第3話 セトレシア騒動

02.強靱なおじいちゃん


 師弟の三文芝居を眺めていると不意にリリちゃんが首を傾げてフォークを置いた。

「どうかしたの?」
「ん〜、何か〜。外、騒がしくなぁい?」
「ごめんね、人間の聴覚じゃよくワカラナイや」
「エレイン、見て来てよ〜。クリフはあの調子だしぃ、君なら何かあっても〜、逃げ帰って来れるでしょ」

 仕方ないなと私は席を立った。何せ、リリちゃんは本来休日だ。今日は見事に出勤日の私が先に動くのが筋というものだろう。

 行って来ます、と誰も聞いていない店内に言葉を掛け外へ。どうせ魔物が暴れているんだろう、倒せそうなら倒して来ようと珍しく息巻いているとすぐに魔物の巨大な背が視界に入った。
 何故か店に背を向け、言葉を発している。

「筋と皮ばっかで旨そうじゃねぇなあ! だがまあいい、ニンゲンの肉は旨――」

 誰かいるのだろうか。お客さんかもしれない。お客様は神様、と心中で唱えて臨戦態勢に入る。このままではうちのケーキを食べる前にお客様が魔物に頭から喰われてしまう。
 緑色のざらざらとした皮膚に風穴を空けてやるべく、私は常備されている鉄パイプを手に取った――瞬間。

「ギャアアアアア!?」

 醜く甲高い悲鳴と共に、魔物が爆発四散した。全く予期せぬ出来事に、理解が追い付かず頭から返り血を浴びてしまい噎せ返るような臭いが辺りに充満する。

「……えっ?」

 理解したくない現実を前に、首を傾げてみたが効果は無かった。
 グロテスクに四散している魔物の向こう側にいた人物と目が合う。こちらに肉片と血液を吹き飛ばしたので突き出した右腕以外は特に汚れていないご老人だ。
 そんな彼は私を一瞥すると、旧知の友のような仕草でよっと片手を挙げた。
 白髪で真っ白な頭、皺の寄った老獪な顔立ち。腰は曲がっているが、シャツなどから覗く筋肉は恐らくクリフくんより付いているだろう。

「おお、お前さんは何故そんな所に突っ立っていたのだ。ううむ、酷い有様よな。儂が吹き飛ばした魔物の破片を頭から被ってしまったのだろう。何だか臭うぞ」
「いやあの、あなたのせいなんですけど」
「これで服を買って来ると良い。スイーツ工房とやらに用があったのだが、お嬢ちゃんを放ってケーキを食っているわけにもいくまい。下まで送ろう」

 この人、今森を抜けて来たんだよね? よくここまで来るパフィア兄妹の妹は片道だけでも心底お疲れのようだったが、目の前の老人に疲れている様子は見られない。奇跡的にあまり魔物に出会さなかったのだろうか。そんな馬鹿な。
 と言うより、金を受け取る訳にはいかないのでそれを押し返す。頭から爪先まで汚れる事はそうそうないが、それでも血みどろフィーバーには慣れている。

「えっ、いや良いです。というか、お客さんですよね? 中に店員がいるので、そちらに案内して貰ってもいいですか? 私、着替えて風呂に入って来ますから」
「うむ、しかしどうやって森を出るつもりだ? 悪い事は言わん、儂が外まで連れて行ってやる」
「いや良いですって、ホント。私の事なんて忘れてケーキ食べてて下さいよ」

 シリザンの森を抜けられるという事は、ケーキの味次第で店に直接来る常連さんになってくれる可能性がある。その可能性の芽を潰す事は憚られた。

「ううむ、そうか……? お前さんがそう言うのならば、そうさせてもらうが」
「それにしても、お強いんですね。店まで直接来るお客さんはあまりいないんですよ、デリバリーを始めてから」
「まあな。儂は店長に用がある。デリバリーとやらをアレがするとは思えぬし、ならば自ら足を運ぶまでよ」

 確かに、店長をデリバリーしろと言われても困るし彼の言い分は順当だ。

「おおそうだ、儂はヘルマン・カルピネン。お嬢ちゃんは?」
「エレインと申します。さっ、店はこっちですよ」

 私は血塗れの指先で店の入り口を指さした。ヘルマンさんは私の格好にそれ以上触れること無くからりと笑う。

「すまんな。お嬢ちゃんも、早く着替えた方が良い。風邪を引くぞ」
「風邪を引くって言うか、変な病気になりそうですけどね」

 いちいち家まで戻るのも面倒だったので、帰りの手荷物が増えるが店にあるストックの着替えを出そうとヘルマンさんの後に続いて中へ入る。と、相も変わらずクリフくんに構っていた店長がガタッと音を立てて後退った。
 私の格好に驚いたのだろうか。確かに血塗れではあるが、あの野蛮極まりない大斧で魔物を真っ二つにするようなメンタルの持ち主である店長が、そんな事で驚くのは考え辛い。
 のだが、私が口を開く前にヘルマンさんが店長へと声を掛けた。

「おう、随分と遅くなったが店を見に来たぞ、ブライアン!」

 知り合いなのだろうか。店長が若干オロオロしたように周囲に視線を撒き散らした。しかし、彼の視線の先には突然現れた強靱な老人に警戒するクリフくんと、この状況でケーキを頬張り客には目もくれないリリちゃん。そして頭の先から爪先まで血みどろの私しかおらず、諦めたように項垂れた。ご愁傷様です。
 そんな店長を尻目に、私はお色直しすべく従業員準備室へと身を翻した。