第3話

01.バルバラ・ローゼンメラー


 バルバラ・ローゼンメラーは恍惚とした表情でシルベリア王国に新たに建てた拠点から街を見下ろしていた。
 うふふ、と無意識ながら含んだような笑い声が漏れ出る。何せ、この拠点こそ帝国がまた一歩、大陸統一の道を進んだ証明に他ならない。

 見えるのは蹂躙の証し。人っ子一人いない街には帝国の甲冑を着た兵士が時折闊歩するくらいで閑散としていた。町人はほとんど逃げ出してしまったし、残った者達も抵抗の意を見せること無く、家の中で震えている。

 飴と鞭、そう銘打たれたマニュアルを脳内で反芻。これからの作業は「古き良き軍人」の仮面を着け、町人を懐柔する事にある。我々は無抵抗の町民に酷い仕打ちはしない、それどころか十分過ぎる程に十分な食糧も、衣服も与えるという意思表示だ。
 勿論――無為な抵抗をしなければ、の話だが。

「クラーラ、例のマニュアルを下の者達に配りなさい。一人でも統率を欠いた行動を取る者がいれば、その場で処断して構わないわ」

 ドアの横に控えていた女性が目を伏せ、無言で頭を下げる。彼女はクラーラ。バルバラの侍女であり、軍の指揮を執る事も出来る、所謂戦うメイドさんのような存在だ。

 出て行くクラーラと入れ替わりに、見覚えのある妙齢の男性が姿を現した。
 目元にはキラキラと輝く鱗、伸ばした顎髭は正直似合っていない。どことなくつるっとしたフォルムの彼はゲーアハルト。余談だが魚人である。
 何か用事があるらしい彼は青い顔をして視線を泳がせながら敷居を跨いで部屋に入って来た。

「ゲーアハルト殿、何かご用事ですか?」
「あー、その、バルバラ殿。ドミニク大尉の事は耳に入れたましたカ?」

 独特な発音。魚人と言えば本来は水中で暮らす事の方が多い種族だ。そのせいか、彼等は呂律が、滑舌がどこか怪しげである。

 ともあれ、聞き捨てならない発言を聞いた。
 ドミニク――イアン元顧問魔道士とホムンクルス127号を追っていた、最愛の人。恋人であり、最近では婚約者になった何者にも代えられない人物。
 そんな彼に、まるで何かあったかのような言い草だ。

 自然、眉間に皺が寄る。それを見たゲーアハルトが「ひぃ」、と40代のおじさんとは思えない悲鳴を漏らす。

「ドミニクに、何かあったのですか?まさか、大怪我をしたとか?」
「……あー……その、ドミニク大尉なのデスがネ、えーっと……あっと、亡くなられた、そうデスヨ」

「――……えっ」

 何を言われたのか理解するのにたっぷり数十秒掛かった。
 理解した数十秒後は、鈍器で頭を殴られたような衝撃が襲い掛かって来る。

「……嘘だ……」
「ええ、ワタシも最初はそう思っていたのデスが……。その、ご遺体がデスね、上がっておりまシテ……。ただ、バルバラ殿は見ない方がよろしいかと……」
「嘘を吐かないで下さいッ!どこ!?ドミニクはどこなのですが、嘘でないと言うのならば、私を彼に会わせなさい!」

 ゲーアハルトの胸ぐらを掴んで揺さ振る。悲鳴を上げた同僚は「分かりマシタ!」、と半ば強制的に頷かされ、ようやく場所を吐き出した。
 とはいえ、ドミニクが死んだなんてまるで信じられない。現実味が無い。
 例えるのならばチープな悪夢を視ているような感覚。

「地下の霊安室デス……。ワタシはドミニク大尉に挨拶をして来たのデスガ、同行しますネ。その様子を見るに、何をしでかすか分かったもんじゃないデスし」

 地下は空き部屋になっており、遺体を安置する場所など無かったはずだ。
 不意にそう脳裏に掠めた疑問はしかし、地下に到着すると払拭された。ゲーアハルトが案内した部屋のドア。その隙間から絶え間なく冷気が漏れ出ている。中では魔法が作動している魔力の流れも感じるので、ここは運ばれて来た遺体のせいで無理矢理霊安室として改造したのだと理解する。

 指先が冷えてきた。女性には多い冷え性というやつだが、寒いと言うとよく指先を温めてくれたのは、そういえばドミニクだったと思い出す。

「開けますヨ。心の準備はよろしいデスカ」
「勿体振っていないで、早く開けてください!」

 溜息を吐いたゲーアハルトがドアを開け放つ。
 まずは冷気の本流が頬を撫でた。続いて鼻につく――少しばかりの腐臭。しかし、それの出所はすぐに分かった。目の前、冷たいステンレス製の台に無造作に置かれている肉塊だ。これは最早、遺体ではなく加工前の挽肉なのでは。

「それで、ドミニクはどこなのですか?貴方、まさか私をからかっているんじゃないでしょうね。暇じゃないのですが」
「……いや、あの」

 ゲーアハルトの視線が例の肉塊へと注がれる。
 ――え。いや、嘘でしょう?
 過ぎる不安。バルバラはもう一度、その肉塊へと視線を向けた。研究施設が出した廃棄物かと思われたそれは、よくよく注意してみれば生前着ていたであろう衣服の切れ端が見える。白い、騎士兵が着るような少しばかり派手な衣装。

 ぐらり、視界が傾く。

 ――いや、違う。これはそう、別の兵士の服。その切れ端だわ。何も、白い服をドミニクだけが着ている訳じゃないもの。それにしたって、誰の遺体かは分からないけれど、不謹慎だわ。私を驚かす為に死者を冒涜するなんて。

「バルバラ殿。その、辛うじて無事だった物品がそちらに」

 遠慮がちなゲーアハルトの言葉で、ようやくその遺体の傍らに小物が並べられている事に気付く。遺体の損傷が激しい上に目に付く様子だったからか、全く気付かなかった。
 服の金具や何かのネジなど、訳の分からない部品の中に1つだけ酷く見覚えのある物が目に留まった。

 真っ二つになった水晶球の半分。魔法式が埋め込まれ、マジックアイテムとなったそれは少し前まで自分の持ち物だった、護身アイテムだ。

 もっと言うなら――ドミニクへお守り代わりに渡した、ヴァレンディア魔道国産のマジックアイテム。使われた形跡があり、魔法式は完全に力を失っている。

 脳がゆっくりと情報を処理していく、事務的に。
 喉がひりつくような感覚。対照的に、胃の中のものが逆流するような不快感が込み上げてきた。

「ドミニク、なの……?」

 ええ、と答えたのはドミニクだった肉塊ではなくゲーアハルトだ。ぼやける視界。全てが曖昧な中で彼の声だけがハッキリと届く。否、声が届いている訳では無い。耳が勝手にドミニクに関する情報を拾うのだ。

「随伴していた兵士によると、イアン顧問――ではなかった、イアン殿との一騎打ちに敗れ、死亡したそうデス。その、何でも《旧き者》が荷担していたとかで、一騎打ちで片を付ける他なかったとか」
「イアン・ベネット……」
「はい。まあ、我々も彼女とは長い付き合いデスし、勿論バルバラ殿も存じているでしょう?」

 よく知っている名前だ。冷酷無比、およそ4年前、突如現れて帝国魔道士として働き始めた。丁度新しい役職である『顧問魔道士』の座を懸けて死闘を繰り広げた魔道士の全てを叩き潰し、新米であるにも関わらず名誉を勝ち取った怪物。
 話してみると案外普通の人物だった気もするが、一度スイッチが入れば人間味の無い化け物。それがバルバラのイアンに対する総評だった。

 ――しかし、そんな事はどうだっていい。彼女は私の婚約者を殺害した、あるのはその事実のみだ。

「その、バルバラ殿?見ての通り、イアン殿は最早第一級危険人物デス。復讐でも仇討ちでも、気持ちは分かりますが控えてくださいネ。分かっているとは思いますが、相当上手くやらないと、我々なぞ返り討ちデスヨ」
「はい、わかっ……」

 言葉が上手く出て来ない。
 勢いよく立ち上がった拍子に、台から小物が1つ落ちた。それをそうっと拾い上げる。青いビロード質の小さな箱。手の平に乗るくらいだ。
 これは何だろう。鍵が掛かるような箱でもなかったので開けてみる。

「あっ……」
「どうされましタ?」

 心臓が早鐘を打つ。そこに鎮座していたのは指輪だ。小さなダイヤモンドのあしらわれた銀色の指輪。見間違うはずもない、結婚指輪だ。

 ――「君に指輪を贈ってもいいかい?」

 任務へ行く前、ドミニクが言っていた言葉が鮮やかに甦る。これはきっと、自分に贈るはずだったものだ。
 箱から指輪を抜き取り、それを左手の薬指に嵌める。抵抗も無くすんなりと指の付け根にそれが嵌った。そうだ、これはバルバラ・ローゼンメラーに贈る為の物。

「バルバラ殿?」
「……してやる」
「はい?」

 不意に湧き上がる押さえきれない感情。それは誰に憚られること無く、勢いのままにバルバラの口から飛び出した。

「殺してやるッ!イアン・ベネットを、必ず!赦さない赦さない赦さない!絶対に赦さない!ドミニクがそうされたように、アイツの腸を引き摺りだして、バラバラにしてやらないと気が済まないッ!!」

 ゲーアハルトが落ち着いて、だの何だのと宥めてくるが耳に入らない。
 悲しみと怒りが綯い交ぜになって自分でもどうしたいのかまるで分からないが、一つだけ断言出来る。
 ――私の失った幸せは、イアンの死での贖わなければならないのだと。