2話 過酷すぎるペアワーク

13.春先の海


 鳴ったセンサーの音、その1つは音羽鈴音。
 では、もう1つは。警告の意を孕んだ鶴野の声音から瞬時に事態を把握した桐真は、第六感の命じるまま横っ跳びに跳んだ。頬に柔らかい指の感触が当たり、ぞわっと肝が冷えるような感覚。

「あっ……!? うそ、躱された!? ごめん、鈴音ちゃん……!!」

 追って聞こえた依織の謝罪に、心中でこっそり安堵の溜息を吐く。今、声を掛けられなかったら当然のように全滅していた。
 ちら、と鶴野を見れば彼女は既にセンサーを外してお手上げのポーズを取っている。駄目だろうなと思っていたが、予想以上に粘ってくれなかった。こいつは一体何をしに来たんだ。

 離れた位置に立つ幼馴染みは自らの失敗に対してか頭を抱えている。二度手間になったとはいえ、大袈裟過ぎやしないだろうか。

「やっぱりこうなるんだね、予想はしてたけど」
「……余裕ぶっこいてるようだが、そろそろ発動限界じゃないのか――依織」

 僅かに目を見開いた彼女は、ややあって苦しげに目を細めた。あの便利なスキルはメイン。そう何度も乱発出来る代物ではないし、何より便利過ぎる。相当コストも嵩んでいると見て良い。
 既に屋上へ移動する為に1回。鶴野と対峙している時にも使ったはずだし、何なら今の奇襲にも1回はスキルを使用している。

 ――限界。依織は今の攻撃を是が非でも当てなければならなかった。
 投降するのなら聞き入れても良いし、まだ抵抗するのであれば『瞬間移動』にだけ気を付けていればいい。喧嘩の経験など当然皆無の彼女はすぐ後ろに回り込もうとしてくる。姿が見えなくなった瞬間に振り返れば、センサーをタッチされる事は無い。

 そして、その事実を彼女は正しく理解している。視線の隙間を狙っているのだろうが、どうしても動けないようで視線は宙を彷徨っていた。
 一瞬の硬直。
 その後、依織がゆっくりと口を開く。

「何で――」

 その後の言葉は風にさらわれてよく聞こえなかった。眉根を寄せて、何が言いたかったのかを考えるも、あまりにも最初の言葉が何にでも接続できる一言で、文の片鱗すら掴めそうにない。
 ただし、もう一度同じ言葉を紡ぐ気は無いようだ。もう一度だけ考えた依織は、やがて左手、その手の平をこちらへと、向けた。

 ――何のつもりだ?
 思い付かない。これは多分、『瞬間移動』使用時の挙動ではない。
 そこまで思考して不意に思い至る。
 そういえば――彼女は『瞬間移動』以外のスキル、例えばサブなんかは何を持っていたのだろうか。

 それを思い付く事が出来ないと理解した瞬間、桐真は左足を踏み出した。酷く冷たい感覚が一瞬だけ全身を支配して身震いする。そのまま、その冷気を外部へと放出――

「……は?」

 する一瞬前。さっきも聞いた、センサーの音が鼓膜を叩いた。ただしそれは、目の前の依織からではない。桐真の背後、主にうなじ辺りから響く音だ。

「何!?」

 ***

 ぜえ、とまるで死にかけの動物みたいな呼吸音を漏らした依織は空を仰いだ。疲れ切った視界の端では困惑した顔の日比谷と、そのペアである鶴野、そして自分自身の相方である鈴音が柳楽によって連行される光景が繰り広げられている。

 そんな様を見ていると、古い記憶が呼び起こされるようだ。疲れ切った頭が空想するままに、過去を思い出す。

 ***

 それは中学1年生、初頭。
 中学1年生なぞ、数ヶ月、或いは数週間前までは小学生だった、まだまだ未熟な子供に過ぎない頃。小学生までは小さい子供と認識されるが、中学へ上がった途端に少し大きな子供として扱われるのは何故だろうと思ったのをどうしてだか覚えている。

「え? 今日、誕生日なの?」
「ああ、まあ……」

 偶然なのか、日比谷家へと遊びに行った依織はバースデー当本人の口から、今日が誕生日である事を聞いた。まあ、とそこで一旦言葉を切った彼の言葉が右から左へと抜けて行く。

「だから、夕方から家族と出掛ける。悪ぃけど、その前には帰れよ」
「いや、ちょ、まっ……! 何で言わなかったの!? お祝いっていうのは、ちゃんと事前に言っておかないと準備出来ないんだよ!?」
「言ってただろ、1週間前に」
「マジかよ……」

 最低な事に人の誕生日をまるっと忘れていた。非常に気まずい沈黙が満ちている間に、一瞬で考えた「お祝い」の方法を吟味する事無く口にする。

「そうだ、海に連れてってあげようか!? 何か前、海に行きたいって言ってたよね」
「それは俺じゃねぇけど、まあ、行くか行かないかって言われたら行くな」
「何その面倒な答え。よし、じゃあ行こう、今から!」
「夕方から出掛ける、つっただろ」
「テレポ! 今思ったけど、このスキルって極めれば即席旅行し放題だね」

 最早、日比谷本人の了承を取る事無くスキルを起動する。行き帰りで2回。結構疲れるが、明日は休み。何より誕生日を祝う為だ、安いものである。

 景色が移り変わり、磯の匂いが鼻をつく。寄せては返す波の音が心地良い。春先という事もあって、海に人影は無いが景色だけは一等綺麗だ。とはいえ、これがどこの海なのかは移動した依織でさえ不明なのだが。
 へぇ、と無理矢理連れて来られた日比谷が興味深そうに声を漏らした。

「取り敢えず靴がねぇのは目を瞑るけど、これちゃんと準備して行けば割と遠くまで足伸ばせるんじゃねぇのか?」
「本当だ、靴履いてないや」
「いや何で靴を履いてから跳ばなかったんだよ。つか、じゃあ来年はハワイとか連れて行ってくれ。誕生日にハワイなら毎年祝って貰いたいぐらいだ」
「ハワイ!? ち、地図があれば……ワンチャン」
「マジかよ。じゃ、来年もどっか連れて行ってくれ」
「オッケー、約束ね」