第2話 スツルツのウサギ

05.門番ウサギは気難しい


 ***

 翌日。

 注文された誕生日ケーキを片手に、私はスツルツを訪れていた。ホールケーキがうっかり潰れてしまわないように細心の注意を払って着地する。街の外で落ち合う予定だったので、待ちを囲う巨大な石造りの壁を見ながら依頼人の姿を捜す。

「もう、チラシ邪魔だなあ……」

 もう片方の腕でチラシを抱えながら周囲を見回す。遮る物の無い平原にはゆったりと歩いて行く大型の魔物や、チョロチョロ走り抜ける小さな動物、そして人が荷台を押していたりと長閑な光景が広がっている。
 しかし、あの巨大な魔物はいきなり人に襲い掛かって来たりはしないのだろうか。シリザンの森も相当恐ろしい場所であるが、平原は平原で遮る物が無いので危険に感じる。

 注文者の姿を捜しながらゆったりと歩く。しかし、私はそこで気付いた。街へ入る為の門周辺に跳べば良かったのではないか、と。とはいえ、もう門はすぐそこだ。

「……あっ」

 門の正面、仁王立ちするシルエットを発見。私が彼女を見つけたという事は逆も然りだ。私がそうしたように、彼女もまた目を見開いて私の姿を認めた。
 多分、注文者だろうと当たりを付け会釈する。
 呆気にとられたようにこちらを見ていたその人は何故か憤慨したように両手を腰に当てて地団駄を踏んだ。

 何かクレームじみた言葉を言われる予感をひしひしと覚えつつ、ゆっくりと女性に近付く。彼女は端的に言えばヒューマンではなかった。
 髪に紛れて近付くまで分からなかったが、淡い茶色、ウェイブの掛かった長髪に紛れて同じ色の細長い耳が見える。もっと言えば、それはウサギのような耳だった。非常にもこもこで撫で回したい衝動に駆られる。
 黒目がちの瞳に仕草とは裏腹に幼い――童顔。しかし、すらりと伸びた手足はモデルのように美しい形をしている。そしてギルド員だからだろうか。軽く武装しているのが伺えた。

 そんな獣人の彼女は眉間に皺を寄せ、その童顔にありありと苛立ちを滲ませていた。何だと言うのだ一体。

「こ、こんにちはー。スイーツ工房です、ケーキをお届けしに来まし――」
「ちょっと! どうしてもう来ちゃったのよ、というか、どこから来たの!? まさかアンタ、平原を横切って来たんじゃないでしょうね! 危ないわよ、死にたいの!?」
「ええー……。早かったですか、到着。一応、お願いされた時間の10分前に到着したんですけど。あ、チェチーリアさんですよね?」

 箱に貼られた紙を見ながら訊ねる。彼女は私をケーキ屋の店員だと思っているようだが、こちらは本人確認をしないと知らない人に誕生日ケーキを渡してしまう事になりかねない。
 しかし、私の態度をおざなりに感じたのかまたも注文者は目を怒らせた。何て沸点の低い人なのだろうか。

「そうよ、あたしがチェチーリアよ! ギルドのお仕事として、交代で門番をしているの。頭の良い魔物は、壁の弱い部分である門を狙って来るから仕方ないわね。で! また交代が来てないのよ!」
「成る程。今は持ち場を離れられないという事ですね」
「そういう事! アンタ、見るからにひ弱そうじゃない。10分も外で待っていたら魔物に頭から囓られちゃうわよ!」

 遠回しに心配してくれているのか、よく分からない人だ。とはいえ、魔物が来たら最悪逃げればいいのであまり危機感は覚え無い。それを初対面の相手に懇切丁寧に説明するのも骨なので、「そうですねえ」と受け流す。

「チェチーリアさん、お一人で見張りですか?」
「まぁね。とはいえ、魔物が襲い掛かって来て、万が一勝てないようだったら増援を呼ぶけれど」
「へぇ、ギルドって大変ですね」

 ビエラさんはギルド員が潤沢に揃う云々と言っていたが、言う程人員がいる訳ではないのかもしれない。

「そうね。大変だわ。でも、それがギルドってものでしょ? あたし達は水増し人員のトレジャーハンターとは違うのよ!」
「水増し人員……」

 ギルドにも色々事情があるようだ――と、社会問題について夢想していたところチェチーリアさんが目を見開いた。何だ何だと私も背後を見やる。

「わっ、魔物だ。でも、あまり強く無さそう」

 ここは外だ。いつ魔物がやって来ても可笑しくない。
 私達が話をしていたのに釣られたのか、割とグロテスクな外見の魔物がのそりのそりと近付いて来ていた。ヘドロの塊のような、形容し難い色の塊。心なしか、臭う。生ゴミのような臭いが漂ってきて鼻に突き刺さるかのようだ。
 案の定、人間よりずっと五感が鋭いウサギの獣人であるチェチーリアさんはそのご尊顔を盛大に歪めていた。

「な、何よこの不潔そうな魔物は! でも、弱そうね。Lv.1か2くらいかも……あたし一人で何とかなるかしら」
「えぇ、自信、無さそうですね。誰か呼んで来ましょうか?」
「良いわよ! あたし一人でやれるったら! 引っ込んでなさいよ、一般人!」

 魔物には独断と偏見でレベルなるものが付けられる。1から7まであるが、7という数字が用いられる事はほぼ無いだろう。Lv.1の魔物ですら民間人の手には余る存在なので、2や3くらいになるとギルド員でも苦戦を強いられる事がある。
 ちなみに、シリザンの森に出る魔物はLv.3〜5。こんなの人が寄りつかなくて当然である。魔物にも縄張り争いなるものが存在する、と魔物博士の何とかさんが論文を出しているそうなので、一所に強い魔物が密集する傾向にあるようだ。

 チェチーリアさんが腰に結びつけていた鎖鎌を装備する。大丈夫か、そんな武器で。あのぶよぶよの体表にそれが突き刺さるビジョンが全く湧かないのだが。

「店員さん、アンタちゃんとケーキを死守しなさいよ!」
「エレインです。まあ、ケーキを守るのは訳無いですけど……」

 あなたの方が心配です、そう言う前に果敢にもチェチーリアさんは駆け出して行った。鼻は人間よりずっと良いので、苦行を強いられているだろうがよく動く事だ。