3話 唐突な強化合宿

08.仲良しごっこ


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 切れる息を整える。音羽鈴音は途方に暮れて目の前の光景をただただ見ていた。
 目の前には食材探しの冒険へ共に出たクラスメイト数名と、全く見覚えの無い男が対峙しているという至ってシンプルな光景が広がっている。

 何故こんな事になったのか。ゆっくりと今まで起きた事を思い返す。
 始まりは今日の日程が山を歩いて配置された場所へ行き、食材を集めるという課題を担任である柳楽が決めた事。
 3つポイントがあるようで、2つ目までは軽々と乗り越えた。
 そして、食材を前にした3つ目。唐突に現れた、学園の教師では無さそうな男と戦闘に。手も足も出ず、今に至る。

「京香、大丈夫?」
「……ううん、どうすればええねん。こんなの」

 既に満身創痍で何度も転倒したせいか、砂や埃が付着しているのが見えた。基本的に後衛、戦闘に参加しない自分はそれを見ている事しか出来ない。
 立ち塞がる男に好戦的な目を向けているのは、流れで一緒のルートへ入った海崎晴也のみだ。他に居る面子としては神木翔太、鶴野莉亜などがいる。とはいえ、鶴野に至っては目を細めて手を止めている状態だ。

 対峙する謎の男が僅かに首を傾げる。全く感情を伴わない鉄面皮が酷く不気味だ。

「このルートでの食材はカレーのルーです。無いと困るのでは?」

 煽るような一言に分かりやすく海崎が激昂する。苛立ちをこれでもかと込めたような声が吐き出された。

「うるっせぇな!! 分かってんだよ、そんな事はッ!!」
「か、海崎くん……」

 ギャンギャンと吠える元気はあるようだが、その海崎も満身創痍。擦り傷掠り傷のオンパレードが非常に痛々しい。というか、弱音を吐かないだけで彼もまた随分と憔悴しきっているはずだ。
 そして、協調性はあまりにも皆無。神木はおろおろと見守るだけだし、鶴野は完全に勝負を放棄。京香も諦めの色が強い。

 ぱっと海崎が立ち上がった。

「ブチ殺す!!」
「凶暴な……」

 殺意の籠もった一言を吐き出した海崎が駆け出す。一瞬だけ駆け出したのが見えた瞬間には彼の周囲の空間が揺らぎ、姿が掻き消えた。もう何度も見ているので薄々気付いたが、これは如月依織が持っている『瞬間移動』スキルとは似て非なるものだ。
 彼は点から点ではなく、線で動いている。自分の周囲だけ時間の流れ、物理法則を書き換えるようなスキルだ。すぐにバテてしまうあたり、相当なコストの重さを持っていると見える。

 男の真横へと止まった海崎は既に腕を振り上げていた。自身を取り巻く範囲内に他人が入るとスキルの効力が無意味になってしまうからか、意外にも小まめに海崎はスキルを解除する。ただ、それは即ち攻撃する瞬間は無防備という事だ。
 案の定、海崎の右ストレートをあっさり躱して見せた男はそのまま海崎の伸びた右腕を掴み、格闘技の要領で投げ飛ばす。一連の鮮やかな動きに思わず息が止まった。

「クソが……クソがクソがクソがッ!!」
「苛立つのはあまり良くないですね。健康にも悪いそうですよ」
「うるせぇ!!」

 背中を強打したはずの海崎はギラギラと目を輝かせながら男を睨み付けている。最早、訓練だとか演習では無く本気の殺し合いでも始めそうな視線。
 それを意に介す様子も無く、海崎以外の生徒を見回した男は首を横に振った。

「これ以上は無意味でしょうね。終わりにしましょうか、日が暮れてしまいますし。そもそも私は教師では無いので、どのくらい力加減をした方が良いのかよく分からない」
「えっ、でも、ルーが……。わ、私、まだやれます!」

 カレーのルーが無いのはまずい。
 鈴音は立ち上がってそう宣言した。鶴野の冷えた視線と、京香の不安そうな視線を全身に浴びる事となる。しかし、試験管その人からあっさり拒否されてしまった。

「結構。君は確か、ヒーラーでしたよね。私に向かうより、怪我をした仲間の相手をするべきでしょう。何より、余程のスキル構成で無い限り、ヒーラーに前へ出られても邪魔です」
「身も蓋もない! おっしゃる通りです!!」

 正論過ぎてぐうの音も出なかった。
 呪詛のように悪態を吐いていた海崎がダメージから復帰し、再び立ち上がる。誰よりも働いているが、いい加減限界のようだ。少しだけ最初の頃より大人しくなったのが伺える。

「ともあれ、こちら、ルーです」
「ええっ!? ルー、くれるんすか?」

 神木の問いに男は小さく頷く。

「ええ。実は勝ち負け関係なく、食材を渡すよう柳楽さんに言われていまして。まあ、先程も言いましたが私は教師ではありません。担任からの譲歩では?」
「うっす、あざっす。というかこれ、カレーと見せ掛けてチョコとかじゃないよな……」
「そんな子供じみた嫌がらせはしませんよ」

 あっさりカレールーを差し出して来た男から、恐る恐るといった様子で神木が受け取る。どこにでも売られている市販の固形ルーだ。
 ところで、と何故か不意に男と目が合う。

「編成とは仲良しこよしでは務まりませんので。友情ごっこも程々に」

 頭の隅が凍り付くような一言の後、彼は椅子に丁度良い岩の上に腰掛けた。これ以上は特に手を出さないという意思を態度で示しているようだ。
 ただ、そんな事はどうでもよく、鈴音の頭の中には今し方の言葉と、そして今日一番働いた海崎の苛立った舌打ちだけが渦巻いていた。