第2話 スツルツのウサギ

07.ウサギの矜持


 ――それにしても。

「どうして勝てないと分かっていたのに向かって行ったんですか?」

 最初にヘドロの魔物が現れた時はともかく、彼女は一度力量差を理解した上で、それでも逃げ出したりはしなかった。魔物に勝てないようなら街の中へ応援を呼びに行く、というのは出任せで門番を始めたら交代が来るまでは絶対に持ち場を離れられないのだろうか。
 そうであるのならば、ギルドとはなかなかに過酷な職業である。そんな恐ろしい予感を胸に訊ねてみるも、チェチーリアさんは肩を竦めた。

「一般人を放り出して逃げ出す訳にはいかないでしょ。ま、アンタは一般人だけど、随分と有能な技能を持っているみたいだったからどうにかなったけれど」
「ふぅん……」
「言ったでしょ。あたし達は国の報酬に釣られてやって来た間抜け共とは違うの。矜持を持って仕事をしているのよ、あまり見くびらないでよね!」

 ギルド員と一口に言っても色々なタイプがいるようだ。しかし、私はクリフくんの吐き捨てるようなギルドの総評を思い出す。
 ――クリフくんへ。ギルドの人って悪い人ばかりじゃないみたいだよ。エレインより。
 誰に届く事も無い心中の呟きを空に念じた。だからと言ってどうなる訳では無いのだが。
 何はともあれ。

「取り敢えず、ケーキの代金を貰っていいですか?」
「は!? 数秒前まであたしが折角良い事言ってたのに!? 空気読みなさいよ、空気!」

 チェチーリアさんが何やら憤慨しながら私にケーキの代金を手渡した。小銭までピッタリなので予めギルドの方で用意していたのだろう。
 これで今日のミッションはコンプリートだ。店に戻って完了報告をしなければ。

「では、スイーツ工房を今後とも御贔屓に!」
「それは味次第よ。気を着けて帰りなさいよ、アンタ、鈍臭そうだし」
「や、あなた程じゃないと思います」

 くるりとチェチーリアさんに背を向け、平原の空気を一杯に吸う。はて、何か重要な事を忘れている気がする――

 ***

「ただいま戻りましたよーっ!」

 私がスイーツ工房へ戻るとゴロゴロと従業員一同に加え、店長が思い思いの時間を過ごしていた。言うまでも無いが、店への客はゼロである。流石に魔窟過ぎないか、うちの店。ダンジョンの中にある休憩ポイントかよ。
 ともあれ、シフトのミスで全員集合してしまった愉快なスイーツ工房のメンバー達は興味無さそうに私を一瞥しただけだった。冷め過ぎ。

「無事届けてきました、店長。外で受け渡しって事でしたけど、うっかり魔物と鉢合わせて大変でしたよ」
「無事だったか?」
「て、店長! 私の事を心配して――」
「違う。ケーキの話だ」

 そんな事だろうと思ったよ! 肩を竦めた私は今日あった事のあらましを適当に話して聞かせた。今日はやる事がもう無いので暇だったとも言う。
 話を聞いたエルフのリリアンことリリちゃんは首を傾げる。

「人があ、人間にぃ? それって〜、エルフも含まれるのぉ?」
「え、さあ。半年前? くらいからそういう話が上がってるらしいね」

 正確に言えば、と紙にインクを走らせていたビエラさんが手を止めずに補足の説明を付け足す。

「人間が魔物化する現象は魔物の大量発生以前から起こっていた事だとも言いますね。とはいえ、そのような事を公式に発表すれば民衆が恐怖に怯えるのは必至。国から『それ』が発表される事は無いでしょう」
「えー、物騒だなあ」
「ところで、春に向けての新作のケーキなのですが」
「え!? その重要そうな話題、もう終わりですか!?」
「逆に訊きますが、それは我々にとって必要な情報ですか? 春の苺スイーツもとい苺フェスを乗り切る方法の方が余程大事です」

 よくよく考えてみれば全く持って正論だった。私も春の事について頭を切り換える。何やらノートにメモを取っていたクリフくんが店長に話し掛けた。

「今年の苺ですが、平均この程度の値段かと。魔物被害で割高になっていますので、ケーキ1つの値段は――」

 ああ、平和だなあ。思わず私は天井を仰いだ。
 しかし、そんな平和な気分はものの数秒で打ち砕かれた。店長の胡乱げな声によって。

「エレイン、お前チラシはどうした?」
「……あっ」

 ***

 丁度、スイーツ工房の店員――エレインと入れ替わるようにして、門番の交代員がやって来た。チェチーリアは目を怒らせ、交代のメンバーに詰め寄る。

「ちょっとアンタ! いつまで待たせんのよ愚図! あたしが大変だった時に、何してた訳!?」
「わ、悪かったって……! まさかあんなに強そうな魔物が出て来るとは」
「見てたの!? 助けなさいよ、なら!」
「い、いやあ……。俺じゃアレにはちょっと勝てないかなーって」

 顔が引き攣るのが分かる。何を言っているのか、この貧弱野郎は。何の為にギルドに入ったのかまるで分からない発言に頭痛すら覚える。へらへらと笑っている同僚は、黙り込んだのを許しを得たと勘違いしたらしい。いつも以上に饒舌に――機嫌を取り繕うように言葉を紡ぐ。

「いやあ、それにしてもケーキ屋の子、強かったなあ。ああいうのがギルドには欲しいのに、何でケーキ屋なんてやってんだろ」
「知らないわよ!! ああ、苛々する! アンタの顔見てると特にね! あたしはギルドに戻るから、サボらず門番しなさいよ!」
「わ、悪かったって! ……ん?」

 不意に彼が何かに気付いたように視線を落とした。釣られてチェチーリアもまた、そちらを見やる。
 ――散らばった紙。見張りをしていた時には無かったので、エレインの落とし物だろうか。それにしては、落とせば気付きそうな量の紙束だが。
 1枚拾い上げてみる。どうやらチラシらしい。

「そういや、あの子どこから来たんだろーなー。徒歩圏内かなあ?」
「……シリザン」
「え?」

 チラシによると、店の住所はシリザンの森となっていた。