第2話

12.一騎打ち


 先に動いたのはドミニクだった。その瞳に明確な殺意を滲ませ、イアンへと斬り掛かる。対するイアンは薄ら笑みを浮かべたままに例のローブから今度は金属製の杖を取り出した。見た事の無い意匠の物なので、何か拘りがあるのかもしれない。

 ドミニクが上段から下段へと振り下ろした剣を、イアンがひらりと躱す。先程もそうだったが、物理攻撃に関しては素人丸出しの動きをする彼女は、事躱す・避けるという動きが上手い。
 回避ステップは儀式魔法だったようだ。舞台の上で舞っている踊り子のように優雅にターンを決めたイアンの足下に金色の術式が出現する。それは結界だ。術式を中心に透明の魔力によるドームを創り出した。

「あー、今の一撃で決められなかったら厳しいな」

 不意にブルーノが隣でそう呟いた。
 正体を明かしてからこっち、完全に傍観の姿勢に入っていた彼は腕を組み、品定めするように両者の立ち回りを見ている。なお、額の傷はすっかり塞がり、血液の流れた痕だけが痛々しさを醸し出していた。

「そうだろうか……。アイツがいくら強いといえ、相手は騎士だぞ。誰か助けに入った方が――」
「邪道だぞ、ジャック。ドミニク大尉が一騎打ちを提案し、イアン殿が承諾した以上、余人の立ち入りは禁止だ。騎士道に反する」
「いや、騎士道も何も、あんた自分の国裏切ってるだろうが」

 うるさい、とリカルデに理不尽な怒りをぶつけられた。何も間違った事は言っていないはずなのだが、不思議なものだ。

 ともあれ、結界を張る事に成功したイアンが反撃に移る。
 杖を持たない左手で術式を形成。口ではぶつぶつと何か唱えているが、何を言っているのかまでは聞き取れなかった。

「くそっ、結界から出て来い!」

 ドミニクが剣で結界を斬り付けた。一度、二度、三度――透明だったそれにヒビが入るのがありありと分かる。今にも壊れてしまいそうだが、それでもイアンが術式を完成させる方が早かった。
 七度目、結界が砕け、光の粒子を撒き散らしながら掻き消える。

 それと同じくして、完成したイアンの術式が杖に纏わり付く。詠唱魔法の方も同時に起動、やはり同じく杖に似たような術式が重ね掛けされた。

「そうか、イアン殿は付与魔法も使えるのだったな。だが、接近戦の素人がその程度で騎士と張り合えるはずもない!」
「そうですね。真正面から騎士と得物で殴り合い、だなんて私に勝ち目は無いでしょう」

 幼い子供が木の枝でも振り回すような気軽さで、イアンが金属製の杖を振り下ろす。あまり力のこもっていない、やはり棒術など知らない動きだ。
 案の定、イアンが振り下ろした杖はドミニクに掠る事も無く、地面を叩く。

「えっ」

 誰の悲鳴だっただろうか。
 地面が大きく一度振動した。しかし、体勢を崩す程でない。驚くべきは、あの適当に振り下ろされた杖から生じた純粋な力だろう。見れば、杖の先が当たった地面は抉れ、ひび割れている。

「さあ、どんどん行きましょうか。時間を掛ければ掛けるだけ、私に有利になりますよ。ドミニク大尉」
「うっ……」

 抉れた地面を見て顔色を変えたドミニクが再び構える。これで得物と得物を打ち合う、という選択肢は消えた。あんな力で得物同士がぶつかり合えば、先にドミニクの騎士剣が折れてしまう事だろう。どころか、或いは得物の持ち主であるドミニクごとミンチだ。
 ――規格外。とにかく術式の制作時間が短いにも関わらず、1つ1つの魔法の威力が高い。更に言うとイアンの殺意も高い。

 果敢にもドミニクが再びイアンに斬り掛かった。すでに結界は消えているが、蠅叩きでも振り回すかのように魔道士が杖を振り回すせいか、ドミニクは慌てて退避する。

「く、クソ……。素人に苦戦するなんて」
「はあ、慣れない事をすると疲れますね。ですが、もう1個、完成してしまいました」
「は!?」

 杖を振り回していたのは、防御の意味合いで、では無かったらしい。
 イアンの持つ杖を中心点にして、円形の術式が姿を現す。それが何を示すものなのかは残念ながら定かではないが――とにかく、巨大。人が一人優に通れるくらいか。しかも、文字がウネウネと動いているのが分かる。

 術式が一際輝いた瞬間、突風が身体を通った。
 ドミニクが慌てたように剣を一閃させる。薄いガラスが破壊されるような音。ドミニクの周囲に立っていた木々が倒れた。

 そうしている間にもイアンの造った術式は様相を変える。文字が意志を持ったように動き、別の術式へと。
 付与術式作成時よりも数倍速いペースで次の魔法が放たれた。
 氷の槍。美麗な彫刻にも似たそれは術者の意志に従い、体勢を崩しているドミニクへ真っ直ぐに進む。

 防御の姿勢を取ったドミニクだったが、咄嗟の動きだったせいか、構えた剣の真横を通り抜けた槍が深々と腹部に突き刺さる。

「う、ぐっ……」

 小さく呻き声を上げたドミニクが噎せた。真っ赤な血液が吐き出される。そのまま、刺さった槍の周辺を押さえた騎士はその場に膝を突き、ややって横倒しに倒れた。
 涼やかな音を立てて、ドミニクを串刺しにした氷の槍が消え失せる。行き場を失った魔力の残滓が金の糸を引きながら大気中に溶け消えていった。