03.『真夜中の館』
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賑やかな観光通、そんな場所から離れた位置に真夜中の館はあった。メイヴィス・イルドレシアの遺産との事だったが、如何せん立地が悪いと言えるだろう。こんな所、余程で無い限りは足を踏み入れようとは思わない。
ともあれ、イアンがドアを叩くと、すぐに中から人が出て来た。ブルーノが概要を説明すると、優しげな目で男性は大きく頷く。
「ええ、勿論。そういうお約束ですから、遠慮なくお泊まり下さい」
そのまま中へ入るよう促され、館の中へ足を踏み入れる。
「えっ……!?」
変化は一瞬だった。
客を招き入れた後、主人が玄関の扉を閉めた瞬間。まるで夜中であるかのように、視界が覚束無くなった。
「すいませんね、暗くて。今明かりをつけますので」
魔力回路が光を放ち、やがてパッと天井の明かりが付いた。とんとん、とリカルデに肩を叩かれ、ジャックはそちらを見やる。
「ジャック、外を見てみろ」
「……!? 夜だ……!!」
窓から見える景色は完全に夜中そのものだった。星が瞬き、月が輝き、太陽の姿はどこにも見えない。黒々とした空が延々と広がるのみだ。
それは動物的な恐怖と言えるだろう。
明けない夜、昇らない太陽。それを思うと、底の見えない谷底を覗き込んでいるような、漠然とした不安に襲われる。結局、何にせよ生き物には太陽の光が必要不可欠なのだ。
「お客様、館でお貸し出来るのは宿泊する部屋のみなのです。食事は外で摂って頂かなければなりません。しかし、明日の朝食は用意できますので……」
館の主人の言葉が右から左へ抜けて行く。それにイアンとブルーノが相槌を打っているが、とにかく外が気になって仕方が無い。今まで昼だったのに、ドアを一枚隔てると夜。その事実に、脳が追い付いていないのだ。
こんな館を造った者もそうだが、ここに住んでいる者の精神状態も酷く心配になってくるような場所である。
「ジャック、リカルデさん。一度外へ出ましょう。夜まで私には調べなければならない事があります」
「え? あ、ああ。そうだな、飯は外で食えって言ってたし」
「何ですか、ぼんやりして」
首を横に振り、来た館をすぐに後にしようとするイアンに続く。時間の感覚がおかしくなりそうなので、どうにか日が落ちるまでは館の外で過ごしたいものだ。
「イアン殿、まずは何をしようか?」
「そうですね、時間がかなりありますし、まずは例のアイテムショップとやらに行ってみましょうか。寄りたい場所があるのなら、早めに言って下さい。言うまでもありませんが、単独行動はあまりよろしくないと思いますよ」
館の主人に恭しく頭を下げたイアンが足取りも軽やかに、玄関から再び外へ出て行く。ドアを通り抜けた瞬間、太陽の光が網膜を焼いた。
そんな事は意にも介さず、イアンは淡々と言葉を紡ぐ。
「ついでに、ジャックの持っている例のタガーについても鑑定して貰いましょう」
「あんた、まだそれ諦めてなかったんだな」
「分からない事って気になるでしょう? 分からないものを分からないまま放置するのは、間抜けのやる事です。それに、何かに使えるかもしれませんし、それ」
凹凸の激しい、ぎりぎり人が通るような道を進む。早足に少しばかり急な坂道を下っていくイアンを見ていたブルーノが「あ」、と声を上げた。
「ジャックのタガーって、俺が売ったやつか!」
「そういえば、最初に会った時は商人みたいな事をやってたな。ブルーノ」
「いやあ、懐かしいね。お前等といると退屈しねぇし、次から次にトラブルは起こるし、もう何年も前の出来事に思えてくるぜ」
そうだな、と疲れた様子でリカルデが同意する。
「訓練生時代もかなり忙しくて寝る暇も無いくらいだったが、それとは別のベクトルで今は忙しいな。人生は何があるのか分からないものだよ」
「20年ちょいしか生きてない人間が語ってもなあ。しかしまあ、百年単位で生きてると目新しさは無くなるし、人間くらいの寿命は丁度良いのかもしれねぇな」
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30分くらい歩いただろうか。ようやく、賑やかな往来の気配が漂ってくる。館へ行く時は気にも留めていなかったが、一番に見えて来たのは魔法武器の店だった。
魔法武器というのは、武器に直接術式を組み込み、魔力回路を使って武器を振るいながらも魔法を発動出来る、という武器だ。しかし、これが案外難しいもので多少なりとも魔法の知識が無ければ扱う事が出来ない武器となっているし、場合によってはドミニクやバルバラのように儀式魔法の方が得意だったりするので、使う者を選ぶ武器とも言える。
「――先に貴方の武器を鑑定して貰いましょうか。その方が、効率的ですし」
「ああ、分かった」
「何かが分かるとは限りませんけれど」
ホルスターごとタガーをイアンに渡す。躊躇い無く店の中に入って行った彼女は並ぶ武器類には見向きもせず、カウンターへと向かって行った。一応、得物の持ち主であるジャックもその後を追う。カウンターには眼鏡を掛けた、冴えない男が座っているだけだった。