08.館の客
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翌日、うっかり熟睡してしまったジャックはしかし、清々しい朝を迎えていた。とはいえ、真夜中の館の影響で外は真っ暗、ずっと夜なのだが。時計はマトモに作用しているらしく、午前7時半を指している。
目が覚めてしまったので、手早く着替え、洗面所で然るべき準備を済ませて部屋の外へ。余談だが、一連のルーチンワークは僅か15分で終えた。
廊下は静まり返っている。とてもじゃないが、仲間達はまだ起きだしていないのが明確に分かる静かさだ。とはいえ、イアンもリカルデも騒ぐタイプではないので、部屋の中で内職でもしているのかもしれないが。
朝食が用意されている事を期待し、1階へ。
館の主人はいなかったが、昨日は見掛けなかった男が視界の端を歩いて行った。
「誰だあれ……」
あまりにも堂々としていたし、館の関係者なのかもしれない。どことなく古めかしい館が似合う、男性。歳の頃なら40代くらいだろうか。しっとりしたブロンドの癖毛を一つに束ねており、氷のような青い瞳。スーツがやけに似合う、印象が強い。
「お客様? どうされました?」
「うわっ」
全く気配を感じさせず、気付けば館の主人が背後に立っていた。
「あ、いや、早起きしただけだ……」
「朝食でしたら、そちらの部屋になります」
「ああ、悪いな。有り難う。ところで、さっき知らない奴が館にいたが、他の客か?」
一瞬だけ主人が動きを止めた。しかし、次の瞬間には柔和に微笑む。
「ええ、ええ。大事なお客様なのです。すみませんが、粗相のないようにお願い致します」
「そうか、分かった」
朝食を食べず、外へ出るという選択肢もあったが面倒だったので止めた。勝手に行動して、後で仲間達から文句を言われるのも癪だし。
と言うわけで、『大事な客』とやらに会わないよう早々に食事を済ませ二度寝に洒落込むとしよう。
――というジャックの目論見は、ものの数秒で打ち砕かれた。
「おはよう。お前は随分と朝が早いようだな」
「はあ……。どうも」
例の大事な客とやらが、目の前で朝食を摂っている。しかもしっかり朝の挨拶までされてしまった。ああ、食べた気のしない朝ご飯が美味しそうな匂いを放っている。
長い机――貴族の食卓なんかで見掛けそうな長机が1台あるだけだったので、同じ机で食事を摂らなければならず、それもまた小心者の胃を圧迫した。キリキリと痛む胃を押さえながら、客とは少し離れた斜め向かいに座る。
バターブレッド、ベーコン、目玉焼き、スクランブルエッグ――
朝食代表のような料理のラインナップに、腹が鳴った。今更部屋に引き返すという選択はない。早く食事を摂って、素早く部屋へ戻るとしよう。
「他の連中はどうした?」
「え?」
男が話し掛けて来た。彼は上品にバターブレットを手で千切っている。それにしても、随分と馴れ馴れしく話し掛けて来るものだ。ついでに、何故他にも客がいる事を知っているのか。あの主人、コイツに泊まり客がいる事を喋ったのか。
黙りを聞き逃したと勘違いした目の前の男が、もう一度同じ質問を投げ掛けてくる。
「他の連中はどうしている?」
「あ、ああ……。まだ寝てるんじゃないのか? よく知らないが」
「そうか……」
何だか知らないが不機嫌極まり無い返事を頂いてしまった。粗相をしでかさないように、と釘を刺されたのを思い出す。後で主人から小言を貰いそうだ。
「それにしても、どこへ行っても貴様は苦労する質のようだな?」
「……あ?」
バターブレットへ伸ばしかけた手が止まる。
青い瞳と目が合った。仏頂面だったその人が、僅かに口角を上げて嘲笑うような表情を浮かべる。
「人間生活は楽しいか? ――127号」
「……ッ!」
椅子を倒し、その場から飛び退いた。男はちっとも笑っていない、そんな笑みを浮かべて椅子に座っている。それを良い事に、携帯しているタガーを手に取った。
イアンが警戒しろと言っていたので、護身用の武器は持ち歩いていたのだがそれは正解だったと言えるだろう。こちらの挙動に対し、男は目を眇めた。心底面白く無いと言わんばかりだ。
「イアンの入れ知恵か? しっかり武装済みとはな」
「誰だ、あんた」
「当ててみろ。貴様は私の事を知っているはずだぞ。連想出来ないのであれば、所詮は研究者共が作り出した人工生命体という事だな。頭脳の発展がおざなり過ぎる。もしくは、イアンの教育が杜撰過ぎるか……しかしあれは、人材の育成には向かんな」
クツクツ、と嗤いながら男はバターブレットの欠片を口の中に放り込む。ゆったりとしていて、まるで自分と男では違うものが見えているかのような、錯覚。酷く馬鹿にされているようで、ジャックは歯噛みした。