第3話 セトレシア騒動

01.工房のドッキドキ緊張イベント


 その日のスイーツ工房はただならぬ空気に包まれていた。何か、一歩間違えば争いに発展しかねないピリピリとした緊張感。厨房からこちらを覗き見ている店長の顔も険しく眉間に皺が寄せられている。
 腰に手を当てたクリフくんの視線は鋭い。まるで今から人を殺しかねないような勢いがあると言えよう。そんな恐ろしい視線はリリちゃんと、そのテーブルの上に注がれている。
 リリちゃんはと言うと、のんびりした雰囲気を纏いつつもその手には鋭く尖ったフォークを持ち睨み付けるようにテーブルの上を凝視していた。

 ――テーブルの上の、小さなホールケーキを。

 まるで日常風景のようだが、とにかく殺伐とした空気は呼吸した喉を裂かんばかりに張り詰めている。
 と、不意にリリちゃんが動いた。
 スッと油断のない動きでしかし豪快に、ケーキにフォークを入れる。彼女にケーキを取り分けるという発想は皆無だ。そのままケーキの一欠片を口に入れる。

「――……ん〜。前にも言ったと思うけどぉ、何か足りないんだよねぇ。美味しいんだけど〜、物足りなくなっちゃうっていうかぁ。良く言えばあ、忠実に作ってあるんじゃなぁい? でも〜、悪く言えば〜、メリハリが無くて機械的って感じぃ」

 例にもよって割と辛口なリリちゃんの評価に顔をぴきっと引き攣らせたのはクリフくんだ。くそっ、とテーブルを殴る。リリちゃんが座っていた隣のテーブルは真っ二つに割れた。

「ぐっ、何が足りないと言うんだ……っ!! そもそも、お前が言っている事は意味が分からない!」

 クリフくんはパティシエ見習い、店長であるブライアンさんの弟子である。こうして、業務の合間を縫っては自作のケーキを作るのだが味見は専らリリちゃんに任せている。そうして、毎回何らかの評価を貰うのだが、最近の彼女は上記の発言ばかりだ。
 リリちゃん本人は何かのソムリエでも何でも無いので、素人丸出しの意見だがこれがなかなかどうして宛になる。味にはうるさいからだろう。

 ともあれ、その様を隣で眺めていた私もまたフォークを左手に装備。リリちゃんが囓った部分とは反対からケーキを切り崩す。
 そうして定番も定番、チョコレートケーキを一口入れた。
 すぐにチョコレートの味が口一杯に広がる。甘すぎず、かと言ってビター過ぎない。店長が教えているからか、とてもよく似た味のケーキだと言えるだろう。しかし似て非なる物。つまりは別の物でもあるような。

「うん、店長のケーキの方が美味しい。でも、これはこれで良いと思うけどなあ。個人差じゃない? 強いて言うのなら、店長のケーキの方が味があるって感じ」

 私のリリちゃん以上に曖昧な評価に対し、クリフくんは何故か心底呆れたような溜息を吐いた。腹の立つ奴である。

「お前の助言は最初から聞いていない」
「エレインは〜、あまり味とかに頓着しないよねぇ。食べられれば何でも良いって感じ〜。ちょっと野蛮だよぉ」
「や、野蛮!? あまり否定出来た境遇じゃないけどムカつく!」

 そもそも、クリフくんは菓子など上手く作れなくともやっていけそうだ。いや、第一に何故ケーキである必要があるのか。彼の腕なら魔物狩りをしているだけで日銭を賄えるに違い無い。人――否、ダークエルフとはよく分からない生き物だ。暇を持て余した高等種族のお遊びなのだろうか。

 不意に厨房から事の成り行きを見守っていた店長が小さな皿を持って表へ出て来た。皿の上にはケーキが1ピース乗っている。

「食え」
「し、師匠……!!」

 差し出された皿を受け取ったクリフくんは感極まった顔をしている。意味が分からないよ。
 恐らく、店長としてはクリフくんを元気づけようとケーキをサービスしたのだと思う。しかし、当の弟子はそうは受け取らなかったらしい。一口食べた瞬間、顔を輝かせる。まさに神を見るような目。何かの宗教かな?

「さ、流石は師匠だ! この固すぎず柔らかすぎないスポンジと、滑らかな口溶けのクリーム! 甘くもあり、そしてどことなく苦みのある――いいや、二重にも三重にも味わい深い……」

 通っぽいようなそうでもないような評価を口から垂れ流し始めたクリフくんから目を逸らす。何でこの人、こんなに残念なアレになっちゃったんだろう。

「リリちゃん、私にも少し分けてよ。というか、要らないなら頂戴よ。昼ご飯食べてないや」
「確かにぃ、店長程の味じゃないって言ったけどぉ。でも〜、これは〜、休日出勤したわたしへのご褒美だから〜。4分の1だけね」
「そ、そんなには要らないかなあ」

 リリちゃんが言った通り、今日の彼女は休日出勤者である。クリフくんのケーキを味見する為だけに店へ来たと言ってもいい。とはいえ、ホールのケーキ4分の1なんて胸焼け不可避なので、適当なサイズを切り取った。
 黙々とケーキを食べ始めると、ケーキの評価から自らへの懺悔へと話題を変えたクリフくんの無駄に良い声が耳に入ってくる。いやホント、黙っていればただのイケメンなのになあ。

「すいません、ブライアンさん! こんな弟子で……明日、いや今日からもっと精進しますッ!!」

 当の店長は酷く困惑したような顔をしていた。なお、自身の無力さを盛大に嘆いているクリフくんにその様子は伝わっていない模様。