第3話

09.ナミノ港町


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 太陽が燦々と照り付けている。湾の中の凪いだ波が光を反射して瞬いているのを尻目に、バルバラ・ローゼンメラーは部下達の方を振り返った。
 選りすぐりの部下達3人の内、1人は侍女であるクラーラだ。後はハーフ魚人のマイルズ、獣人のエイルマー。

 彼等はバルバラの生家、ローゼンメラー家が引き取った孤児や迷子である。屋敷へ戻ればもっとたくさんの家無き子達がいるが、今回は戦闘に長けた者達に同行をお願いした次第だ。
 かつて、まだアレグロ帝国に領主制が蔓延っていた十数年前。男爵という位が取り上げられたローゼンメラー家に着いて来てくれた、何れも大事な家族だ。

「あれっ、何でオレ達、ナミノにいるんでしたっけ?観光?」

 不意に獣人のエイルマーが首を傾げながら尋ねた。道中ずっと難しそうな顔をしていた彼だったが、ナミノ港町に来た理由について考えていたらしい。ギリギリまで考え込まずとも、訊いてくれれば教えてあげたのに。

 問いに対し、バルバラが答えるより早くクラーラがその理由を口にした。彼女にしてみれば、彼等2人は可愛い後輩である。

「ゲーアハルト様に頼み、ナミノ港町での裏切り者の始末は我々が請け負う事になったからです。エイルマー、貴方にも分かり易く説明すると、今回の私達の仕事は裏切り者――ドミニク様を殺害した、イアンとその仲間の始末・捕縛です」
「捕縛……?オレ、人間を殺さないように捕まえるのって苦手なんだよなあ」
「心配は無用。捕縛対象は私が担当しますので。貴方は手を出さないでいてください。バルバラ様の顔に泥を塗る事になりかねません」
「ひっど、そこまで言うか!?」

 ナミノの管轄は本来、ゲーアハルトだ。かなり突然な無理を言って管轄を交代して貰った。

 ――ドミニクの仇であるイアン・ベネットを、この手で殺害する為に。研究所から要請が出ている127号はともかくとして、その他は一人ずつ首を吊って、腸を引き摺り出し、切り刻まないと気が済まない。

 静かに決意を固めるバルバラの耳に、町人の声が届く。それは困惑であり、混乱のような声音だった。

「あれ、何でバルバラ少佐が……?確かうちの管理は、ゲーアハルト様が……何か問題が起きたのだろうか」
「まさか。天下のアレグロ帝国内部なのよ、ここは。何か用事があっていらっしゃったに決まっているわ!」
「そうかなあ……。戦争中だし、何かあったのなら嫌だなあ」
「ちょっと、不安になるような事言わないでよ!」
「だけどさあ、親衛隊連れてるし、近くで戦闘とかあるのかも……」

 強い熱を持った脳が冷めていく。まずは町人達に事情を説明し、戦闘に巻き込まれない場所に避難して貰わなければ。
 イアンとて馬鹿ではない。襲われるのならば町の外だと思っているだろう。だが、予想されている事をなぞって実行したところで効果は薄い。認めざるを得ないが、相手は格上だ。確実に殺害する為には、奇をてらった行動を取り、不意を突くしかないだろう。

 部下達の顔は帝国内で知られているところだし、彼等は伝令役に相応しくない。

「皆さん、帝国からの避難勧告です」

 人が集まりつつある港前公園にて、バルバラはようやっと口を開く。
 当面の目標は町人の避難、そして伝令役の確保。目指すは不意討ちによる初撃での撃破である。

 ***

「なかなか遠かったですね」

 イアンは目前に迫ったナミノ港町を見て、ふと呟いた。海が近いのか磯の匂いが微かに鼻孔を擽る。

「仕掛けて来るかと思ったが、何も無かったな」

 町が近付いた事を告げた時から、周囲をずっと気にしていたジャックが肩を落とした。仕掛けて来るなら町の外だ、とは言ったがそこまで神経を張り詰めろとは言っていない。

「少し拍子抜けしたな。私も気を張っていたからか、少し肩が凝っている」
「宿取ったら休めよ。ま、船の時間によっちゃ船で休む事になるだろうがな!」

 ――いいや、何も無いはずがない。
 安堵の溜息を漏らす同行者達を尻目に思考する。港町は大陸を出る為の手段である船が行き来する一番近い場所だ。脱走したのならば大陸の外へ出ようとする心理を、追っ手が分かっていないはずがない。
 この『ナミノ港町』という地点はその一部において重地であると同時、脱走者達の先回りをして罠を仕掛けるなり不意を突くなりあらゆるギミックを仕掛けられる場所でもある。

 そこで、少し前まで執拗に差し向けていた追っ手を、差し向けない。そんな事は絶対にあり得ない。

 管轄はゲーアハルト。ただし彼は生粋の召喚師。町の中で町を破壊しかねない召喚術を使用する事は無いので、管轄の人間が変わった可能性がある。例えばそう、今一番恨みを持っているに違い無いバルバラ・ローゼンメラーなんかに。

 どのみち、町へ一度行かなければならない。
 見えている罠に飛び込まなければならない現状――イアンはうっそりと笑みを浮かべた。きっとバルバラ・ローゼンメラーは魅せてくれるだろう、人間の強い感情というものを。それを思うと、興奮が止まらない。