14.魔法の使用と場所について
その理由を深く考えるより先に編んでいた魔法式が完成する。無秩序なる秩序、意味も法則も不確かなそれがどこか理路整然と並ぶその様に目を細めた。漠然とした成功感、これを感じた時に発動させた魔法は失敗しない。
「――ッ!私の事など構わず、お下がりください!」
「もう遅いです」
クラーラが叫んだのと、発動した魔法式により発生した炎が石畳を舐めたのは同時だった。
業火は先程バルバラが発動させた大規模魔法で凍り付いていた建物の氷を溶かし、水分を蒸発させ、やがては燃え移り、燃え広がる。
ゴホゴホ、と盛大に噎せ返ったジャックが這々の体で戻って来た。「信じられない」、というような顔をしているが見なかった事にする。
「ば、馬鹿な……!あ、貴方、ここは町のど真ん中よ!?だというのに炎の魔法を使うだなんて……正気とは思えないわ!」
バルバラの尤もな意見に対し、イアンは朗らかな笑みを手向けた。
「町の中で戦闘を仕掛けて来た貴方方には言われたくありませんね。ですが、当然こうなる事を承知の上で仕掛けて来たのでしょう?」
「そうではあるけれど――普通、人が住んでる場所で盛大に火は焚かないでしょう!?」
「何故。どうしてそう思われたのですか?まさかこの期に及んで、私が民家の近くで魔法を使わないとでも高をくくっていたのですか?随分と味のあるジョークですね、それは」
ジャックが何もせず――予想通りではあったが――ノコノコと戻って来たという事は、再びクラーラはフリーになったという事。そんな侍女が主人と魔道士の間に立ち塞がった。険しい表情の彼女は言葉を紡ぐ。
「いけません、消火活動を開始しましょう。バルバラ様!ここは本来ゲーアハルト殿の管轄。大火災など引き起こしたと知れれば、責任問題がどこへ転嫁するか分かりませんよ」
「逃げ帰るのですか?バルバラ少佐、貴方は確かドミニク大尉の仇討ちにと私の前へ現れたはずでは?今このチャンスを逃せば、次はいつ見える事が出来るか分かりませんよ」
「聞いてはいけません!イアン・ベネットは狂人、正常な物差しで物を言っているはずがないのですから!」
顔を歪めたバルバラの視線がクラーラとイアンの間を行き来する。
――迷っている。どちらの言に耳を傾けるべきかを、思い悩むべき場面では無いに関わらず、迷いに迷っている。
僅かに高揚した溜息を吐き出したイアンは囁くように、だめ押しでもするかのように甘言を紡いだ。
「本当に私を追わなくて良いのですか?」
「まるで、私に追って欲しいとでも言うようね……。そんなに殺されたいのなら、今すぐにでも縊り殺してあげるところなのだけれど、ではどうして町に火を?そんな事をせずとも、私達は殺し合っていたというのに」
「貴方が惰弱で脆弱で貧弱だからですよ。だって貴方は恋人が殺された程度では全力にはならなかった。獣のような殺意はドミニク中尉を想ってではなく、貴方の行く宛のない感情を再現する為だけのもの。私を殺したいという感情の中には『どんな手を使ってでも』という欲望のスパイスが少しばかり足りないようです。貴方は、貴方が私を殺害する事で気持ちよくなれればそれでいいのではありませんか?」
「は……?」
「そうでしょう?復讐など、所詮は自分の感情に整理をつける為のものです。心を平常に保てないから、理由を付けて平静を保つ為の一種の儀式行動。死人は死人なのだから、死んだ後の人間に貴方がしてあげられる事は何一つありません。だって、死人に意識は無く感情は無い。貴方がした事に対して、死人は感謝する事も無ければ嘆き悲しむ事もありません。もう存在しないのですから当然ですね」
バルバラの動きが止まる。クラーラが隣で彼女へ声を掛けているが、それさえも届かない。つまり少なからず並べた言葉の数々は図星であったかもしれないという葛藤の現れだ。
「ね?本当は気付いていたんでしょう?復讐だなんてそんな事は彼ではなく、貴方だけの為であった事に。だから、町に火を放ちました。貴方もこの炎のように私への殺意をそれはもう苛烈に燃やしてくれる事でしょう!貴方がその程度の感情を持て余し、私に襲い掛かって来た事は正直残念でしたが、人の管轄に手を出したのが間違いでしたね。貴方は決断しなければならない、今この瞬間、どう行動すべきかを!」
「か、怪物……!貴方、頭おかしいんじゃない!?」
「頭がおかしい、そう分かっていたはずなのに常識で私を縛ろうとする貴方の頭の方がおかしいと思いますけど。さあ、ご決断を!私を今ここで無視して町を救うか、自らの心を救うか!二者択一、二択を選び取る事は出来ませんよ!世の中、そんなに甘くはありませんからね」
バルバラ様、と一際大きな声を上げたクラーラにようやっとバルバラの視線が向けられる。ハンカチを取り出して口と鼻を覆っていた彼女は言い聞かせるように主人へと言葉を投げつける。
「撤退を!町もそうですが、エイルマー達も地面に転がしておく訳にはいきません!火に巻かれて死んでしまいます!貴方様も、この煙の中で戦うおつもりですか!?結界をずっと展開し続ける魔力を持つイアンならばともかく、我々では煙を吸いすぎて意識を落としてしまいかねません!一度退きましょう、また機会は巡ってくるはずです!」
ゆっくりとバルバラが周囲を見回す。すでに火の手は燃え移り、最初に燃えていた建物の倍の建物から火が上がっている。町の人間は避難している為、惨状に気付いてすらいない可能性も捨てられないだろう。
このまま放置していればどうなるか分からない。それは魔法を放ったイアンですら頭の隅で考えていた事である。
――が、それよりもまず。
「貴方、少し出しゃばり過ぎではありませんか?」
「え」
踵を踏みならし風の刃を儀式魔法で形成する。狙いは侍女。彼女は喋りすぎだし、首を突っ込み過ぎた。バルバラを殺害すれば彼女の反応も面白そうではあるが、あの手のタイプは隠れた激情家。葛藤もなく自らの意見が正しいと突っ走ってしまうタイプのようなので、泳がせていても面白い葛藤と欲望は見せてくれないだろう。
つまりは面白味の感じられない人間。
イアンは躊躇い無く刃物のように鋭利なそれを放った。
しかし、それは射出されるより一瞬だけ早く手元がブレたが為にクラーラの頭上を通り過ぎ、建物の屋根を斬り落とした。
邪魔をしてきた当本人が「ヒッ」、と情けない声を上げる。
「やってくれましたね、ジャック……!」