***

 水を汲んだポリタンクを指定の場所に置き、日比谷とは解散する。彼はバッグの中に忘れ物をしたとかで、一度宿舎へと戻るそうだ。
 外の調理場に戻ってきた悠木は再び周囲を観察する。いつの間にか九条が戻って来ていたが、小難しそうな文庫本を読んでいた。さっき見当たらないと思ったが、どうやら本を取りに行っていたようだ。

 取り敢えず、如月に話を聞いてみよう。最大の壁、篠坂芳埜が彼女を占領しているがどうにかレンタル出来ないだろうか。

「如月さん、ちょっといいかな?」
「あれ、どうしたの?」

 ずっと会話していた女子陣が一斉にこちらを見る。とはいっても2人しか居ないのだが。
 ともあれ、日比谷とは違い如月とは教室での席も隣同士。変に理屈を捏ねて連れ出すより、単刀直入に用事を言って来て貰う方が良いだろう。

「如月さんに聞きたい話があって。良ければ、少しだけ彼女を借りてもいいかな。篠坂さん?」
「何であたしに聞くんだよ。依織が良いって言うならそれで良いんじゃないの?」
「私に用事があるみたいだから、ちょっと話を聞いてくる。芳埜、そこで待っててくれる?」

 了解、とそう篠坂が言うと頷いた如月が立ち上がる。
 その際、悠木は宿舎の入り口辺りを用心深く監察した。今さっきシビアな話をしたところで、日比谷を刺激しやすい如月と話をしているなど、良くない誤解をされる羽目になりかねない。
 しかし、幸いな事に日比谷はまだ戻って来る気配は無かった。

 如月と共に場所を移動し、宿舎裏へ。まるでカツアゲか告白だな、と頭の片隅でアホな事を考える。

「それで、話って何かな? あ、何か私やらかした? 全然記憶に無いけど……」
「あ、いや。そういう感じじゃなくてもっとこう、スピリチュアル的な?」
「全然意味分からないけど」
「そ、そうだね。僕もそう思ったよ。えぇっと、ちょっと込み入った話になるんだけど……如月さん、日比谷くんと幼馴染みらしいね?」

 ここで如月は僅かに眉根を寄せ、首を傾げた。

「そんな話、天沢くんにしたっけ? いやうん、幼馴染み……なのかな。どっちかって言うとただのお隣さん、って感じだけど。それがどうかしたの?」
「何だか温度差があるなあ」
「私は普通にクラスメイトとして穏やかにお付き合いしたいと思っているけどね。何だか、最近はカリカリしてて。イケメンって恐い」
「それは察知しているんだね。理由とか分かる?」

 十中八九、家庭問題で心が荒んでいる日比谷。ただし、こちらから家庭事情を話す訳にはいかないので、それとなく如月に話のネタ振りをするよう促す。家が隣同士、且つ幼馴染みならこのまま話を進められるはずだ。
 ――と、そう予想して、否、確信していた期待はものの見事に裏切られる事となった。

「え、理由? うーん、私の要領が悪いからかなあ。よく覚えて無いけど、前からエリート気質あったし、日比谷くん」
「えっ」
「それに、幼馴染みだからって高校になってまでベタベタしてるのはね。女子同士じゃないし、ギクシャクするのは仕方ないと思うよ。うん」
「えーと、性格的な問題じゃなくてさ、その、環境的な……」
「環境? あー、日比谷くんって大きな家に住んでたよね。多分。まあ、隣の私も一戸建てだけど」

 ――だ、駄目だ……! 嘘でしょ如月さん、まさか何も知らないの!?
 彼女に大事な話はしていないのかもしれない。とはいえ、一軒家で隣同士、子供の交流があれば、聞かずともお隣さんにヤバい何かが起っている事など察しそうなものだが。如月が奇跡的な鈍感だった可能性もあるので、真相は闇の中だ。
 それに、如月が言う事にも一理ある。確か、日比谷も彼女とは疎遠になりつつある、という事を言っていたし、疎遠になった頃に家庭崩壊したのかもしれない。であれば、如月が何も知らない事はあり得る。

 とにかく、この人達の深すぎる問題にはそう簡単に首を突っ込む事が敵わない。どうするにせよ、万全な準備が必要と言えるだろう。

「戻ろうか、如月さん……」
「ああ、うん」

 ――しかも、変な事を聞いたせいで、如月さんも若干考え込んじゃったよ……。悪い事したな。
 天沢悠木はぐったりと溜息を吐いた。