第5話 浮き草達の掟

02.宣伝の成果


 思いの外、闇の深い話題に触れてしまった。しかし誓って言うが、浮き草の民として街の外に住んでいる人間の全てが魔物対策の施された町人を憎み恨んで貰っているとは思わないで欲しい。
 中には支援するとか、物資補給に一役買うと言ってくれる心優しい人もいる事を私は知っているからだ。

 もっと言ってしまえば、街から一歩出れば弱肉強食の世界。弱い者から淘汰される世界において、私の視界に入らない街の中で生きる人間の事など気に掛けている余裕は無い。
 なので町人に恨み言を漏らすのは、実は魔物世代ではなくある程度歳を取った、裏を返せば平和だった時代を知る大人達である。

「何でも良いんですけど、技能検査ってやっぱり採血ありますよね?」
「そうだね、それ以外の方法はまだ見つかっていないよ」
「私、針とか苦手なんですよね。痛いとか痛くないとか以前に、あれって人体に突き刺すものじゃないでしょ。あのチカッてする感じも苦手だし」

 まあ行きたくないので、恐らく行かないが。私は今まで病気になった時以外に診療所へは行った事が無い。当然、注射が嫌いだからだ。
 即ち、今まで一度も技能検査を受けたことが無いのと同義である。とにかく注射。あれだけは堪えられない。他の方法があるのなら、面白半分で参加するかもしれないが。

「へぇ。注射とか苦手なんだな。なら、エレイン! 兵舎の医師にやって貰おう! 俺達はよく怪我をするし、腕は確かだ。上手い医者の注射は痛くないぞ!」
「エッ。いやいやいや! 良いですって、ありがた迷惑!!」
「現実問題、君の技能は三等かそれ以上の珍しさだから技能登録の為にも受けて貰わないと困る。浮き草だと言っていたし、そのままスルーされたらまた来年まで待たなきゃいけないからな」
「ちょ、まっ――そもそも私、部外者ッ!!」

 逃げだそうとしたが、ライナルトさんにがっしりと腕を掴まれてしまった。血圧を測る時のような圧迫感、コイツなんて力だ。
 嫌だ嫌だ、と散歩を渋る犬のように踏ん張ってみるがものともせず引き摺られる。もう一度言おう、コイツ、なんて力だ! しかも後ろからはくすくす笑っているコローナさんも続いている。逃げ場など無かった。

 いつの間にか建物の中へ。パフィア兄妹はよくケーキを注文するので、兵舎の庭に行くことはままあるが、兵舎の中へ入ったのは初めてだ。
 当然のことながら兄妹以外にも師団の人間が彷徨いている。中には獣人だったり、有翼族だったりする者もいるようだ。私は緊張で口から心臓を吐きだしそうになりながらも最早黙ってライナルトさんの後に続く。不審な動きなぞしたら殺されかねない緊張感だ。

「ライナルト、可愛いお客さんだな。妹か何かか?」
「団長! いえ、彼女はスイーツ工房の従業員です。諸事情で、うちの医務室で技能検査を受けさせようと思いまして」

 ――団長!?
 不穏な言葉に恐る恐る顔を上げる。その団長はライナルトさんの目の前に立っていた。かなり背が高い。こちらに気付くと穏やかな笑みを浮かべた。でも雰囲気が恐いので私が返せたのはぎこちない愛想笑いだけだ。
 私に対してか、苦笑を漏らした団長さんが言葉を紡ぐ。不思議と耳を傾けてしまうような重低音だ。

「そうか。いつもケーキが美味い、と店長に伝えておいてくれ。エレイン」
「え、あ、はーい。了解です」

 何でこの人、私の名前知ってんだろ。そう思いはしたが、団長さんはそのままライナルトさんとコローナさんの横を抜けて廊下を歩き去って行った。いやいや、アンタ部外者が兵舎を彷徨いてんだから止めろよ。と、思わなくもなかったが言える訳が無い。

「さあ、行こうエレイン。大丈夫、私も兄さんも着いてるよ」
「この異様な状況でそんな事言われても……。何でさっきの、団長さん? は私の事を知っていたんですかね」
「はは、エレイン、君の名前を知らない団員はいないよ! 宣伝の賜物だね!」
「衝撃の事実ッ!」

 先頭を進んでいたライナルトさんが笑っているのか、肩を僅かに揺らした。

「そういう訳だから、あのチラシはもうちょっと置いて行ってくれよ。取り合いになるし、苺フェスに間に合わないって団長に怒られたんだよ」
「あの強面団長さんが苺ケーキ頬張ってるところは……想像できないですね」
「団長は甘い物、好きだぞ。菓子を作る才能は無いみたいで、糖分が不足すると砂糖ごと行くけど」
「生活習慣病には気を付けた方が良いと伝えておいて下さい」
「ああ! 承知した」

 ――冗談だったんだけどなあ。
 この後、道すがら会った名も知らない師団員達に手を振られ、生暖かい視線を向けられながら医務室へ。兵舎と言えど、流石は王城の敷地内にあるだけあって普通の家よりずっとしっかりした造りになっていた。

 医務室のドアをライナルトさんが軽快なリズムで叩く。

「失礼致します。12班のライナルト・パフィアです、技能検査の件で相談があって参りました」

 返事は無かったが、ライナルトさんはめげること無くドアを開けて中へ入った。2月、寒い季節であるにも関わらず室内は暖かい。何らかの魔法が起動し、室内の気温を保っている事は伺えるが残念ながら私には魔法の才能が皆無なので、それが何の魔法なのかは分からなかった。