01.人魚村
シルフィア村を出た一行はヴァレンディア魔道国を通り、5日間を掛けてシルベリア王国へ入国した。海路を諦め、陸路で大きく迂回した形だがなかなかどうしてこちらの方が早いという事実に、ジャックは苦笑する。最初から文句を言わず、歩けば良かったのではないかと。
ともあれ、イアンたっての願いでシルベリア内部にある人魚村と名高い村を訪れている。休養が必要だ、とこの中で最もそれが必要の無さそうな彼女に言われてしまえば断る事など出来ない。
それに、チェスター曰く派手な事をやらかしたので一時は身を隠すべきだとかなんとか。分かる気もするが、今更のような気もする。
「人魚村、つったってここ山奥だぞ。こういうのって海沿いの村とかに伝わるんじゃないのか?」
山道を歩くのにも飽きてきたのでそう訊ねてみた。答えなど誰も知らないと高を括っていたが、存外その問いに応じたのはチェスターその人だった。
「誰かが連れてきたのだろうよ。人魚とは存外か弱い伝承種。海に上がってしまえば歩行も覚束ない赤子も同然だ」
「そうなのか……。色々と大変なんだな」
「見事に他人事だが、我々の中でも人魚と言えばトップクラスに血生臭い話が多いがな」
心なしか楽しげにそう言ったチェスターは不気味な笑みを浮かべている。とはいえ、イアンにそれとなく惨状を聞いていたので、その言葉について追求しはしなかった。後味の悪い話が出て来る事は想像に難くなかったからだ。
だが、と不意にブルーノが呟く。誰かに向けて、と言うより自らに言い聞かせるような、持っている情報を口に出す事で整理するようなニュアンスだ。
「確か――60年前は確かに存在していたらしい人魚は、入った賊によって野に放たれたって聞いたぜ。もういねぇんじゃないのか、ここには」
「裏を返せば、前は居たという事だろうか?」
リカルデが首を傾げる。確かに、この言い方では60年前まで、人魚がこの地にいたと言っているも同然だ。
隠す必要は無いと判断したのか、神妙そうに唇を引き結んだブルーノは頷く。やや眉根を寄せているので、気に入らない話でもあるのかもしれない。彼は他者に対して人道的に物を考える、人として当然の感性を持っている。
「ただ、俺が故郷にいた頃には『変な活気がある』、つって有名な場所でもあるがな、ここ」
「貴方、そんな事を言っていましたっけ?」
「や、人魚村って正式名称じゃねぇだろ。地図上の名前で記憶してたから、すぐに思い出せ無かったんだよ。人魚伝説だけがある村なら、この世にごまんとある」
「……成る程」
考え込み始めたイアンに変わり、こちらも物騒代表のチェスターが意地の悪い笑みを浮かべる。何か残酷な事を言う時の顔だ。
「人魚は存在する。故に、再び人魚の1匹や2匹、抱え込んでいるのかもしれんぞ?」
「それはそれで面白そうですね。人魚と言えば不老不死神話――ああいえ、神話などではなく実際のお話なのですが」
「ふむ。イアン、お前は不老不死などというチンケなものに興味があったか?」
「いいえ。ただ長生きするだけなど、わざわざ人魚を捕らえてまで実現する必要はありません。私は、ただただ人間と人魚のストーリーに興味があるのですよ」
――始まったよ……。
正直、イアン・ベネットの所業を書にでも記した方が彼女的には面白いのではないかと思う今日この頃だ。
話が物騒を通り越して犯罪予告に変わる前に、半眼でジャックは口を挟んだ。この2人に会話の主導権を握らせていては、最悪村の前で門前払いを食らう事になる。その場合、恐らく最も被害を受けるのは村民だ。それだけは阻止しなければならない。
「俺は空気が不穏だからあまり行きたくない。そうだろ、ブルーノ?」
平和主義、ブルーノに話を振る。が、今回ばかりは彼はジャックの役になど立たなかった。
何故か首を横に振ったのだ。
「いや、人魚を監禁してるってんなら《旧き者》としては看過出来ないな。人間は寿命のある種族だ。それが、悪戯に理由も無く不老不死になってんのも問題だし、そもそも人魚を監禁なんざ非人道的だ」
「いや、意味が分からん。《旧き者》ってのは自警団か何かか?」
ここで思わぬ伏兵が登場した。リカルデである。
「だがジャック、物のついでだ。もし、そういった非人道的な『何か』が行われているのであれば手を差し伸べるのが人というものじゃないだろうか」
「ああうん、そりゃあ、正しい正しくないの話ではなく――」
止めておけ、とチェスターに遮られる。
「《旧き者》とは誰が頼んだ訳でもないのに、世界の秩序を図る良く分からん種だ。理解しようと思うだけ無駄である」
「何がしたいんでしょうね、一体」
吸血鬼の言葉に追随したイアンに対し、ブルーノが酷く胡乱げな顔をする。サングラスの下に隠れたご尊顔がはっきりと歪んだのが見て取れた。
「いや、イアン。お前にだけは言われたくないぜ、ホント」
言葉を受けたイアンは曖昧な笑みを浮かべている。そうこうしているうちに、ようやっと村の入り口が見えてきた。