第2話

13.マジックアイテム


「――何だ、あれだけ言ったのに、大した事ありませんでしたね」

 誰もが静まり返る中、ポツリとイアンが呟いた。心底残念そうな言葉は、今し方対峙した相手を串刺しにした人間の言い分とは到底思えない。
 何故だか盛大に溜息を吐いたイアンはくるり、とドミニクに背を向けた。興味が失せた、という表情を隠しもしない。

「い、イアン殿……ドミニク大尉は」
「余程腕の良い治癒術師がいなければ、彼の蘇生は不可能でしょうね。まだ息はあるかもしれませんが、この場にいる兵士ではどうしようも――」

 冷めた目で現状を事務的に報告する魔道士の、背後。
 ジャックは見た。憎悪に満ち満ちた瞳をした騎士がゆっくりと立ち上がるのを。慌ててイアンに声を掛ける。

「お、おい、アイツまだ――」
「え」

 言わんとする事を理解したのか、微かに目を見開いたイアンが振り返る。少しだけ彼女の動きの方が遅かっただろうか。
 剣の型も、人間性さえかなぐり捨てて獣のような動きでイアンへと剣を突き立てようとしたドミニク。驚いた顔のイアンが杖を凪いだ。それこそ、全く素人と言って差し支えない、苦し紛れにも見えるような動作で。

 ドミニクの剣先がイアンの肩口を抉ったのと、イアンの杖がドミニクの脇腹にぶつかったのはほとんど同時だった。
 ぐしゃり、と生肉が轢き潰れるような音、舞う血飛沫、遅れて臭ってくるナマモノの形容し難い匂い――
 それら全てを総合した上で、脳が理解を拒絶する。吐き気を催すようなスプラッタを直視したジャックは顔をしかめ、手で鼻と口を覆って顔を背けた。最早手遅れだったが、そうせずにはいられなかったのだ。

「おうおう、ヒデェなこりゃ」

 平然とした態度で佇むブルーノが首を振る。彼の視線の先には杖を片手に、負傷した肩を手で押さえたイアンがいた。なお、イアンは肉塊と成り果てたドミニクを見下ろしている。

 ――流石に何か思うところがあったのかもしれない。
 イアンの生に対する認識はゾッとする事が多々あるが、今回ばかりは不可抗力だったような気がしないでもないし、何か声を掛けるべきだろう。ジャックは散々迷った挙げ句、恐る恐る魔道士に声を掛けた。

「お、おい……大丈夫か?怪我の手当てをした方が良いんじゃないのか?」

 ドミニクだったものをまじまじと見ていたイアンは聞いているのかいないのか、杖をローブの中に仕舞うとゆっくりと屈んだ。何だか様子がおかしいと思うのだが、それはリカルデも同じだったらしい。
 顔をしかめて惨状を凝視していたリカルデが「イアン殿?」、と戸惑ったような声を上げる。
 そんな声をまるっきり無視したイアンが、血肉の中から何かを拾い上げた。半球の物体。人差し指と親指でつまめるくらいのサイズだ。血液で真っ赤に汚れたそれを太陽に透かして見ていたイアンは何を思ったのか、僅かに白い部分が残っているドミニクの衣装でそれの血液を拭き取った。

「これは……」
「おー、マジックアイテムだな。人為的な加工がされた、マジッククリスタル!人間の加工技術も進んだもんだぜ」
「ご丁寧に解説有り難うございます、ブルーノさん。これで負った傷を無効にしたのでしょうか。研究の余地がありそうですね」

 元は球体だったらしいそれは確かにクリスタルのように透明度のある物質だ。よく見るとその中に同じく真っ二つになった術式が見える。色を失い、黒ずんでいるが。
 出来るだけスプラッタを見ないように、イアンへ近寄る。

「おい、だからあんた、大丈夫なのか?」
「このマジックアイテムがですか?もう効力は失われていますよ」
「いやそうじゃなくて……あんたが。流石にここまでするつもりは無かったんだろ?気分とか悪くないのかよ」

 本当に何を言っているのか分からない、そんな表情を一瞬だけ浮かべたイアンはしかし、次の瞬間には含んだような嗤いを喉の奥から堪えきれずに漏らした。

「う、うふふ……。ジャック、貴方もドミニク大尉に負けず劣らず愉快な方ですねえ。私、むしろこの一件で大尉の事は見直したのですよ?素晴らしい胆力ではありませんか!だって、あのまま死んだフリをしていれば、彼は帝都へ生きて還る事が出来たというのに、わざわざ私へ向かって来た!死亡トリックを使って、いくらでも不意討ちの機会があったかもしれないのに!わざわざ、私が武器を仕舞わないタイミングで襲い掛かって来たんですよ!」

 興奮冷めやらぬ挙動で恍惚とイアンは語る。まるで、そう、小説の感動したシーンを語るかのように。

「どこからどこまでが計算だったのでしょうか。一騎打ちを仕掛けた時から?それとも、マジックアイテムを手に入れた時から、こういう形で私にトドメを刺そうと画策していた?だとしたら、バルバラ少佐の話を出した時の激昂も演技?いいえでも、全て行き当たりばったりでも面白い展開でしたね!それならば、彼のバルバラさんへの愛は本物です!どうしても、今、ここでイアン・ベネットを仕留めなければならないという気概!……大変感動致しました。やはり人とは無限の可能性を秘めた生き物ですよね。惜しむらくは、事の真相を彼の口から聞くことは叶わない、という事でしょうか。ですが、謎は謎のままでも美しいものです、高望みは止めましょう」

 興奮が止まりません、とそう宣ったイアンは纏わり付く返り血を振り払うと負傷した肩に自身の手を重ねた。淡い緑色の光が細い指の間から漏れ出ている。少しすると、ドミニクから受けた傷は跡形もなく消えていた。
 彼が命懸けで彼女に残した痕跡は、僅か数分で掻き消されてしまったのだ。あれだけ感動がどうの、と言っていたのに。

 不意にすすり泣くような声が聞こえた。そちらを向くと、こちらを――正確にはドミニクの遺体を前に、しかし近寄る事も出来ずに涙を流している兵士の姿がある。
 自分の視線の移動に気付いたからだろうか、「おや」、と今思いだしたと言わんばかりにイアンが言葉を溢す。その瞳には仄暗い光が宿っているようだ。

「彼等はどうしましょうか。全滅させておけば、帝国へまだ私達を捕らえられていない、と報告する者がいなくなりますね。面倒ですが、お掃除は大事ですし、ここで片を付けておきましょうか」
「えっ!?」
「あ、何か他に良い方法があるのですか?ジャック」

 すでにドミニクの事など忘れたようにそう言ってのけた彼女に対し、純粋に引いていたら声を掛けられてしまった。ぎょっとして息を呑む。

「い、いや……別にそこまでやらなくて良いんじゃないのか?ドミニクは倒した、コイツの部隊は俺達を追って来ないんだろう?」
「そうですが、彼の部隊が駄目なら別の部隊が我々を追う事は必然ですよ。だいたい、恐らくは貴方のお陰で帝国に目を着けられているのだから生温い事を言っていてはいつか足下を掬われますよ」

 ジャックの言う通りだぜ、と傍観を決め込んでいたブルーノが口を挟んだ。

「やり過ぎだ。これ以上やるのなら、俺のせいでアイツの手順も狂ったみたいだし、俺が相手になるぜ」
「それは良いですね。まだ《旧き者》と手合わせした事は無いのですよ。ですが……長く生きている種族は、感情の起伏が激しくなくて、退屈してしまいそうですね」
「おっと、火に油だったか……」

 が、案外折れたのは散々生温い事はするな、と苦言を呈したイアン自身だった。

「まあ、構いません。今は気分が高揚していて、とても雑魚処理をする気分じゃありませんし。リカルデさんも、それで構いませんね」
「ああ、貴方が突拍子も無い事を言い出さないかヒヤヒヤしていたよ」

 村に戻ろうと思ったのか、イアンがあっさり兵士達に背を向けて来た道を戻り始める。それを見届けた兵士達が、ドミニクの回りにわっと集まってきた。
 その光景を眺めていたジャックは小さく溜息を吐き、静かにイアンの後に続く。言い知れない心中の気持ち悪さ、これはいつになったら消えるのだろうか。後味の悪い、苦々しい感覚にそっと目を瞑った。