第4話

11.思ってた以上に大怪我


 それで、とリカルデが眉根を寄せて状況整理を始める。

「私達は向こうに掛かり切りだったから何が起きたのかよく分からないが、どうして負傷したんだ。ジャック?君はそんなに鈍臭かっただろうか」
「彼は何故か私の前に飛び出して来たのです」

 あっけらかんと答えたイアンに視線が集まる。確かに、彼女の言い分が間違っているという事は無い。だが――

「恩を売るつもりは無いが、俺がいなかったら大怪我をしてたのはあんただぞ、イアン」

 ふん、とイアンは微かな笑みを浮かべたまま鼻を鳴らした。

「何を馬鹿な。私は最初に言ったはずですよ。『ゲーアハルト殿は召喚獣を同時に3体喚び出せる』、と。あの場にキメラは2体しかいなかったのだから、もう1体がどこかに潜んでいるのは織り込み済みです。当然、結界を張っていました。衝撃を吸収する類の結界を」
「えっ」
「え?」
「いやだから、そういう事は前以て言っておけとあれ程……!!」
「こちらとしては貴方が急に飛び出して来た事の方が驚きですよ。今まで、私が手酷い怪我をした事などありましたか?流石に馬鹿にしすぎでは?」

 要領が良いとか悪いとかいう問題ではなく、イアン・ベネットという存在はたった一人ですでに完成していると言えるだろう。隙は無く、魔道職であるにも関わらず前衛としても立ち振る舞う。

 ともあれ、彼女の事を思い切り突き飛ばしたがケロッとしていたのは例の結界とやらの恩恵か。正直、体感的には骨の1本や2本ヒビが入っていてもおかしくないくらいには力んだし。

「変な事もあるな。キメラなんかが近付いて来れば、誰か気づきそうなものだが」

 リカルデが悩ましげに溜息を吐く。真面目な質の彼女は、サイレントに近付いて来る脅威生物を警戒している。

「マジック・アイテムでしょうね。消音、ついでに気配を消すなどといった効能は基本ですから。最初に放たれていた2体のキメラは囮で、最後の1体が本命。対象を殺害出来ずとも、負傷者が出れば撤退せざるを得ませんからね。普通は」
「そうだな。今回はイアン殿がいたから大事にはならなかったが、ヒーラーのいないメンバーならば、間違い無く撤退する以外はあり得なかった。しかし、あれだな、ジャック。君はその服を早く着替えた方が良い。斬新な染め物のようになっている」

 かなりオブラートに包まれたリカルデの一言でジャックは初めて自分の姿を顧みた。
 ――お化け屋敷から逃げ出して来た、幽霊か何かかと思った。
 引き裂けた上着にはべっとりと固まった血液がこびり付き、患部を無意識的に押さえたと思わしき両手も真っ赤。戦闘慣れしていない一般人が自分の姿を見れば、声を上げて逃げ出すか卒倒してしまいかねない。

 思った以上に大怪我だった、その事実に改めて寒気を覚えていると、不意に治癒魔法を使おうとしていた時のイアンを思い出した。
 一瞬とは言え浮かべた、苦悶の表情。少しだけ驚いたような顔。

「あんた、そういえば辛そうな顔してたが、何かあったのか?」
「あ?何だよ、お前も怪我したのか?いやあ、最近実はイアンは人間じゃねぇんじゃねえかなって思ってたが、やっぱり人間だったんだな」

 失礼ですよ私に、とブルーノを窘めたイアンはあの時押さえていた、心臓辺りを擦っている。

「いえ、別に怪我はしていませんし、変な攻撃を食らった訳でもありません。ただ――どうしてだか一瞬、胸が苦しくて。原因は分かりませんけれど」

 大まじめな顔をしたリカルデが手を打つ。何かに気付いたのだろうか。

「実はジャックが心配で胸が苦しかった、とかでは?」
「頭はお花畑ですか、リカルデさん。しかし、そうですね。例えるのならば……不整脈?」
「え、あ、そういうレベル!?その、私が言わずとも分かってはいるだろうが病院へ行った方が良いのではないか、イアン殿。そういうのは放っておくと良く無いと聞くが……」
「――何にせよ、ここから離れましょうか。またキメラなんて召喚されたら面倒ですし。今日はもう、戦闘に興じる気分ではありません」

 しかし、実質シルフィア村には行けなくなった。安堵するような、しかしどこか不安な気分になってくるような、複雑な感情が胸の内でとぐろを巻いている。

「次はどこへ行くんだ?」
「一旦、シー・ドミニオンまで戻りましょうか。ジャック、貴方も医師に診察して貰った方が良いですよ。思いの外、外傷を簡単に治せてはいますが、内部事情までは私の知る所ではありません。正直、普通の人間だったら治癒術程度では死は免れなかったでしょう」

 正直に申し上げて、とイアンは首を傾げながら胡乱げな瞳を向けてきた。

「何故貴方が平然とした態度で起き上がり、平常時と変わらず振る舞えるのかが分かりませんね。私には」

 思わぬ事実に茫然としていると、ブルーノが難しげな顔で呻り声を上げた。

「んー……。イアンよ、お前は治癒術は苦手って事か?」
「いいえ。私は治癒術そのものは好みませんが、世間一般の基準に則って言えば得意な方だと思いますよ。何より、自分で言うのもあれですけど私は魔力量が多いですから。即死するような怪我をしない限りは治癒し続ける事も可能です」
「お前攻撃的過ぎるから思いつかなかったが、絶好のヒーラーだよな」
「不手際で負傷した他人の治療程、詰まらないものはないですね」

 ――今後、絶対に怪我しないようにしよう。
 今日は周囲の目があったから彼女は自分を救ってくれたが、平常時であれば見捨てられていたかもしれない。

 それでですね、とイアンがふと思い出したように呟く。

「シー・ドミニオンまで戻った後は、船に乗ってヴァレンディア魔道国へ回り込みましょう。大陸から出る事は出来ませんが、帝国からは出られるはずです」
「ああ、そういえばヴァレンディアへ行きたいって言ってたな」
「はい。まあ、そうですね、療養も兼ねて。丁度良いのではないですか?」

 療養、とは彼女の口から溢れ出る言葉としては酷く不似合いだった。しかし、彼女の言葉としては不似合いでも、彼女以外の面子からしてみれば歓迎出来る単語である。特に不満や反論が挙がる事も無く、二つ返事で彼女の提案が了承された。