第8話

05.ニンテスちゃん


「な、何を思い出したんだ?」

 重要な事を言いそうな前振りにリカルデは静かに唾を飲み込む。核心に迫るような言葉を待つも、チェスターは何故か質問してきた。

「その前に確認だが、お前達はこれの中に何を視た?」
「え? 私は……10年前の風景を視たが……。イアン殿はどうだろうか?」

 質問の意図をじっくりと吟味するようにイアンは目を細める。ややあって、吸血鬼の問いに答えた。

「そうですね、私は――黄金の杯が視えます。これは……」

 珍しく胡乱げな顔をしたイアンはそれっきり黙り込んだ。深く思考しているのが窺える。
 一方でチェスターの方は現状について当たりが付いているかのようだった。自身の仮説が正しい事を確信した表情。

「一つお尋ねしますが、貴方にはこれの中に何が視えるのですか?」
「うん? ああ私には60年前の『真夜中の館』が視えている。そして、それが視えているのは正しい状態だ」
「私とジャックには同じ物が視えていました」
「……お前達は長い付き合いだったか?」
「逃亡生活を共にした以外の接点などありません」

 正解に一番近いはずのチェスターだったが、その顔から自信がやや喪失したのが見て取れる。しかし、我に返ったのか首を横に振った。

「それに関しては私もなんとも言えないな。が、この魔物が何であるのかは分かった」
「そうですか、実に興味深いですね」
「これは魔物――神魔物。ニンテスという固有の名前を持っている」
「ニンテス?」

 訳が分からないので思わず素っ頓狂な声を上げたリカルデは、説明を求めるように吸血鬼を見やる。今から説明する、と彼は手をひらひらと振った。

「ニンテスはその魔物を見ている人物にとって現状一番必要な物、執着している物を映し出すだけの魔物だ」
「その理屈ですと、私が見た事も無い『黄金の杯』をそれの中に視ているのはおかしな事ではありませんか?」
「さあな。お前が必要ないと頭で考えていても、実際には必要な物なのかもしれん。どちらかと言うと、ジャックが同じ物を視ている事に関しての方が疑問だ」

 余計に話がこんがらがって来た。仕方ないので、今分かっている事を聞くためにチェスターへ続きの話を促す。

「それで、何故チェスター殿は『60年前の真夜中の館』が視えたんだ?」
「最初の問いに戻る。イアンは先程私に、《幻想の庭》について訊ねた。その答えがどこにあるのかを思い出そうと奮闘していた訳だが、その答えそのものが『60年前の真夜中の館』だからだ」
「あ、成る程……」

 では、とイアンが微笑む。ちっとも目が笑っていない。

「そうですね、ニンテスの件は一度置いておいて。《幻想の庭》について聞きましょうか。そちらが先でした訳ですしね」
「《幻想の庭》は60年前、メイヴィス・イルドレシアが『真夜中の館』で錬金したマジック・アイテムだ。私は丁度、館に戻っていてね。その場に居合わせた」
「貴方達には寿命がありませんからね。60年前、貴方がそこにいてもおかしな事はありません」
「そして、他にもその場に居合わせた叔父の客がいたのだが、奴が完成した庭の中にニンテスを放したはずだ。空っぽでは味気ないと言って」

 一つ頷いたイアンはやや考え込むように口を閉ざす。少しして、首を横に振った。

「欠片も思い出せませんが、その客と私の間に何らかのラインがあった可能性は――ゼロではありませんね。現状、断言は出来かねますが」
「結局の所、お前が記憶を取り戻してくれさえすればどうとでもなる問題だがな」
「10年間、音沙汰無いんですよ。今更、急に何かを思い出せるとは考えづらいです」

 妙な方向へ転がり出した話を軌道修正、或いは確認するようにリカルデはおずおずと訊ねる。

「いや、あの、イアン殿。チェスター殿が言っているのは60年前の話……彼等はともかく、貴方は……」
「ええ、確かに。10年や20年前の話ではありませんから。外見年齢で推し量れば、私はまだこの世に生まれてすらいないでしょう。しかし……いえ、根も葉もない事は口にするべきではありませんね。忘れてください」

 聞いた事に、結局答えは無かった。しかし、聞かないで良かったような、知らない方が良いようなそんな気配だけは敏感に感じ取ったので追求するのは野暮と言うものだろう。