1話 喧嘩屋の日記

02.上司=アニキ


 ***

 世に言う『研修』とやらが終了したのは5月初頭だった。というか、研修と言うよりたくさんある注意事項を1ヶ月掛けて叩き込んだだけのような、ルール説明会だった気もする。
 華客狩りは所詮、腕っ節の世界。それを幾ら口頭で説明しようが無意味であったし、余所の企業が6月、或いは半年や1年間は研修だと言っているのをゾッとした面持ちで眺めていたのは記憶に新しい。長期間、椅子に縛り付けられて座学など万里には堪えられなかったからだ。

 ところで、華客狩りにはいくつかの会派が存在する。桐万里は『華客狩り』の『白真会』に参加しているが、これは実姉である桐志月が所属していたからだろう。所謂、何となくの流れというやつだ。
 どこだろうと良かったので、そのあたりの話は割愛するし、現在に至っては白真会で良かったと思っている。

「桐、待ったか?」

 不意に背後から話し掛けられ、足下を見ていた万里は弾かれたように顔を上げた。
 彼の名前は響鬼京也。黒い髪をオールバックにしており、スーツを何故か毎日着用。煙草を吸うらしく、煙草の匂いがする。体格はかなり良いし、ぶっちゃけ強面。
 なお、彼は万里の面倒を見る事を任された先輩分である。

「おはようございます!! アニキ!!」
「おう、おはよう」

 そんな響鬼はその手に書類の薄い束を持っていた。仕事だろうか。
 書類を見ていた事に気付かれたのか、薄く笑みを浮かべていた彼はその笑みを引っ込めた。

「信じられねぇとは思うが……昨日も言った通り、お前の研修は終わった。今日から当然のように仕事だ」
「うっす、頑張ります」
「とはいえ、一人で放り出したりはしねぇよ。1年は俺が面倒を見てやる、気負わなくていいぞ」

 態とらしく恐い顔を作ってみせた響鬼はしかし、次の瞬間には押し殺したように笑った。

「俺は今日、何の仕事をすればいいんですか?」
「ああ、そうだったな。まあ、一発目だ。下位マレビトの処理になる。丁度良い仕事もあったし」

 マレビト――主に華客狩りの処理対象である、人を喰らう化け物。当然ながら業務の全てが彼等を狩る内容になっている。が、どうやら危険区とされている久木町以外の地域では、マレビト被害は交通事故の件数よりずっと少ないらしい。
 何故、久木町にだけマレビト被害が密集しているのか。それを解明する事も業務の一つらしいが、万里にはあまり興味の無い話だった。

「下位、つっても一般人よりずっと強力だ。俺達の商売は自分の腕っ節で成り立ってるからな、怪我なんざ以ての外だぞ。入院費は出るだろうが、入院中の業務は滞る訳だ。自分自身の肉体が資本だって事を忘れるなよ」
「了解です」
「それに、俺としても面倒を見てる部下が急に怪我なんかしたら普通に心配するからな。怪我は程々にな」
「アニキ……! うっす、気を付けます!」

 今までの大学生活が脳裏を駆け巡る。
 海良とセット扱いされていたせいで、誰かに怪我の心配をされた事など皆無。彼女は異能の関係で怪我をしないが、自分は違う事を仲間達が完全に失念していたのは記憶に新しい。
 流石はアニキ、と万里は心中で上司を絶賛した。

「それで場所だが、これは参考程度に聞いておいてくれ。ドライバーが場所分かってるから、俺等は車に乗るだけだ」
「ドライバー?」
「いや、研修中に何度か出て来たぞ……。いやいい、場所は久木西ビルだ」
「んあ? そこって、えーっと、いつだったか忘れたけど廃ビルになりましたよね? 老朽化とかで。結構前だった気がするけどな……」
「およそ1ヶ月前から、老朽化で建て替えの為に廃ビルになっちまった。企業がたくさん入ってたが、今では散り散りだ。新しいビルが建てば戻って来るだろうがな。とはいえ、知っての通り久木の建設業者は多忙だ。まだ着手出来てねぇのも事実」

 主にマレビトや華客狩り、そして相談所の実働員が大暴れする町だ。建物は常に破壊の危険に晒されていると言っても過言では無く、建設業者は毎日目が回るような思いで居る事だろう。

「何か、知らねぇ奴とか住んでそうっすね」
「そうだろうな。寝泊まりしていた部外者が、マレビトに襲われて1階に転がっている。酷い腐臭で通行人が気付き、一度相談所預かりになって、華客狩りに回って来た。今回は外れではなく、確実に、居るぞ」
「えーっと? 相談所に一度相談した結果、俺達の仕事になったって事すか?」
「そんなところだ。ああそうだ、内部の片付けについては昨日中に相談所がやってる。まさか死体を見て驚いたりはしねぇな? 今更」
「まさか。久木には常に仏さんが転がってるんすよ? 俺、生まれも育ちも久木なんで」

 川には人のご遺体が浮いているし、裏路地に入れば人が倒れている。それが久木だ。今更、その程度の事でいちいち驚きはしないし、それは自分だけでなく久木の住人全てに当て嵌まるだろう。

「すいません!」

 不意に高い女性の声が割って入った。何だ何だ、とそちらを見るも華客狩りには居ないタイプのゆるっとした女が立っているだけだった。
 ――あ? コイツ誰だったっけ……?
 必死に記憶の糸を手繰り寄せるが、全く思い出せない。これは知り合いじゃないな、早急に思考を打ち切った。が、響鬼は緩く片手を挙げる。

「おう、今日は頼んだ」
「はい! あ、私、今日のドライバーです」

 成る程確かに、彼女は片手に車のキーを持っていた。困ったように微笑むと出口を指さす。

「今日の車は122番です。エンジン、掛けておきますね」

 それだけ言うと、彼女は小走りで去って行ってしまった。今思い出したが、そういえば華客狩りには戦闘は出来ないものの、車を運転する高い技術を持ったドライバーがいる。
 原則、仕事先では戦闘になる可能性が高いので公共交通機関、及びタクシーの使用は禁止されているからだ。