第6話

14.レプリカ


 しかし、ここで激昂したのは当然ながらバルバラだった。氷の芸術、と言えば聞こえだけは良いが人間が氷付けにされて無事であるはずがない。
 意味不明な怒号のような声を漏らした彼女は、斬り結んでいたリカルデを強引に押し返すと自身の得物であったはずのレイピアを――仕舞った。その行為の意味をすぐに理解する。脳裏でクラーラの牽制の言葉が鮮やかに甦ったからだ。

 待っていましたとばかりに笑みを深くするイアンは美しいが、非常に嫌な予感が背筋を駆け抜ける。これ以上は看過してはいけないような、その『切り札』を出させてはいけないような、予感。

 バルバラの動きを止めるより先に、彼女は腰に差していたもう1本の武器を抜いた。見た目は完全に細剣であるが、しかし、如何ともしがたい禍々しい空気。

「イアン――」

 その武器を見て無表情になったイアンはいつの間にか新しい術式を紡ぎ出していた。それは壁のように、彼女とバルバラの前に立ちはだかる。
 瞬間、バルバラが叩き付けるように、全く標的から離れた位置で得物を振るった。

「うっ……!?」

 その直線上から離れていたはずのジャックは突如吹き抜けた突風に慌てて顔面を庇った。突き出した腕がざっくりと裂けるような感覚。思わず眼を見開いて頭を庇った自身の腕を見ると、ざっくりと裂傷が刻まれていた。
 常軌を逸した威力に息を呑むと同時、その直線上に立っていたイアンはどうなったのかと視線を巡らせる。

「あれ……? どこへ行った?」
「ジャック、右だ」

 頬に盛大な擦り傷を作ったリカルデが指さす。
 何が起きたのかをうっすらと理解した。結界で防ぎきれずに、場所を移動したのだろう。イアンの足下には消えかかっている金色の術式が刻まれている。物を運搬する為に使う、移動用の術式だとすぐに分かった。

 ただし、あくまで『荷物運搬用』の術式だ。荷物とは梱包され、多少なりとも頑丈な物を指す。
 案の定、荷物ではなく生身の自分自身を運んだイアンは着地に失敗したのか足を僅かに引き摺っていた。ただし、その表情にはいつもの薄ら笑みが浮かんでいる。興奮している、とでも言えばそれが正しいのかもしれない。

「何だ、あの武器は……。イアン殿1人に任せるのは危険だ。ジャック、行こう」
「それはいいが、俺達があの武器を至近距離で受けたら全身がバラバラになるだろ」
「それは……確かに……。ブルーノを呼ぶ、か?」

 肩で息をしているバルバラの顔色はあまりよく無い。疲労困憊、と言った体だ。先程までピンピンしていたが、やはり変わった武器を使用した代償なのだろうか。
 どうすべきか考え倦ねたジャックは、相手を観察しようとその武器を視界に入れる。
 背筋を這う怖気のような感覚が一層強くなった。この感覚は――そう、ブルーノの《ラストリゾート》を初めて目にした時に、似ている。

 イアンが新しい術式を紡ぐ中、ようやく体調を持ち直したらしいバルバラがギラギラとした目を魔道士へと向ける。そして、唐突に振り返った。

「何をぼうっと見ているのよ、任務の放棄かしら!?」

 どういう意味なのか。それはすぐに知る事となった。
 ずっと戦闘行為に勤しんでいたはずの《旧き者》と吸血鬼が揃って手を止めている。どちらかが負傷しているという様子でもなく、ただただ手を止め事の成り行きを見守っているかのようだ。
 これにはさしものイアンも僅かに疑問の表情を浮かべた。この距離で、両者が手を止めているのは不自然が過ぎる。

 どういうつもりだろうか。サングラスを掛けているブルーノの表情は窺い知れなかったがしかし、チェスターの表情は明確だった。
 軽蔑、侮蔑、もっと言うなら穢らわしいものを見るような、目。
 それははっきりとバルバラの持っている武器へと注がれている。ややあって、吸血鬼は先程の問いに答えた。

「任務どころでは無いな……。私はお前達に再三告げたはずだぞ、それの製作は中止しろと。そしてその忠告は、そのまま我等の盟約だったはず」
「は……?」
「約束違反。我々はそれを看過する事は出来ないな」

 それは戦闘を放棄する、その一言と同義だった。肩を竦めたチェスターは、そのまま近くにあった壁に凭れる。それを見ていたブルーノもまた、構えを解いて攻撃をする気配は見受けられなかった。
 代わり、ブルーノは再び術式を紡ぎ始めているイアンに、短く言葉を発する。

「《ラストリゾート》、レプリカ!」
「……成る程。手を出す許可を取りたいと?」
「おうよ。悪いな、こっちも仕事だ」

 ――大変珍しい事に。
 ブルーノはイアンと手を組むという方針を固めたようだ。2対1。バルバラの一件には触らない、とブルーノはそう豪語していただけに酷く異様な光景に見える。