第7話

10.人ならざる者


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「立派なキャンプファイアーだな、ハハッ……」

 炎の爆ぜる音、化学物質のせいか黒い煙を上げる研究施設を見て、ジャックは引き攣った嗤い声を溢した。魔道に精通するイアンとチェスターの共同作業、正直ルーファスと話した時間よりもっと短い時間でこの状況を作り出した時は引くしかなかった。
 ブルーノはがっくりと肩を落としている。元はといえば、文字を読んでいる暇が無かったからこのような強硬手段に出たのではなかったか。

「あー、クソ。もっと時間があればな。こんなモン作るのに時間掛かるんだろ、人間は」
「ブルーノ……。あんた、そういう気遣いは出来るんだな」
「いやいや、普通他人が苦労して作ったであろう建物に放火するなんざ正気の沙汰じゃねぇよ。しかしなあ、《ラストリゾート》のレプリカはな。ちょっと認可出来ねぇわ」

 急に出て来た常識人のような台詞に、一瞬だけ思考が止まった。
 最近、周りに人の心を失った怪物共が蔓延っていたせいか、長らく忘れていた感覚だ。今日の事を忘れず心に留めておかなければ。

 そういえば、と何を考えているのか分からない無表情で人道外れファイアーを見ていたイアンが不意に眉根を寄せた。

「室長殿は、結局どこへ行かれたのでしょうね。彼がそこまで有能な方だとは思えませんが、取り逃がしてしまうとレプリカの設計図を再現されてしまうのではないでしょうか」
「研究について全て奴の頭に入っている訳ではあるまいよ。まあ、奴の記憶力がズバ抜けていて、見たもの全てを記憶出来る特異能力者でなければだが」
「見つけ次第、口封じなり何なりする事をお勧め致しますよ、ブルーノさん」

 イアンとチェスターの言葉に、ブルーノが口元を引き攣らせた。しかし、一理あるとは思ったのか、片手を挙げて応じたが。

 ――と、不意に何を思ったのかリカルデがぽつりと呟いた。

「案外、あのルーファス殿が室長を逃がしていたりしてな。副室長は手土産で、スケープゴートだった、みたいな」

 ***

 研究施設、というのは職場であり、趣味の延長線上にある与えられた建物だった。今以上に若い頃から何かを調べるのが好きで、実験が好きで、帝国のお偉いさんから研究の題材を与えられた時はこれこそが天職なのだと確信していた。

 しかし今、あの頃の気持ちは薄らぎ、揺れている。

 室長、エリーアスはぼんやりと炎を上げる建物を見つめていた。施設自体は燃やされようが何をしようが問題は無い。データはまた作れば良いし、大半は頭に入っている。ただ――

「いやあ、よく燃えているね。君は火が移り辛い建物の建設方法なんかは研究したりしないのかな?」
「それは……俺の専門では無いですね」
「専門とかあるのかい? それもそうか。君達、寿命があるからね。全てを網羅する時間は無いか」

 癖のある銀糸のような長髪、赤い血のような双眸、ぞっとする整った顔立ち。
 自分を急に連れ出した、このルーファスとかいう男の正体にはすぐ思い至った。今まさに研究している《ラストリゾート》を保持する伝承種、《旧き者》。文献の通りに眉目秀麗で赤い双眸をしているのですぐに気付いた。
 それに、空気感がまず人のそれとは違う。
 以前に顔見せに来た吸血鬼、チェスター・ベーベルシュタム。更には顧問魔道士就任時に来たイアン・ベネットも似た空気感を持っていたと記憶している。

 話を戻そう。
 とにかくこの男――ルーファスの思考回路は人間のそれから完璧に逸脱していたと言える。ふらりと現れた彼は、脅威が迫っているから避難するよう促し、時間が足りないと見るや否や副室長であるロジーネを殺害。どこぞへ連れて行き、そして施設内に保管していたはずのラストリゾート・レプリカについての資料を全て持って戻ってきた。

「あの、何故、ロジーネを……?」
「うん? 誰だったかな」
「副室長ですけど」
「ああ、彼女か。いやあ、実は襲撃して来たのが教え子でね。君が既にここにいない事をカモフラージュする為に必要だったんだよ。彼女の替えはいくらでも居るけれど、君の頭脳の替えはいないってイーデンが言っていたものだから」
「イーデン様が?」

 軍事部のトップである彼とは二度程会った事がある。ホムンクルス127号に『ジャック』という名前を付けて貰った時と、一番最初。自分が室長に就任した時だ。どんな顔だったか、今でも鮮明に覚えている。恐らくは彼も――

「おや? あれ、自分の足で来たのかい、イーデン」

 思わぬ人物の登場に息を呑む。
 ぎょっとしてそちらを見るも、お忍びなのかもしれない。頭からすっぽりとローブを着用し、顔は見えない。しかし、ただならない威圧感はかつて会ったその人物と相違ないだろう。
 フードに隠れた双眸が、確かにこちらを見た。

「ルーファス、お前は帝都に入れない。彼の身柄は私が直接預かる」
「ま、それもそうだね。分かったよ」
「そうか。では行こうか、エリーアス」

 断る事など出来はしない。ので、エリーアスは素直にその指示に従った。