02.錬金術師の遺物
「ヴァレンディア、つったら『真夜中の館』があるな」
不意に思い出したようにブルーノが呟いた。ありますね、と追随したのはイアンだ。
「黒い館とか、そんなオチか?」
「いや、メイヴィス・イルドレシアの遺物。館の中がつねに真夜中なんだよ。入ってみりゃ分かる。かなり昔に俺も一度行ってみたが、外は昼間でも、中から外を見ると夜なんだよ。常に薄暗いしな」
「常に、夜……?」
それは興味深い話だ。一体、どういう原理なのか。疑問に思ったのはリカルデも同じだったらしい。
「噂の類だったから私はそれを信じていなかったが、どういう原理で中と外の時間を変えるんだ?」
「範囲結界の応用です。そもそも範囲結界とは、結界内部に自身の都合が良くなる特性を付与するもの。当然、規模によっては数分と保ちませんが、それを実現させる道具をメイヴィスが生み出しました。一点物で、複製も出来ないオーパーツですが」
「流石はイアン殿、魔法には詳しいな」
「ええ。とどのつまりは、館のどこかに魔力を収拾、増幅させるマジック・アイテムで展開した結界を保たせているのでしょう。驚くべき事に、この結界はおよそ70年の間、一度も消えていません」
最初は「へえ、凄いな」、という体で聞いていたが、どうやらその『真夜中の館』とやらはとんでもない遺産らしい。70年、止まること無く展開し続ける結界。そんなもの、現代における技術でも再現は不可能だ。
「時間があれば、私も見学してみたいものだ」
「ああ、俺も興味が出て来た」
「だそうだ、イアン殿、後で連れて行って欲しい」
ジャックを味方に付けたリカルデが意気揚々と元上司にお願いする。慣れ、とでもいうのだろうか。最近、彼女はイアンに対し要求を溢すようになってきた。
「構いませんよ。私の用事が、すぐに済めばの話ですけれど」
「そりゃいいがな、取り敢えず宿を取ろうぜ。そこに1軒ある」
***
結果的に言えば。
何故か奇跡的に宿が全部屋予約済み、空きが一つもないという偶然に見舞われてしまった。現在、宿は3軒目だが宿屋の主人は困った顔をしている。そんな宿屋の主人曰く――
「悪いねぇ、最近、国内に新しいマジックショップが出来ちまって外からの客で溢れてるんだよ」
という事らしい。しかし、それに文句を言う権利は当然なかった。何せ、イアンの目的とは言えこちらも似たような理由で来国している。苦笑を溢す他、選択肢など無かった。
眉間に皺を寄せたイアンが主人に尋ねる。
「他に泊まれる場所はありませんか? 国内にいながら、野宿などという恥ずかしい事態はご遠慮したいのですが」
「あー、真夜中の館には行ったかい? 広い館でね、館の主人が人を泊めてくれるよ。人が殺到していれば無理だろうが、ほら、見た所お客さんは魔道士のようだし。きっと泊めて下さるはずさ。……後ろの、非魔道士も含めてね」
少し、出来過ぎている気がする。宿が全部埋まっていて、『真夜中の館』にしか泊まれない。そんな阿呆な話があるのだろうか。
主人と交渉していたイアンを見やる。彼女もまた、事態の数奇さについて考えているらしく、その額に深い皺を寄せていた。しかし、ややあって答えを打ち出す。
「……仕方ないですね。取り敢えず、館へ行ってみます。まあ、野宿をするよりマシというものでしょう」
「ああ、私もイアン殿の意見に賛成だ。野宿なんて、好きこのんでやるものじゃない」
「館と言うからには、温かい風呂もあるでしょうし。食事は……出ないかもしれませんが」
「どのみち、館の見学はするつもりだったし、丁度良いだろう」
――いやなんだなあ、野宿……。
意見がちぐはぐ、しかも過去は上司と部下という蟠りを抱えていた女性陣が、ここに来て見事に結託している。本当に外で寝るのが我慢ならないらしい。
ちら、とブルーノを一瞥し、小声で話し掛ける。ここは旅慣れしている彼の意見を仰いだ方が良いと判断したのだ。
「おい、どうする」
「どうもこうも、え、俺にこれをどうやって止めろってんだよ。梃子でも野宿しない気だろ」
「しかし、明らかに何か、良く無い思惑が働いていそうなご都合感が漂っているぞ」
もう一度、女性陣を一瞥する。イアンに意見を譲る気は無さそうだし、今回は彼女の独りよがりではなくリカルデという心強い味方が着いている。まさに水を得た魚、意見を曲げるどころか、こちらの意見を叩き潰すという気概さえあることだろう。
「……仕方ないな。分かった、館へ行ってみよう」
「そうでなければ。そう心配なさらずとも、館の攻略法は頭にあります。それに、誰か追っ手が来るにしても、館の特性を鑑みるに誰がいらっしゃるか明白ですからね」
「帝国外だからな、ここ」
「疑ったり、逆に過信したり。ジャック、貴方の思考には一貫性がありませんね」
唇を歪めて嗤うイアン。そのあまりの邪悪さに、もしかして館に『誰か』差し向けられるのを心待ちにしているのではないかと勘繰ってしまった。そんなことはない、と否定出来ないのが大変悲しい。