2話 過酷すぎるペアワーク

15.個人目標の達成者


 痛む頭を押さえながらも海崎に向き直る。正直な話、無抵抗である方がこっぴどくやられそうだ。何とか不意討ちで仕留める、または逃げ出す必要がある。明日は学校を休むかもしれないが。

 パキパキ、指を鳴らしながら獰猛な肉食獣のようにゆっくりと一歩ずつ詰め寄ってくる彼に単純な恐怖を覚える。ここで考え無しに突っ込んで来ないあたり、強者の余裕というものが伺えるのだ。
 気分は獅子の前に放り出された兎。どう考えても勝てるはずがない。
 じり、と後退る。

「この間の鬼ごっこン時はよくも逃げ出してくれたよなぁ……」
「えあっ!? 借り返すってそれ!? 鬼ごっこだもん、そりゃ逃げるわ!!」
「うるせぇ!」

 ―― 理 不 尽 !!
 思考回路が読めなさ過ぎて困惑が隠せない。何故、自分はこいつと対峙しているのかすら一瞬忘れかけた。何て奴だ。矛盾をものともしない。

 あまりにも目が合っているせいでなかなか行動に移せないでいると、不意に海崎の周囲が陽炎のように揺らめくのを見た。
 思わず目を見開く。
 どこへ行ったのか、それは捜すまでも無かった。先程見た陽炎めいた揺らめきに似た何か、それが背後から迫ってくるような形容しがたい気配が背筋を駆け抜ける。物理的にはあり得ない話なのだが、もし陽炎に突っ込む事が出来たらこんな感じだろう、というのを体現した気配。

 慌てて振り返る。そして後悔した。
 目の前に迫って来ていた海崎は大きく拳を振りかぶっている。これも『瞬間移動』系スキルの類いだろうか。自分のそれとは若干違う性能のようだが。

 迫り来る拳を見て思考が真っ白になる。瞬時に常日頃から使用している『瞬間移動』を起動させようとしたが、酷く頭が痛んだ事でうっかりキャンセルしてしまった。ビビったと素直に言えばそれが正しい。

「……ッ!!」

 ただし、振り下ろされた海崎の拳は防御スキルである『防壁』のおかげで弾かれ、屋上のコンクリート床を叩く事となった。ただし、目を見張るのはその威力。
 常時展開されている『防壁』が文字通り壁か何かを破壊されたかのような音で粉々に砕け散る。更に、それだけでは飽き足らず依織の真横を通過し、スタンプよろしく拳がコンクリートの床に叩き付けられ、そして蜘蛛の巣状にヒビを広げた。

「ひぃぃぃぃ……!?」
「しっかりしろ、ビビってんじゃねぇよ!」

 何故か焚き付けてきた海崎は苛々と両手を叩いて砂埃を落とす。
 煽られようが何をしようが、身を守っている『防壁』が消えた時点で戦意は地に落ちた。もう今は生身。あの拳が直撃すれば人間ミンチとなる未来は避けられないだろう。

 『防壁』の張り直しを試みるも、頭から軋んだような音がするようでなかなか着手出来ない。無理をすれば可能なのはうっすらと分かるが、他でもない、自分自身の限界がそれを邪魔する。
 苛立ったように海崎が声を荒げた。

「良いスキル持ってんじゃねぇか、腹立つな。使って来いよ!! 叩き潰してやるから」
「えぇ……? いやスキルはなあ、私にとっては別に要らないっていうか。もっと軽いのが欲しかったと言うか……」
「ゴチャゴチャ言ってんじゃねぇ!!」
「ごもっとも!!」

 現在把握出来ている海崎のスキルは2つ。
 あの移動系スキルと、恐らくは身体能力を底上げするタイプのスキル。これ以上何かを持っているのかは分からない。更にどちらのスキルがメインなのかも不明。勿論、スキルの持ち数によってはどちらもサブスキルという可能性だってある。

 それっぽく考察してみたが、突破口は欠片も思い浮かばなかった。思考力がいつも以上に低下しているのを感じるので、脳みその方が使い物にならないのは確かだ。

 もたついていると、再び海崎が動き始めた。釈然としないような顔をしている。

「チッ、お高くとまりやがって」

 ――別にそんなつもり無いけどぉ!
 心の叫びを言の葉には出来なかった。直線的に向かって来た海崎にカウンターを当てるべく、『念力』を起動させる。
 が、当然の如く頭痛に邪魔をされて発動に至らなかった。

 喉から引き攣った悲鳴が漏れ、身体が硬直する。第一、スキルが使えなければ自分などただの女子高生。喧嘩などした事も無い。思わず息を止める――

「……ンだよ! テキトーしやがって!」

 ――殴られなかった……!
 センサーの音は耳に届いているが、奇跡的に自らの身体に外傷は無い。授業とか関係なく殴り倒されると思っていたが、戦意を失っていたからか、首が180度回転したり、足が真っ二つになったりというハプニングには発展していない。
 ただし心底不機嫌そうな海崎はやり場の無い暴力を屋上のフェンスへと向けた。鋭い蹴りがフェンスにブチ当たり、突き抜ける。とんだ殺人キックである。

「――まあ、期間1週間は取り過ぎだったかな」
「うわぁっ!?」

 背後で低い声が聞こえたと思ったら担任・柳楽理人が立っていた。手にはバインダーを持っている。教師の出現に、海崎もまた苛立ちをぶつけるその手を止めた。

「狼が全滅した。演習終了。モニタリング勢も現場は見てるから、このまま総評するかな。俺も暇じゃないし。結果だが、村人の勝ち。且つ個人目標を達成出来たのは2人だ」

 ぺらり、柳楽が手に持っていたメモ用紙を捲る。

「えーと、達成者は日比谷と神木だな。おめでとさん。日比谷は狼狩り、神木は海崎を庇うのが目標だった。ま、かなり良い勝負ではあったな」

 ――本当にそう思ってんのか。
 あまりにも気の抜けた総評でそう思わざるを得なかったが黙っておいた。

 一方でこの結果にやや悔しがっている自分がいるのも確かだ。あと少し。恐らくは海崎さえ攻略出来ていれば勝敗の結果は恐らく変わっていた。
 何故こんなにスキル使用に対してシビアに疲れるのか謎だが、体力さえあれば。後1人くらい相手をする力さえあれば。勝てていた可能性だって、あったはずだ。

 どうしてこんなに疲れているのだろうか。薄々気付いてはいたが、人の倍くらいは疲れている。同じ事をしていても、そこにスキルの使用が絡めばすぐにダウンしてしまうのは自分でもよく分かっていた。
 はぁ、と絞り出すような溜息が漏れる。考えたって仕方が無い、調子に乗り過ぎてしまった事だし明日の為にも早く自室へ戻って寝なくては。

 なお、翌日の学校は休む結果となった。担任に内線で連絡した際、小言や嫌味でも言われるかと思ったが思いの外あっさり休みをもぎ取れてしまった拍子抜けである。