第4話

08.正しい猛獣討伐


「それで、これからどうするんだ!?」

 指示待ちをしていたらしいリカルデが狼狽えたように訊ねた。普段から突っ掛からなくて良い相手にまで突っ掛かっていくイアンの不穏な撤退宣言に困惑しているものと思われる。
 そんな仲間の狼狽もそこそこに、イアンは涼しい顔で問いに答えた。

「一先ず、キメラ2体をまず討伐し、次の召喚獣がここへ到達する前にこの場から退きましょう。召喚獣は小回りが利きませんから、村や町の近くでそれらを嗾けてくる事はありません。一応、ゲーアハルト殿も清く正しい軍人ですからね」
「ま、他国は侵略中だけどな」
「内乱を避ける為です。ただでさえ、必要なのかも分からない戦争を仕掛けていますからね。無駄なヘイトを溜めようとは思わないのでしょう」

 帝国の事情より、『次の召喚獣』という不穏極まり無い言葉の方が百倍気掛かりである。が、それを訊ねるタイミングは逸してしまった。

 臨戦態勢に入る、と言わんばかりにイアンが挟まれていた召喚獣の間から抜け出し大きく距離を取る。例のローブから杖――錫杖にも似た杖を取り出した。見る度に得物が変わっている気がする。

 目立った動きをしたイアンに視線を合わせたキメラの1体。それを牽制しようと身を翻したジャックだったが、その動きは他でもないイアンの待った、というジェスチャーによって遮られた。
 待て、と示していた片手を合唱するかのように立てた彼女は一瞬だけ集中するように目を閉じ、そして開く。
 持っていた錫杖の底の部分で力強く地面を二度叩いた。
 清廉な、酷く心を落ち着かせられるような涼やかな音が響く。

 驚くべき事に、刹那にはイアンを追おうとしていた一体はまるで彼女などいなかったかのように身体の向きを寄り集まっている人型3人へと変えた。

「マジック・アイテムかな。まあ、ありがちか」
「何だあれ……」
「対・魔物用の武器だ。知能が高い奴等には通用しないが、弱くはない洗脳効果がある。召喚術で喚び出された獣が、術者に従うのと似たようなもんだ」

 問いに対しブルーノがすらすらと答えた。見た目はチャラチャラした恐いお兄さんだが、長く生きているだけはある。

 ともあれ、今の解説を聞いて一つだけ分かった。

「アイツ、一人だけなら簡単にこの場から逃げられたんだな。わざわざ俺達の為に……?」
「ジャック。お前ホント良い奴だよな。ま、イアンは負け込みそうなら恐らく一人で逃げ出すぜ。気張って行こうや」

 キメラが低い呻り声を漏らした事で我に返る。そうだ、呑気にお喋りしている場合では無い。
 無い、が――こんなもの、人の手でどうこう出来るのだろうか。
 随分と遠くにある大きな頭を見上げる。まずそもそも、生物の急所である首を狙うとしても、相当助走を付けなければ届きすらしない。

「ブルーノ、私が左前足を請け負う!貴方は反対側を!」
「おーう、了解」

 どうすべきか迷っていると、一番にリカルデが駆けて行った。標的は左側、先程までイアンに狙いを定めていた1体だ。
 声を掛けられたブルーノがメイスを携えリカルデとは対称的になるように攻め込む。
 一人残されたジャックは必然的に完全フリーで放置されている、もう一体に対する囮役を担わなければならなくなった。

「いや、無茶振りだろ!」

 残念な事に、ジャックの叫びを拾ってくれる者はいなかった。
 肉食獣代表のような呻り声を上げているキメラに向き直る。手には例の曰く付きタガーを装備。攻撃が通用するのか試している余裕があるとは思えないが。

 一瞬の迷いを見逃さないと言わんばかりにキメラが突進してくる。その推進力は目を見張る程であるし、正面衝突すれば複雑骨折は免れないだろう。
 息を呑んだジャックは横っ跳びに跳んだ。前動作もなく全体重を掛けられた足首がミシミシと嫌な音を立てる。

「うおっ!?」

 完璧に躱した――と思われたが、その虎の頭が通り過ぎた後。尾の蛇頭が目前に迫っていた。悟る、2つ頭があるが、それぞれに意思と判断能力が備わっているのだと。
 反射的に伸びて来た尾、と言うより蛇の胴を断ち切るべくタガーを振るう。しかし、伝わって来た感触は切れないナイフで硬いステーキを切ろうとした時の様な、歯の浮く感触だった。

 胴を伸ばして首下に食らいつこうとしていた蛇の頭だったが、中程で胴を引っ張られた為に距離が足りなかった。
 ついでに虎頭の方がジャックに狙いを付けるべく身体を反転させたので、流れる景色のように蛇が視界からスライドして消えていく。シュールな光景に一瞬だけ乾いた笑いが漏れ出た。

 変な笑いの壺を押されながらも、タガーを交換する。既製品へと。
 キメラは再び姿勢を低くし、こちらへ飛び掛かって来る気満々である。全く反撃する暇が無いというか、手足のリーチが違い過ぎる。

 避けずに受け止めるべきだろうか。しかし、そんな事をしようものなら全身の骨があらぬ方向へ曲がってしまう事は間違い無い。
 そうこうしているうちに、キメラが再び疾走を開始した。舌打ちしたジャックは回避の姿勢に入る――

 ガラスをまとめて叩き割ったような音と、全く同時に何かとてつもなく重いモノが地面に叩き付けられたような音が響いた。
 何が起きたのか全く見当も付かない音だったが、視覚情報から何が起きたのか察知する。
 自分とキメラの間に分厚い氷の壁が出現したのだ。同時に、息を吸って吐いているだけでも分かる、膨大な量の魔力が空気中に満ちる。この壁を生み出すのに、一体どれだけの魔力を消費したと言うのだろうか。

 要塞の壁のように強固なそれに、突進して来たキメラが盛大に頭をぶつけた。痛々しい音が高々と響く。そして、獣じみた悲鳴。
 少し可哀相に思って、壁を作ったであろう人物――イアンに視線を向ける。彼女はどこまでも無表情だった。人をいたぶるのは好きだが、獣はそんなに。と言っていたし、そうなのだろう。
 しかし容赦は微塵も無い。彼女はもんどり打つキメラを酷く冷たい目で見つめ、そして、もう完成しかけている術式を空いた手に所持している。