1話 学園生活1日目

02.お隣の日比谷くん


 顔を逸らそうとした完璧なタイミングで、そのイケメンモテモテの日比谷少年と目が合った。のみならず、どう良心的に解釈しても睨み付けられている。パーツの整ったイケメンなので、感情を表すと分かりやすいのだろう。
 完全に知らないふりをする機会を失ってしまい、呆然と立ち尽くす。気分は蛇に睨まれた蛙だ。

 約束されたイケメンは油断の無い動作で離席すると、そのまま真っ直ぐにこちらへ向かって来た。哀れ、学校で何の権力も持たないモブ女はそれを見守るのみである。
 一瞬だけ後ろのロッカーに用があった可能性を思い浮かべたが、想像虚しく日比谷は依織の前で立ち止まった。これ完全に何か話がある時の立ち位置である。

「おい」
「アッハイ」

 低い声で威嚇するように紡がれる言葉に、足が一歩下がる。一介の女子高生を威圧しておいて意に介した様子も無く、日比谷は更に言葉を続けた。

「お前……何で宝埜受けた? 前に聞いたけど、答えなかったろ」

 ――そんな事聞かれたっけ?
 不意にそんな疑問が浮かんだものの、何か答えなければボコられそうな空気だ。目を泳がせつつ、台詞の前半部分だけを脳内で咀嚼する。

「いやあの、家に推薦状が――」
「またそれか。そんな夢物語はどうでもいい。何で受験した?」

 ――お母さーん! どうしよう、この人お話を聞いてくれない!
 心中で涙を流しながらも、受験について思考を巡らせる。巡らせるが、如何せん受験そのものをしていないので当然ながら何も浮かばなかった。
 答えられずにいると、それを「答えたくない」ものと解釈したらしいイケメンパンダが盛大に舌打ちする。ねえ、女子生徒のみんな。彼のどこらへんが良いの? 懇切丁寧に教えてくれないかな。

 しかし、一度引く事にしたのか興味を失ったのか、そのまま日比谷少年は離れて席へと戻って行った。何が悲しくて正直に回答したにも関わらず舌打ちまでされなければならないのか。

「こえええ……。くわばらくわばら」

 腕をさすりつつ、先程偶然にも発見した自席に腰掛ける。一先ず、日比谷とはそこそこ離れている場所で本当に良かった。
 誰も話し相手がいないのを良い事に、先程の日比谷の言葉を思い返してみる。口振りからして前にも似たような話題を振ったようだったが。
 真剣に考えてみると、霞がかった信用ならない記憶がうっすらと蘇ってくる。

 ***

 そう、あれは中学3年に上がったばかりの頃。受験シーズンに入り、皆がてんやわんやしていた時期のお話だ。
 依織もまた例に漏れず、高校へ進学する為に高校の下調べを開始していた。とはいえ、割とずぼらな性格なので同年代の子達に比べればプラプラしていたが。

 そんな折だ。
 間の悪い事に、宝埜学園のオープンスクールへ行った帰りに日比谷桐真と鉢合わせしたのは。お隣さんなのでありがちと言えばありがちだが、本当にこの日は間が悪かった。

 目が合うなり、日比谷その人はこう言ったのだ。それも、かなり不機嫌そうに。

「お前、そこは受けない方が良いぞ」
「え?」
「宝埜」
「何で日比谷くんがそんな事を知って――」
「お前の持ってるパンフを見れば分かるだろ。なんで受けようと思うんだ」
「え? ああいや、何か家に推薦状が」
「嘘が雑だな。どうせ、物見遊山ついでだろ」

 本当なんだってば、と訂正しようとしたが日比谷は忙しいのか自分の家へ入って行ってしまった。話を聞かない。

 ちなみに、オープンスクールへ行った理由だが、2つある。
 1つはさっきも言った推薦状。こんなものを送り付けてくるぐらいだから、気になって仕方が無かった。
 そしてもう1つは日比谷の言った通り、面白そうだったから。友人によると、とても高校の景色では無いらしく、これを機に見に行ってみたかった。何せ、オープンスクールと言えば理由なしに校舎へお邪魔する唯一の機会だ。

 ――だから別に、受験したくて見に行った訳じゃないし……。

 誰も居ないので、当然その言い訳を拾ってくれる者はいなかった。

 ***

「これ、私悪くないやつでは……」

 1年前の回想から現在へ戻って来た依織はぼそっと呟いた。今の会話の中に、自分が10割悪い可能性は皆無である。低く見積もって3:7くらいの悪さだ。
 何か知らないが目の敵にされている可能性が高い。これからはなるべくモテモテ日比谷くんに関わらないよう、視界に入らないよう生きていく必要があるだろう。無理ゲー過ぎるが。
 それに、自分で言うのも何だが物忘れが激しい。他にも彼に粗相をしでかしているかもしれない。いつ、どういった経緯で目の敵にされたのかが分からない以上、見えている地雷を触るのは大変危険だ。忘れているけど、とんでもない事をやらかしたかもしれない。

 静かに決意を固めていると、長考していたようでポツポツとクラスメイトが教室に集まり始めている。そういえば、日比谷ぶっ込み事件で失念していたが、席周囲の人間関係についても考えなければ。
 どうか、出来る限り問題を起こさない普通の人達が周りに居ますように。