第6話

13.元帝国顧問魔道士


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 引き金を引きっぱなし、真横へトップスピードで走り抜け、銃弾の雨を避け続けるクラーラを見てジャックは舌打ちした。困った事に、自分の速度では彼女を捉える事が出来ない。
 ちら、とやんわり術式を編みながらバルバラと睨み合っているイアンを見やる。睨み合っている――とそう思ったが、魔道士殿は何故か一瞬だけ明後日の方向を見た。

「あちらは決着したようですね」
「だから何よ!」
「貴方も、身の振り方を考える必要があると言っているのですよ。バルバラさん」

 イアンへ向かって氷の結晶を飛来させたバルバラ。彼女の一言に対し、爪先で地面を突いた魔道士は結界を張りながら応じる。そうこうしている内に、完成したイアンの術式が中心から火炎放射器よろしく炎の塊を吐き出す。
 主人の身を案じたのか、クラーラが一瞬だけ動きを止めた。そこへ容赦無く斬り掛かるも、ひらりと躱される。駄目だ、動きが見切られているらしい。

 一方でイアンの発生させた火炎を貫くように、刺突の構えのままバルバラが突っ込んで行った。鋭い突きはしかし、結界に阻まれてその動きを止める。

「……! バルバラ様!!」

 再度、動きを止めた侍女が引き攣った悲鳴じみた声を上げる。が、彼女の大袈裟な驚き様はしかし、今度ばかりはイアンとバルバラもまた同じだったらしい。更に新しい術式を作成していた魔道士が目を見開く。
 慌てた様子のバルバラが、結界を突き破ろうと振るっていたレイピアを瞬時に引き、距離を取る。先程までバルバラが立っていた場所にどこから飛んで来たのか、ガラス片のようなものが凄まじい速度で通過して行った。

「何だ……!? 新手か? イアン――」
「リカルデさんのようですね」

 手を出すべきか否か、やや考え倦ねた様子の騎士兵が、イアンの視界の先で投擲する姿勢のまま固まっていた。本当に召喚獣戦を終えたようだ。ブルーノが《ラストリゾート》を使用していたので遠からず決着は付くだろうと思っていたが、予想以上だ。
 苛々と舌打ちし、明らかに最初の冷静さ以上に冷静さを欠いたバルバラが踵を打ち付ける。平常心で無いのは確かだ――

 不意に、バルバラとタイマンを張っていたイアンがくるりと身体の向きを変えた。ぎょっとして目を見開いたのは丁度、イアンが向きを変えた事で対面する事となったクラーラだ。

「…………」

 完成した術式を、イアンがクラーラへ向かって放つ。
 顔を引き攣らせたクラーラは、決して魔道士を視線から外さぬよう細心の注意を払いながら退避する、退避する――

「うっ、急に何……!?」

 着弾した魔法は地面に貼り付くと、氷の蔦を伸ばしながら標的を追い掛け続ける。我に返ったバルバラがイアンに斬り掛かるのを見たジャックは、ようやく自身の役割と思い出してその間に割り込んだ。

「邪魔よ!」

 突き出されたレイピアをタガーで跳ね上げる。否、跳ね上げたと言うより受け流されたと言う方が正しいだろう。
 素早く刺突の構えを取ったバルバラに息を呑む。タガーを振るった腕が泳いだままだ。

「ジャック!」

 ――と、先程までどうすべきか様子を伺っていたリカルデがバルバラの背後から襲い掛かる。

「邪魔だと言っているのよ! クラーラ!」
「ぐっ……、こちらは、問題、ありません……!!」

 問題無さそうには見えない。2人掛かりでこちらがバルバラの相手をしている以上、クラーラはあの怪物の相手を1人で請け負っている事になる。
 逃げるウサギを淡々と追い詰めていくイアンの表情は、どこまでも無だった。室内に入って来た虫を、黙々と処理する作業にも似た表情。そこに感情らしい感情は伺えない。飛び回る蠅を落とすような心境なのだろう。

 それを諫めるべきであるのだが、生憎とそういった余裕は無い。ブルーノは明らかにチェスターの相手をしていて不在だし、そうなれば残ったこの3人でどうにか立ち回るしかない。

「リカルデ、右から頼む!」
「ああ、了解だ! ……何だか共闘しているようで、懐かしい気分になってくるな」

 ――まあ、確かに仲間らしい連携は他2人には望めないので懐かしくもなるかもしれない。
 ひっそりとリカルデの言葉に心中で同意する。ブルーノとイアンは敵に囲まれようが孤立しようが一人で切り抜けられるポテンシャルを持っているので、基本的には他の助けを必要としない。よって、弱い仲間を介護する事はあっても手を借りる事はほぼほぼ無いのだ。

「クラーラ……! たかだか騎士兵とガラクタの分際で……!!」
「すみません、大佐殿。このままイアン殿の元へと向かわせる訳にはいきませんので」

 恭しくそう言って僅かに目を伏せたリカルデはしかし、言動とは裏腹に遠慮容赦無く剣を振るう。
 本当は手練れなのだろうバルバラはしかし、イアンを前にして冷静を失っているからか、なかなか自分達を振り切れないようだった。それを良い事に、イアンの様子を伺う。まさかクラーラに負けるとは思えないが、エンチャントしまくった前衛を相手にするのは骨だろうなと――

「流石は怪物……」

 どうやら元・帝国顧問魔道士の名は廃ること無く健在のようだ。
 凍り付いた地面を踏みしめる音。漏らす白い吐息。僅かに細められた怪しげな双眸。
 クラーラを氷像へと変えてしまったイアンは、それを見てうっそりと息を吐き出した。それは芸術品を愛でる優美さを伴った、酷く高尚な光景に見える。