第4話

07.ゲーアハルトと召喚術


 話は変わるが、とこの話題に突っ込まない方が良いと判断したらしいリカルデが全く唐突に話題を変換した。それに非難の声は上がらない。皆冷めたものである。

「シルフィア村の次はどこへ行く?恐らく、船では大陸の外には出られないと思うのだが」
「ヴァレンディア魔道国なんてどうでしょうか」
「え、それは何故?」

 マーブル大陸における3強国。その中でも比較的新しく、小さいのがヴァレンディア魔道国だ。建国してから50年程しか経っておらず、その特異性故に人口もそう多く無い。現在はシルベリア王国と結託して帝国からの脅威に立ち向かっている状況だ。

 そんなヴァレンディア魔道国の背景を一切合切無視したイアンはリカルデの問いにこう答えた。

「ドミニク大尉と戦った時に作動したマジックアイテム。あれについて少し調べてみようかと思いまして。人魚村で隠居生活を送るのも良いですが、ここからだと魔道国の方が近いでしょう?」
「道理だな。魔法について調べるのなら、ヴァレンディアで間違いねぇ。それに、魔道国は魔道国であって帝国じゃねぇからな。追っ手の足も止められて一石二鳥だ。俺はその案に乗るぜ」

 ブルーノが絶賛したお陰か、またはイアンの思慮深い計画にか。反論の声が上がる事は無かった。かく言うジャックもまた、地理については詳しくないので提示された案に乗るだけであるが。

 あ、とリカルデが小さく声を発した。

「シルフィア村に入ったな。この獣道を抜ければ、すぐ――」
「待て、静かにしろ。今、何か呻り声みたいなものが聞こえなかったか?」

 朗らかな顔をしていたリカルデの表情が一変、険しいそれへと変わる。リカルデの言葉を牽制したジャックは注意深く周囲を見回した。
 それを見ていたかのように、地を這うような低い獣の呻り声が耳に届く。今度はブルーノもその声を拾ったのか、静かに立ち止まった。イアンが眉根を寄せる。

「キメラの声に似ていますね。というか、そのものかもしれません」
「キメラ?あんたがドミニクから逃げる時に放った、あの召喚獣の事だったよな」
「ええ。私も一応は召喚師のライセンスを持ち、召喚獣を飼育している身。聞き間違えようもありません」

 ――その一言で、イアンが召喚獣の世話をしている様子を想像してしまった。和気藹々と巨大な召喚獣に肉の塊を放り投げる、元顧問魔道士。全くイメージにそぐわないが、少なくとも飼育している以上は餌くらいやっているはずだろう。

 待て待て、とリカルデがここで我に返ったかのように慌てだした。

「和やかに話をしている場合じゃないだろう。相手はキメラ、油断していると怪我じゃ済まない!」

 立ち並ぶ木々を押し倒し、今まさに話題に上っていたキメラがのっそりと姿を現した。
 獅子の頭に虎の胴体、蝙蝠の翼を持ち、頭には山羊の角。更に尾は蛇になっており、シャーとこちらを威嚇している。
 これこそまさに、人によって生み出された人工生物。自分の親戚のようなものだと認識しているが、それにしては雄々しすぎるか。

 獲物を見つけた歓喜からか、キメラは頭上に向かって一度大きく咆吼した。空気を振るわせるような声量に、思わず顔をしかめる。
 ああ、とブルーノが少しばかり不機嫌そうな顔をした。

「おい、もう一体出て来たぞ。面倒だな」

 先程の咆吼は仲間を呼ぶ為のものだったらしい。キメラが自分達の背後から現れ、挟まれる形になる。
 ふ、とイアンが至極愉しそうに微笑んだ。

「把握しました。ゲーアハルト少佐の仕業ですね。やはりシルフィア村――研究施設は重要地。誰も配置していない事などあり得ない」
「そ、そうか。イアン、手を貸してくれ。切り抜けよう――」
「撤退しましょうか。ゲーアハルト殿が真価を発揮するのは防衛戦。つまり、今という訳です。ここまで準備させてしまっては、我々に打つ手など無いでしょうね。それより、どうやってこの場から立ち去るのかを考えなければ」
「え……」

 いつも通りの断定口調ではあったが、紡がれた『撤退』という言葉に目を剥く。あの好戦的な欲望の権化であるイアン・ベネットがらしくもない発言をした、という意味でだ。
 そんな彼女を凝視していると睨み付けられた。

「淑女を穴が空く程見つめて、礼儀がなっていないようですね」
「は?誰が淑女だ……?いや、いいのか、撤退なんかして。あんたなら「ゲーアハルト殿の垣間見せる欲望が――」云々言いそうだと思ったんだが」
「ご本人、いらっしゃらないじゃないですか。無駄な事に無駄な労力を使いたくはありませんし、私は事実を述べているのです。獣相手では、あまりやる気も起きませんしね」

 ゲーアハルトには興味が無いのだろうか。まあ、ここにいないから弄くり甲斐が無いという話なのかもしれないが。
 なおも悶々と思考の海に身を沈めていたが、それはキメラが身を屈めた事で中断させられた。やはり、余計な付属品は着いていても頭は虎――猫科。肉食獣である事に違いは無く、そして獲物を狩る捕食者である事にも変わりはない。気を抜けば頭からバリバリと捕食されてしまう事だろう。