第5話

07.就寝前のミーティング


 再び長い道のりを越え、真夜中の館へ帰還する。すでに日は落ち、真っ暗なのだがこの面子だと闇に恐怖を覚える事そのものが無意味にすら思えてくるようだ。
 やけに夜目が利くブルーノとイアン案内の元、街灯もない道を歩くのは少しばかり神経を使った。

「やっと着いたか。遠かったな……遅くなってしまったが、あの主人はまだ起きているだろうか?」

 リカルデの言葉に対し、イアンは肩を竦める。

「まだそう遅い時間ではありませんよ。私の時計は――午後8時を指しています。起きていらっしゃいますよ、きっと」
「イアン殿、よく時計なんて見えるな。私には館の明かりしか見えないが」
「夜目は昔から利く方です。個人差というものでしょう、気にするような事ではありませんよ」

 それは良いけどよ、とブルーノが呼び鈴を鳴らす。体力的には余裕がある彼だったが、人混みに揉まれて精神的には疲れているらしい。

「明日の朝飯はどうする?」
「朝食の用意はするって言ってなかったか? ただまあ、あの時は情報が錯綜していて断言は出来ないがな」
「あ? そうだったか。聞いてなかった」

 少し待つと慌てたように館の主人が扉を開けた。出会った時同様、人の良い笑みを浮かべている。

「お帰りなさいませ。お部屋の準備をしておりました。皆様、別室でよろしかったですか?」
「おう、すまねぇなわざわざ。相談してくれりゃ、2部屋でも全然良かったんだが」
「いえいえ。たまにいらっしゃるお客様をおもてなしする事が、我々がヴァレンディアへお借りした魔力を還元する機会ですので。お気になさらず」

 言いながら、主人はブルーノに続いて入って来たイアンの荷物を自然な動作で手に取った。ホテルのスタッフのような手際の良さだ。とはいえ、イアンの荷物などそう大した量ではないが。
 一連の動作を見ていた彼女は薄く微笑む。

「――給仕慣れしていらっしゃるのですね。良いのですよ、私の荷物など運んで頂かなくても。こう見えて、長く旅をしていますからね」
「え? あ、ああ。すいません、館の管理を任される前の癖ですね」
「いいえ。お気遣い、感謝します」

 自然に再び荷物を取り戻す。余所行きの笑みを浮かべている魔道士はしかし、その目がちっとも笑っていなかった。
 そのまま、主人にそれぞれの部屋へ案内される。ついでに個室用の鍵も渡された。まるで宿屋のような徹底した管理ぶりに舌を巻く。

「では。私は1階におりますので、何かあればお申し付けください」

 手早く仕事を終えた主人は階段を緩やかに下りて、自室へ戻って行った。
 その足音が遠く離れたのを確認した上で、ジャックは案内された部屋のドアに手を掛ける。疲れたし、早々に風呂にでも入って休みたい。しかし、気になる事もあったので明日の打ち合わせの意を込めて各部屋の前に立っている仲間達に声を掛ける。

「明日、何時くらいに起きて来る?」
「疲れていて、1日どっぷり眠りたい。何時に起きて来るかは明言出来ないが、昼前には起きてくると思う。勿論、事情があって早く魔道国を発ちたいのならば、そちらに合わせる」
「リカルデ、疲れてるのか?」
「ああ。何だろう、慣れない事をしたせいだろうか。少し長く休みたい気分だ」

 長旅だったからな、とブルーノが追従する。

「俺も出発は昼過ぎでも良いぜ。というか、明日もう出るのか? 数日休憩しても良いと思うが」
「――ともあれ、昼食を摂る前に一度落ち合いましょうか。朝食は出ると仰っていましたが、昼は外へ食べに行かなければなりませんし」
「ま、それが妥当だな。じゃあ、お疲れさん。用があるのなら早めに頼むぜ、俺はもう寝る」

 考えるような素振りをしたイアンが、釘を刺すように言葉を差し込んだ。

「あまり熟睡されない方が良いかと。外を出歩いている間に考えましたが、真夜中の館で吸血鬼の類に襲われては堪りません」
「あんた、やけに気にするな。それ。館へ着いてから何度も気に掛けてただろ」
「――あまり、不確かなものを信じる方では無いのですが。何故か、館へ来てからこっち、チェスター大佐の事がチラチラと過ぎって仕方ないのですよね。女性の勘は当たると言いますし、何も起きなければ良いのですが」
「そいつ、吸血鬼だって言ってたな。まあ、気をつけはする」

 ええ、と浮かない顔で頷いたイアンは一番に部屋へと入って行った。元上司の話が終わった事をたっぷり数秒掛けて確認したリカルデが心なしか嬉しそうに「風呂へ行こう」、と言いながらフェードアウトしていく。
 後に残されたブルーノが首を傾げながら訊ねてきた。

「チェスターってのは何だ、吸血鬼つってたな」
「さあ、俺もよく分からないが大佐って事は――あの、バルバラとかいうアイツと同じくらいの階級って事じゃ無いのか」
「へぇ。人間って好きだよな、階級制度。まあ、それはこっちも似たり寄ったりか。じゃあ、ジャック。俺は部屋にいるからよ、何かあれば言ってきな」
「ああ、おやすみ」

 ブルーノが部屋へ入って行ったのを入れ替わるように、イアンが部屋から出て来た。その腕には例のコート――烏のローブが引っ掛けられている。

「おや? まだ廊下にいらっしゃったのですか」
「ああ、ちょっとブルーノと話してた。あんたは? 何か用事か?」
「風呂へ入りに行こうかと思いまして。温かい湯船に浸かりたい気分ですからね」
「そうか。俺は部屋に戻るよ。そういえば、リカルデも風呂に入るつってたぞ」
「では風呂場で会うかもしれませんね。貴方は? 入らないのですか?」
「……どうするかな」
「上がったら部屋をノックして差し上げますよ。流石に、宿ではないので風呂場が2つあるとも思えませんし」
「ああ、よろしく頼む」

 何だかイアンには似付かわしくない世間話であったが、彼女はローブを片手に消えて行った。