1話 こんにちは異世界

05.部室の設定画集


「まず、僕達がやっている仕事っていうのがこの大陸に空いた底の無い大穴、《大いなる虚》っていう穴を通って召喚される生き物を、召喚される前に処理する事なんだよね」
「召喚される前に?」

 ――何だろう、ニュアンスに聞き覚えがある。いや、聞き覚えがあるだけじゃない。これは下校中にも考えていた重要な話題だ。
 こちらの反応を伺いながらか、更に部長は言葉を続けた。

「その化け物なんだけど――神格、って言えば伝わるかな。添える情報としては、部室にあった設定画集」
「……え? 正気ですか? だってそれ……」
「いや、僕も何がどういう原理でそうなったのか分からない。けど、事実なんだよね。何度か神格そのものか、その眷属とも戦って来たし」

 『設定画集』。それは部長達が入部する以前からずっとあった、禍々しい生物が描かれた画集。あれは謂わば文芸部の商売道具だった。出版社も不明、作者も不明。タイトルも無い。
 あの画集から想像力を働かせた文芸部はあの描かれたおぞましい化け物達に新たな設定を付け加え、付け足し、その化け物と戦う小説を作り出した。

「――えっと、見た目だけ一緒って事で良いですか?」
「いいや。僕達が作り上げ、練り上げた設定がそのまま適用されてるんだよね」
「そんな馬鹿な……。もしそれが本当に現実に存在していたら、人間なんかじゃ勝ち目が無いですよ。私だって、書いた小説のキャラクター達は出来るだけ召喚儀式時点で解決するように調整していました」

 あれは小説、フィクションだったから良かった。だが、現実にあんな化け物と人間がやり合えば瞬殺されるに違いない。

 しかし、驚いたのも束の間だった。一瞬だけ動いた心は次第に静まり、穏やかな湖畔のような状態へと戻っていく。すっと引いた熱、落ち着きを取り戻した樒は仕切り直すように椅子へと深く腰掛けた。
 それを見ていた浅田が苦笑する。

「落ち着いているね。勿論、こんな危険な仕事、やりたくないと思う――」
「いえ、良いですよ。帰れないって言うのであれば、それでも何ら構いません。私、現実なんてクソつまんないと思っていましたから。一人だけ帰って良いと言われても、帰りません。だって、学校には誰もいないじゃないですか」
「え、あ、そうなの? 僕達、どうなっているのかな?」
「事故で昏睡状態です。部員が私しかいないので、停止中ですよ」

 部長の唇が「ひさん」、と僅かに動いたのを目聡く見つけてしまった。それを指摘するつもりは無いが。
 微妙になった空気を変えるように、黙って聞いていたルッツが口を開く。

「ちょっといいかな。一度、教会へ行って召喚士としての力量を測定したいんだけど。街も案内した方が良いと思うし、一旦外に出てみないかい?」
「そっ、そうですね! さあ、行こう有嶋さん!」
「……はい」

 ぎこちなく立ち上がった浅田の背を追うように樒は立ち上がった。

「うん? 誰か、来ますね」

 そこで人気の無かった施設内部に煌びやかな格好をした女性がいる事に気付く。遠目でも分かる赤い衣装を纏った、赤毛ですらりとした体格。
 近づくに連れてその容姿が明らかになる。髪色と同じ真っ赤な双眸に、真っ赤な唇の色。目が覚めるような美女はその整った容姿に相応しくない豪快な笑顔を浮かべていた。

「おお! 話は終わったか、マスター・ユウシ!」
「あ、イザベラ……」

 見覚えがある。彼女は浅田のアプリにいた、連れ歩き召喚獣だ。それが実在している世界線である以上、彼女はここにいて何らおかしな事は無い。
 イザベラと呼ばれた彼女は樒を見ると爽やかな笑顔を浮かべ、ひらりと手を振った。

「久しいな、我がマスターの友よ。そなたは、えーと、何て言ったかな?」
「有嶋樒です」
「そうそう、シキミ! そなた、あまりにも「あぷり」とやらにログインせぬらしいな。イグナーツの奴が文句を言っておったわ」
「そうなんですか」
「うむ、奴は新しい物が好きであるからな。異例の異界マスターについて色々と知りたかったのだろうよ。まあ、そなたがいるのであれば奴も長すぎる散歩からその内戻るだろうさ」

 いないのは事実のようだ。帰って来るのであれば、その時に他と同様、ここへやって来た事を伝えれば良い。
 それに、イグナーツには悪いが彼の事はあまりよく知らない。諸事情により、アプリを起動する機会が少なかったからだ。こちらで知っている情報は、見た目、人間では無い事実、性別くらいだろう。それは恐らく、向こうも同じだが。

「イザベラ、僕達は今から教会へ行くけど一緒に来る?」
「行く! そなたもおらぬし、やる事も無いし暇で暇でな。さんざ歩き回った街の中とはいえ、散歩に付き合おうではないか」

 賑やかな人が増えたな。そう思って樒は僅かに目を眇めた。しん、となると気まずいので丁度良い。