2話 情報屋のネコとコレクターの変人

07.営業の山本


 店の奥から慌てて出て来た男はきちっとしたサラリーマン風の男だった。何というか、スーツとか売る店で働いていそうな清潔感がある。
 そんな彼は一度だけ祢仔をぎょっとしたような顔で見たが、すぐに表情を取り繕った。当然というか普通の反応に何故か感動にも似た念を覚える。普通って最高。

 ともあれ、その男は伏見に対して営業マン然とした笑みを手向けた。既に営業をする気が満々。

「大変お待たせ致しました。わたくし、営業の山本と申します。本日はどのような後用事でいらっしゃいますか?」

 おう、とこちらは礼儀もへったくれもない旧知の間柄かのように伏見が片手を挙げる。馴れ馴れしいにも程があるが、営業の山本は意に介した様子も無かった。これが社会人、という事かと何故か納得する。

「聞いたで。ここ、あるんやろ。『愛染めの壺』っちゅうのが! 勿体ぶらんと、とっとと出しい!」
「愛染めの壺をご所望でしたか! お客様は大変運が良い。つい先日、流れで入荷したばかりでして。こちらです」

 途端、山本が意気揚々と案内を始める。これは買わせる気の手法だ。
 付いて行くべきか否か、一瞬だけ迷ったものの単純に事の行き着く先を見たくて同行する。山本その人も駄目だのケチくさい事は言わなかったので問題ないはずだ。

 数歩離れた位置から2人の様子を観察する。営業の山本は確かに、「詐欺師として」やり手なのだろう。彼がそうであると知らなければただの感じの良い店員だった。
 しかし注意して見ていると、彼の動きにはぎこちない面がある。
 例えば、伏見が持っている現金入りのトランク。それを視界に納めた時はトランクのサイズを目算していたし、猫神の構成員である自分も何度かチラチラと確認していた。この客が本当に『客』であるのかを推し量っているような動きだ。

 程なくして、客とおまけを店の奥へ連れ込んだ山本はディスプレイに飾られた現物を手で指し示した。

「お待たせ致しました。こちらが『愛染めの壺』でございます。こちらの壺は――」
「おん、説明はええ。何の事か分かってこちとらわざわざ来てんのやで。そんで、端的に値段は? 吹っ掛けてきよったら要交渉やから、誠意を以て答えた方がええで」
「どうやらお客様はかなりの通のようで……。そういう事でしたら、わたくしとしてもあなた様のご要望に応えなければなりませんね。こちらの壺、しめて1000枚と値段を付けさせて頂いております」

 その言葉を受けた祢仔は面の下の顔を盛大に歪めた。
 1000枚とは「1万円札の枚数」を指す。一千万と言うと品が無いように聞こえる為、久木町の裏社会人間が好んで使う表現だ。山本もまた、伏見の話の性急さから見て自身と同じ人種であると確信したのだろう。

 ただし、これが本物の『愛染めの壺』である場合、適正価格ではある。というか、やや安いのもまた事実。他では1050枚だったりとかなり広い範囲で値段のバラつきがあるからだ。
 ただし、彼は詐欺師。恐らく伏見のトランクのサイズを見て値段を調整してはいる。何故なら彼のトランクはサイズから見て1億円は入るサイズだ。しかし1億円などという大金を持ち歩くはずもないので、そう言った諸々の事情を加味してこの値段。

 ――さて、これをどうするのか。
 伏見の顔色を伺う。彼は面など着けていないが、どうやら祢仔よりずっと落ち着いているようだった。先程の獰猛な笑みとは打って変わって薄い笑みを顔に貼り付けている。全く動じている様子が無い。

「ええで。1000枚やな。張り切って金持って来たんやけど、まあ、そう使わんかったわ。ローン組むのは嫌いやねん。側近で一千万。それでええな?」
「ええ、問題ございません。というより、我々もローンは組まない経営方針でして……。何せ、ここは天下の久木町。ローンなど組ませたあかつきには、お客様が突然お亡くなりになる事もザラですから」
「よう分かっとるやないか! ほんじゃ、こっち金な」
「お買い上げ、誠に有り難うございます。それでは、こちら包装して参りますので。今しばらくお待ちください」
「おう、ぶっちゃけ帰りはタクシーやからそう大仰に包まんでええで。剥がすの面倒いし」
「承知致しました」

 ディスプレイごとそれを抱え上げた山本がそそくさと店の奥へ消えて行く。成る程、今から細工するつもりか。
 山本の気配が完全に奥へ消えて行ったと同時、終始傍観に徹していた祢仔は口を開いた。

「ここからどうするつもりですか?」
「うん? そら当然、中身を改めてアホやらかしとったら大暴れするで」
「そのトランク、どのくらい入ってるんですか」
「5千万」

 ――マジか。
 流石にぎょっとして息を呑んだ。現金で5千万。盗られたら人生が終わってしまう額が入っている訳だが、何を済ました顔をしているのだろうか。
 面で顔を隠しているが、動揺が伝わってしまったらしい。伏見は可笑しそうにクツクツと嗤っている。

「残った金はおっさんのお付き合い料で払ったろか?」
「それだと、1千万の壺より私の方が価値があるという事になりますね。4千万の女ですし」
「我ながら正しい金の使い方や思うけどな」

 冗談か本気か。表情からは判別が付かないが、恐らく金を湯水のように使う為の細工がある。それを確かめる意味では、もっと突っ込んだ質問をした方がいいのかもしれない。
 が、同時に脳が警鐘を鳴らす。多分、これ以上詮索すると碌な事にならないと。その小細工については別の人間に聞いた方が命の危険は無いだろう。