第4話

09.重傷


 人が一人すっぽり包めるサイズの術式。金色の光が四方に広がり、更に大きくなっていく。
 キメラの方はようやく身を起こした。しかし、4つ足に力は無くゆっくりと立ち上がる。軽い脳震盪でも起こしたのかもしれない。

 一方で、イアンが術式を完成させた。一度だけ一際眩しい光を放ったそれは掻き消える。その光のせいだろうか。イアンを守っていた錫杖の効果が切れたようで、キメラがのろのろとイアンを視界に入れる。

「おい、それ、まさか失敗したんじゃ――」

 成功か失敗か、訊ねようとしたが魔道士が鋭く手を振り上げた。
 肉が引き裂かれる音、背後にあった木が縦にぱっくりと割れて倒れる音。そして最後、キメラの虎頭がどさりと地面に落ちた。身体の方も横倒しになったが、それは倒れた傍からドロドロに溶けて地面に染み込んでいく。
 ――まるで、未完成だったキョウダイ達が大気に触れた時の様に。

「こいつ等、所詮は俺達と同じ人工物って事か……」
「ジャック、貴方先程何か言い掛けませんでしたか?」
「何でも無い!」

 安全を確かめる為に声を掛けたが、全く無意味だったので恥ずかしさを打ち消すように叫んだ。イアンはと言うと肩を竦めている。

 頭を振り、思考を切り替えた。
 ブルーノ達の方はどうなっているのだろうか。

「あちらも片付きそうですね。待っていましょうか」
「うわっ!?あ、あんた持ち場を離れていいのかよ!」
「持ち場なんて理路整然とした言葉、我々には不要だと思いますが」

 とことこと近付いて来たイアンは興味深そうにブルーノとリカルデの共同戦線を見物している。手を貸す気は無さそうだ。

「使いませんねえ、ブルーノさん」
「は?何を?」
「《ラストリゾート》。条件を満たしていないのか、キメラ如きには使わないつもりなのか。まあ、討伐が無理そうで助けを請うのであれば手を貸しましょう」
「何で上から目線?」

 ブルーノ達の戦線は言うなれば『酷く真っ当な巨大生物の討伐』そのものだった。いきなり首級を狙う事はせず、部位を狙い、行動を制限する。リカルデの音頭にブルーノが合わせているようなので、やはり彼は一発逆転を狙う気など無いのだろう。
 すでにキメラは左前足を負傷し、ついでに後ろ足を引き摺っている。後数分もあれば陥落してしまう事だろう。

「イアン、ボーッとしていないで手伝ったらどうだ。俺も手を貸しに行くつもりだ」
「良いですけど、リカルデさん達も巻き込んで良いですか?」
「いい訳無いだろ!だいたい――ん?」
「……?どうかしましたか」

 視線を感じる。鋭い――そう、先程キメラと正面から対峙した時のような捕食者の視線だ。しかし、視線を感じるばかりで何かが近付いて来ている気配や音は無い。

「いや、何か、視線を――あっ!?」
「……」

 あり得ない光景に目を疑った。
 自分達が立ち話をしていたすぐ背後の木々を薙ぎ倒しながら3体目のキメラが姿を現したのだ。忍び足でも何でも無く全力疾走。何かしら盛大な音がしても可笑しくないはずなのに、耳が音を拾わない。

「あ、もう一体――うきゃ!?」
「危ないだろ!」

 イアンの背を狙って現れたキメラ、それに対し当然の如く彼女の反応は遅れた。そんな前衛に立っている魔道士を突き飛ばす。
 人間より遥かに強い力を持ったジャックは加減を忘れて彼女を思いきりどついたし、イアンも盛大に地面を転がって視界から消えていく。

「うっ!」

 キメラは目と鼻の先。今更避けるのは不可能だ。慌てて受け身の姿勢を取る。
 瞬間、人の顔面を覆い尽くせる程の大きさがあるキメラの前足が目と鼻の先に迫る。鈎のような爪が衣服に引っ掛かり、引き裂いて皮膚を斬り裂いた。強い衝撃で視界が1回転、2回転し青空と地面を交互に視界に入れる。
 結構な勢いを残したまま、背を木にぶつけてようやく止まった。体内を流れているはずの液体が、外へ漏れ出ていくような感覚に眩暈を覚える。

「おいっ!」

 驚いたようなブルーノの声と、生死を確かめるかのように覗き込んで来たイアンの双眸。それが驚く程平静だったので、大怪我をしたかもしれない、という泣きたくなるような不安が、何故だか消え失せた。
 ゾッとする程体温の低い手が首筋に触れる。

「ブルーノさん、彼、まだ生きてますけど。貴方方に手を貸すのと、ジャックに応急手当を施すのはどちらを優先しましょうか」
「ジャック!」
「はい。承知しました……あれ?」

 平静を保っていたはずのイアンの顔が、僅かに歪んだ。自分へと伸ばしていた手を寸前で止め、代わりにイアン自身の胸の辺りをぎゅっと握りしめる。
 束の間、その体勢で固まったイアンはしかし、数秒経つと首を傾げながらも口の中で魔法起動の詠唱を始めた。何を言っているのか聞き取れない、耳鳴りがする。

 ――と、肩口からじんわりと温かさが下りてきた。途端に視界が段々とクリアになってくる。目に良さそうな、淡い緑色の光だ。それが治癒魔法である事は明白。魔法関連なら割と手広く何でも手を付けているらしい。

「貴方、頑丈ですね。正直な所、村へ戻る前に死ぬかなと思っていました」
「は……?」

 思った以上に掠れた声が喉から漏れた。

「ホムンクルスと言うのは、治癒魔法を受け入れ易く出来ているのでしょうか。しかし、死んでも構わない捨て石に不随させる能力ではありませんね。となれば、偶然?そんな価値が付いたという事でしょうか」

 イアンを見上げる、彼女は自分に話し掛けているが、その視線は遠くに向けられていた。恐らく、ブルーノ達がキメラと対峙している方角へ。